その父兄が監督と話しをしに行くと聞いてから、3時間後にその父兄から僕の所に電話が来ました。
それは監督が辞任したと言う報告です。
この時、監督の所に行ったのは中心となっている父兄2名でしたが、監督が辞任をしないのなら父兄会議を開いてクビにすると通告したそうです。
そもそも足立ポップスに父兄会と言う物が存在したのかどうかは不明ですが、既にこの父兄2名によって今回の件は全父兄に根回しされていたようでした。
確かに辞任された監督は少年野球の監督としてあまりに足りないものが多かったように感じます。
けれども本来であれば、全指導陣が集まって解任の為の会議を行えば、辞任する監督も多少の申し開きの場もあった事でしょう。
ですが、当初の監督は自分のチームに1勝すらさせる事が出来ないまま、選手達への挨拶も出来ずにチームを去ります。
そして、ここで初めて聞かされたのが新監督に推挙された人物です。
それは僕がリハビリの為に誘った野球経験者でした。
ここでその人物について少し書かせて頂きます。
その野球経験者と言うのは、僕が草野球を辞める際に最後に作ったチームに参加した奴で、当時はまだ学生でした。
そのチームは、まさに草野球の世界ではドリームチームだったのですが、そこに友人の友人として誘われた来たのがこの学生です。
参加している選手達はドラフト指名選手や、甲子園常連校でレギュラーを張って来たような選手ばかり。
そんな中に一番年下として参加したのですから、早い話しが1年生扱いです。
そんな彼はそのチームで主将を務めていた僕に随分と懐いて来ました。
事あるごとに僕の家に遊びに来ては飲み食いして泊り、就職活動の際もよく職場に電話して来て、近所まで来ているから話しを聞いて欲しいと言っては、居酒屋で話しを聞いてやります。
その彼は、当時非常にまじめな青年であった一方、ちょっと気になる点もありました。
それは一度思い込むと、なかなかそれを修正できないのです。
それだけで無く、簡単にキレてしまう部分があり、自分で自分を抑制出来なくなる事がありました。
彼の就職先は、当時自分が努めていた会社と縁が深い会社でした。
偶然とは言え、そんな会社に就職した彼を居酒屋でお祝いしてやり、一緒に就職を喜んだのを覚えています。
ですが、その喜びは2年と持ちませんでした。
彼は会社で不祥事を起こし、あわや懲戒処分になろうとしている事を聞いた僕は、当時の彼の上司に直接電話して何とか穏便に済ませて貰うようお願いします。
偶然にもメーカーと、それを検査すると言う会社の関係であった為に、その上司は僕のお願いを聞き入れてくれて、彼は依願退職と言う形になりました。
彼には彼の言い分があったようですが、それは世間で許される行為では無かった事は確かです。
それからの彼は心に傷が出来たと言い、改めて就職活動もせず親のスネをかじる毎日を過ごしていました。
そんな彼を知っていたので、大好きな野球が切っ掛けでまたモチベーションが上がればと言う期待が有りましたし、純真な子供達と関わっていれば忘れていた何かを思い出すのではないかと言う期待も有りました。
何よりこれだけ面倒を見て来たのだから、何か起こったら自分なら彼を止められるだろうと言う気持ちが有ったのも事実です。
その時、新監督に対して一抹の不安を抱いていたのは、父兄から全く相談を受けなかった自分と、同じように彼をよく知っている女性のコーチだけでした。
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