2015年11月8日(日)
1.金曜日の診察室で
「回りに期待され、御自身でもやる気満々、抜擢に応えるはずだったんですね。ところが新しい部署はわからないことだらけで、皆それぞれ重要な役割を負って忙しくしているから、訊こうにも訊けない。はかどらないから時間がかかり、毎晩遅くまで頑張って疲れをため、睡眠不足でかえってパフォーマンスが落ちるという悪循環、気がつけば今の状態でとうとう出社できなくなった。」
「・・・だいたい、その通りです・・・」
「だいぶ御自分を責めているんじゃないですか?」
「上司にも同じことを言われました。」
「上司の方に?」
重い瞼の下で、目が少し赤らんだ。
「そう自分を責めるな、たかが仕事だ、と」
「たかが仕事」
「はい」
「素晴らしいですね」
「そうですか」
「そう思います」
身の丈185cm、野球で鍛えた堂々たる体躯が、ストレス食いと数ヶ月の過労で傷ましくむくんでいる。ただしばらくの辛抱だ。健康は君の中、すぐそこにある。
2.土曜日の教室で
「そやき、僕が思うには、パンドラの箱っちゅうことです。箱は開けすぎてはいかん、開けたい箱の中に、実はありとあらゆる災いが入っとる、小出しにせんといかん。」
「でも」と異議が出た。
「パンドラの箱には、最後に希望というものが隠れてるんです。全部開けないと、希望も出てこられませんよ。」
「そう、そうですね。しかし、歌劇『トゥーランドット』の中の『誰も眠ってはならない』に歌われるとおり、」
演者が負けずに胸を張る。歌われるとおり・・・?
「希望は夜明けと共に消え去る、そういうことです。」
へえ、そう来ましたか。なかなか見事な応酬だけど、それだと君の研究はどうなっちゃうの?
忙しかった先週を終えて、心に残った二つの言葉である。いつになく言葉のやりとりの豊かな一週間だった。寝て起きて、働いて、食べて寝る、それが日常の全てだけれど、それでも人が言葉で生かされているという確かな実感は、どこから来るのだろう。
今日はこれからまず教会学校、午後からは久々の桜美林大学で、言葉を中心に一日を過ごす。楽しいことだ。