散日拾遺

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銀杏有情

2015-11-16 07:50:42 | 日記

2015年11月19日(木)

 このまま更新せず、ずっと見とれていたいけれど、そうもいかない事情がある。天使も日々成長して、やがてはただの人になる。天使らの母はいま現実の困難の中にあって、頭と体を総動員することを求められている。再び天へ帰る日まで、僕らは足を頼りに地上を歩く。

 途中になっていた前回帰省の記録。え~っと、そうか、日曜日に松山に着いて、稲刈りを見学し草刈りをした。その晩案外冷え込んだせいか、翌朝起きると喉に違和感がある。僕の場合、これは無視してはいけない徴候だが、短い帰省日程を無駄にしたくもない。うららかな日差しの中で、庭の枝おろしなどをした。それで夕方にはホンモノの風邪になり、火曜は昼食もとらずに20時間ほど昏々と眠った。田舎は不思議なぐらいよく眠れる。

 門前に3本イチョウの木があって、結婚祝いに両親が植えてくれたものだが、これがちょっとした自慢である。木肌が白く葉が柔らかい緑で、白樺を思わせるような涼しさがある。実際、わが家の門前は墓地への上り道でもあるので、暑い日の墓参の人々に一瞬の涼を提供したりする。東京の街路樹のようにひたすら天へ伸びるのではなく、斜めに枝を出しながらほどほどの高さに止まっているから、枝おろしの足がかりも多い。そしてギンナンである。

 イチョウも木に依るのだと思うが、わが家のイチョウは見事なギンナンを(当たり年には)たわわに実らせる。自然離れした滅び行く都会人には「臭い」と文句を言われる例のもので、確かに踏んづけると愉快なものではないから、できれば落果を待たずに摘んでしまいたい。問題はその後で、水につけて果肉をふやかし(この果肉の活用法を発見できたらスゴいだろうな)、ゴム手袋を装用して種を洗い出すのが手間なので、田舎でも面倒がって敬遠されることが多い。

 そこへ今年、父がうまいことを考えた。イチョウの足下を小川が流れている。写真で見ると道路の側溝のように見えるが、雑木林からわき出した清水が昼夜分かたず豊かに流れ、河野川から5km下って瀬戸内海に注いでいく立派な川である。ふやかしたギンナンをミカン用のプラスチックのかごに入れ、この小川に沈めておくと果肉落としの手間が大いに省けるというわけだ。

 そうして洗い出されたギンナンの種を、11月の日差しのもとで乾かす。一粒一粒が太陽の種である。

    

 

 夕方、おろした枝の片付けなどしていると、にわかに西の空が鮮やかな橙色に焼けた。わが家では、陽は山から昇って海に沈む。ふと思い立ち、熊手を投げ出して前の道へ駆けた。電車は次を待てばいいが、太陽は30秒後には姿を変えてしまう。河野川にかかった橋のたもとで、ああ追いついた。

 人の眼はよくできている。写真ではギンナンの一粒ほどに引っ込んでしまう夕陽が、肉眼では視野の大半を覆う巨大な光の塊になる。みるみる沈んでいく陽を見送って黄昏の庭に戻ると、たき火の番をしていた父が「夕陽がきれいじゃろうが」と呼びかけた。ずっと背中を向けてたようだったのに。

 魚の焼ける香ばしい気配が、庭までこぼれてきた。

 

 

 

 東京へ戻る水曜日の朝、愛媛新聞を読んでいた母が、篠原一先生の訃報が載っていると教えてくれた。「ヨーロッパ政治外交史」一科目を教わっただけだが、それに止まらぬ薫陶を頂いたと信ずる方である。アルメニア駐在中のT君は篠原ゼミだったはずだが、さすがに彼の地までニュースは行かないかもしれない。メールを送ったら、返信があった。

 「本郷時代の忘れられない先生です。ゼミで怒られたこともありました。僕にとっては東大リベラルの見本のような方でした。ご冥福を祈ります。教えてくれてどうもありがとう。」

 T君、何を怒られたんだろう。「東大リベラル」がキーワードかな、T君はそれを畏敬もし、批判もしていたはずである。本郷キャンパスといえば、校章にもなっている通りのイチョウ並木だ。そしてT君は、僕と誕生日が同じだったっけ。

 叱られてギンナン踏むや君二十歳

 昌蛙(しょうあ)