散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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学ぶ目あて

2017-07-07 10:34:58 | 日記

2017年6月28日(水)

 …ところでKD君との楽しいやりとりで、ふと気づいたことがある。世の中にはポリグロット(polyglot)と呼ばれる羨ましい人々があり、何ヶ国語でも平気で操ったりする。僕は遠く及ばぬ凡才だが、例えば「ありがとう」をできるだけ多くの言語で言ってみたいというヤマっ気とか、単語の語源や言語の相互関係についての生来的な関心、外国映画を見てたまたま耳に引っかかった音の記憶などが外国語への関心をつないでいる。

 最後のものに関して思い出すのは、『始皇帝暗殺』という映画(中・日・仏・米合作、1998年)のことで、始皇帝こと秦王政の若き日に恋人が言い聞かせるように囁く言葉、「天下的王要愛天下的民」というのが一発で耳に刷り込まれた。発音を強引にカタカナ表記すれば「ティエンシャダワン・ヤオアイ・ティエンシャダミン」といった感じで、末尾のワンとミンは尻上がりの第二声…だと思う、たぶん。

 このリズムが面白くて、しばらくは家族内の暗号に使っていた。遅く帰ってドアホンを鳴らすと中から「テンシャダワン?」、「テンシャダミン」と答えると開けてもらえる訳である。話が逸れた。

 学びのきっかけがいろいろある中で、強力な誘因は「読みたいものがある」というものである。ロシア語でチェーホフを、スペイン語でマルケスを、いつか読んでやるのだという遠い望みが燠火のようにくすぶり続け、一朝風を受けるや明々と燃えあがる可能性が案外バカにならない。イタリア語ならイタロ・カルヴィーノだし、ネオ・レアリスモの名作映画も良い(『無防備都市ローマ Roma, cita apperta』の中で、神父がファシストを「ディアーボロ(悪魔)!」と面罵する場面を思い出した)。イタリアオペラやカンツォーネもあって、実はイタリア語の魅力は相当大きい。文化的な厚みということか。

 ロシア語との距離は近くないが、それでも『退屈な話』の中の気になる言葉をT君からもらった原書で確めることは既にした ~ 「雑役のおばさん」あるいは「女労働者」と訳されている例の言葉で、僕に「女工」という代案がある。チェコ語は予定してないが、学ぶとしたら断然カレル・チャペックを読みたい。スウェーデン語ならストリンドベリ、デーン語ならアンデルセンにキェルケゴール、何語でも読んでみたい何かが必ずある。ところが…

 韓国語には、ない。

 そうなのだ、ハタとそれに気づいちゃったのね。

 韓国文化を価値下げしてるわけではないよ。客観的に「ない」はずはなく、こちらの問題なのである。韓流ドラマのファンなら見たいものがいくらでもあるだろうし、詳しい人なら歴史文書や詩文、民話などにいくらでも素材を見い出すだろう。ただ、僕の守備範囲には残念ながら何もない、僕の側の乏しさの結果である。加うるに。

 先日TVをつけたらちょうど釜山市の市議会の様子が映っていた。折しも日本領事館前の例の少女像が当面は韓国の道交法違反の状態にあるのを、国から釜山市に管轄を移すことによって違法状態を解消することが議論されているらしい。女性議員の発言の中の、「日本に警告」という言葉がツルっと理解できてしまって驚いた。せっかく韓国語を勉強して、耳目に入ってくるのがこの種の厳しい現実に関わるものばかりだとしたら…

  そんな訳で、僕にしては熱心に続けていた한곡말の勉強が、数日滞ってしまった。誰か韓国語の魅力的な文学素材を教えてください、という気もち。ないはずないのだからね。

Ω

 


KD君のアッパレ

2017-07-07 10:30:58 | 日記

2017年6月28日(水)…から持ち越し

  社会人になった次男と一杯やる機会があった。ワインなどは二人ともよく分からないので、店のハウスワインをピッチャーで頼もうとしたところ、若いウェイター君が「あの…」と口を出した。

「ウチの場合、グラスワインは縁まで一杯に注ぐので、グラスでお代わりされた方がトクだと思います。」

「君、親切じゃん、商売っ気ないね」

「アルバイトですから」

  ホントなのかこれがマニュアルなのか分からないが、愛想笑いのない若者の自然さに魅かれ、注文ついでに話が弾んだ。大学でスペイン語を学んでいるが、入学早々アフリカの方が楽しくなり、アルバイトで金を貯めてはケニアだのウガンダだの旅しているのだという。旅が好き、アフリカが好き、「でも生活の安定を求める気もちもあります。家庭を持ちたい、つまり結婚はしたいんです。」

「それは、アフリカの人と、ってこと?」

「いえ、その部分は日本の中で」

「どなたか決まった人が?」

「いえ、それはまだ」

 そこまで訊くかと次男が苦笑しているが、むしろここまで語るKD君の仕事(?)ぶりが僕には面白い。もちろん隠す権利も、ホラ吹く自由も彼はもっていて、そんなことは百も承知で言葉を選んでいるのに違いない。

 スペイン語といえば、

「ガルシア・マルケスなんか読むの?」 

「あ、『百年の孤独』ですね、途中まで…」

「あれすごいよね、あと『予告された殺人の記録』っての」

「あ、マルケス自身が『いちばんよく書けた』って言った作品ですか?面白いですか?読んでみます」

  語り口こそゆっくりまったりしているが、書きとめてみれば発語に無駄がなく、けっして的をそらすこともないのである。いわゆる地頭(じあたま)はかなり良いのに違いない。こんな若者がアルバイトとスペイン語とアフリカの旅を経めぐる姿を見ると、ちょっと嬉しくなる。

  マルケスの作品情報と引き換えに、ケニアで出会った元気な邦人の名前をいくつか教わった。公文和子女史に知らせてあげよう。彼女も嘗て地頭のよい、とびきり元気な若者だった。今は地頭のよい、とびきり元気な壮年として活躍中である。(今は出先なので、後日シロアムのリンクを張る。)

  ところで…

Ω