散日拾遺

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開成山公園

2017-07-16 07:02:15 | 日記

2017年7月15日(土)

 勝沼さん、再度のコメントありがとうございます。

> 会津若松市にも大熊町の町役場があります。

> 郡山の市役所付近といえば、開成山公園には足を運ばれましたでしょうか。あそこの公園の草地は除染がされていて、その記録が大きな看板に書かれているのですが、除染前はこんなに高かったのかと驚かされます。

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 詳しくお話ししていなかったかと思いますが、私は修業時代に郡山に3年余り住んでおり、職場が開成山公園からほど近い精神科病院でした。近いのでかえって足を運ばないという例のパターンではありましたが、花見の賑わいや夏の花火、ときどき開成山球場を訪れるプロ野球戦(巨人の中畑清は安積商業出身)など、熱気を肌に感じて過ごしていました。

 放送大学の福島学習センターは郡山女子大学の一郭に間借りしており、同大学は開成山公園の一隅に位置しますから、今回もそのエリアでうろうろしていたわけです。長者町にあるホテルから桑野町を経て学習センターに向かう道は、開成山球場の真ん前を通ります。ちょうど夏の甲子園予選が開幕したところで、35℃予報に向けてぐんぐん気温の上がる炎天下を「おはようございます!」と通行人一人一人に最敬礼する各校の下級生たちが、初々しいやら気の毒やらでした。今回は立ち寄る暇がなく、除染記録ボードを見損なって残念なことをしましたが、そういうことだったのですね。

 ついでながら「おくのほそ道」は白河・須賀川から松島へ向かう途次に郡山を通過するのですが、JR郡山駅から2km西に位置する開成山あたりの記録はなく、同駅の北7kmほどの安積山と檜皮宿(現・日和田町、綴り方の変化が面白い)を通ったとあります。「このあたり沼多し」と簡潔に書かれており、「1873(明治6)年に郡山の商人が出資してできた民間団体の開成社が開成山一帯の沼沢地を開墾し、桑野村を開いた」云々と wiki にあるのと符合します。郡山一帯に至るところ沼沢が広がっていたのでしょう。安積疎水の一大事業で面目一新、その象徴が開成山公園というわけです。原子力災害が克服されたあかつきには、同地が新たな象徴的意義を重ねもつことになるでしょうか。

 なお、国道49号線をはさんで公園の西向かいにある開成山神社は「東北のお伊勢様」などと呼ばれ、由緒正しいもののようですが、実は安積開拓にあたって民心の拠り所にするため1876(明治9)年に分霊を受けた新しいものだそうです。これが学習センターの真向かいでした。

     

(左: 学習センター入口、中: 開成山大神宮、右: 帰途の新幹線からの風景)

 以上、お返事に代えて。

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