2023年4月26日(水)
夕やけ小やけの 赤とんぼ
負われて見たのは いつの日か
山の畑の 桑の実を
小篭に摘んだは まぼろしか
十五で姐やは 嫁に行き
お里のたよりも 絶えはてた
夕やけ小やけの 赤とんぼ
とまっているよ 竿の先
(三木露風作詞、山田耕作作曲)
今更ながら、ふと『赤とんぼ』の歌詞が気になった。この歌の重心が赤とんぼよりも、むしろ「姐や」にあるとはかねがね思っていたのだけれど。
一番の「おわれて」を「追われて」と思い込む誤りが多いというが、それではもちろん意味を成さない。「負われて」つまりおんぶしてもらっての意に相違なく、誰におぶってもらったかといえば三番に出てくる姐や、つまり子守の娘にこれまた相違ない。実の姉を「姐や」とは呼ばない。
その姐やが数え十五で嫁に行ってしまった。ずいぶん早いが、昔は珍しくなかったことだろう。最後にひっかかるのが「お里の便り」で、この「お里」は誰の「お里」かという意識下の疑問が、通勤の道でふと浮上してきたのである。昨晩МI氏 ~ イニシャルが同じ! ~ と久しぶりに会い、霊だの魂だの夢だのについて語らったのが刺激になったものか。
歌詞に表れている要素を特に考えもなく追うならば、姐やのお里ということになりそうだ。しかし「絶えはてた」という表現には、続くべきもの、続いてほしいものが絶えたことへの痛恨がにじんでいる。嫁に行った娘の消息を、娘の実家からかつての奉公先に伝えることに、さほどの持続性が期待できるものか。それほど親しかった姐やなら、嫁ぎ先から時には便りをくれそうなものだし、こちらから様子を尋ねてもよいのである。
何となく腑に落ちないと感じていたのを、あらためて検索すると思いがけない解説が出てきた。
曰く、この子の母親は、離縁されて里に帰っていた。その母親が近隣の娘を当家の子守奉公に出すように計らい、この姐やを通じて子どもは母親の消息を聞くことができていた。その頼みの姐やが嫁に行ったために、里に戻った母の様子を知る伝手がすっかり失われ、その痛恨と哀切が「絶えはてた」にこもっているというのである。別れた親子の面会の権利など、誰の脳裏にもなかった時代のことである。
複数のサイトが一様にこの説を採用しているから、おそらく作詞者の生い立ちを踏まえての定説なのだろう。それが正しいかどうかはさておき、赤とんぼと夕焼けの美しさ、姐やの背のぬくもりと懐かしさに加え、さらに深い悲哀が行間に明滅することは見逃し難く、それが名曲を名曲たらしめていることに異論はない。
毎年の帰省の際、高速道路が兵庫県たつの市に入るところで、標識の赤とんぼに一瞬目を奪われる。
https://www.city.tatsuno.lg.jp/kurashi/bunka/jigyou/douyou.html
三木露風(1889-1964)は同市出身の詩人である。大正の終わり近くに33歳で洗礼を受け、カトリックの信徒として生涯を全うした。バチカンから「聖騎士」の称号を授けられたそうである。
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