散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

野武士様へ コメント御礼

2021-03-20 17:06:00 | 日記
 野武士様:
 3月16日(火)付け下記コメント拝受、ありがとうございました。少々慌ただしくしており、お返事が遅れましたことをお詫びいたします。
 コメントの対象記事(下記)を読み直し、誤解を招く表現があったことに気づきました。小生自身は都内の自宅から通学しましたので田無寮には入っておりません。昭和史の時間の流れの加速度的な変化を感じる便宜のため、入学時期を記してみたに過ぎず、名簿に氏名が見当たらないのは当然です。失礼いたしました。愛媛県H市在住者として記載されているのは、父に間違いないことと思います。
 田無寮の沿革その他について、的確に御教示くださりありがとうございした。この機会にいろいろ教えていただきたいのですが、残念ながら当ブログにはコメントを寄せてくださった方に直接返信する機能が備わっていません。恐縮ですが、差し支えなければコメント欄を通じてメールアドレス(もしくはこれに代わる連絡先)をお知らせいただけないでしょうか。
 コメント内容は当方で操作をしない限り公開されません。連絡方法を確認させていただきましたら、コメントは直ちに削除し御迷惑をかけないように致しますので。
 あらためて感謝しつつ、御連絡をお待ちしています。
散日亭主人敬白

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「東京大学田無寮」2016年2月9日(火)
https://blog.goo.ne.jp/ishimarium/e/8dbf7c5a200e73edd67dce0d12cd964e

◆ 田無寮がなつかしく、検索し、訪ねてみました。私が在寮していたのは、昭和50年代終わりから63年3月までです。寮の諸先輩と共に田無寮の廃寮のセレモニーを実施し、あとじまいしたのを覚えています。当時作成した名簿や上に述べたセレモニー開催の経緯や石碑建立に関する記録も残っています。

◆ 私が在寮の頃は、すでに一人一部屋でしたが、もともと、この寮は、南方に農業技術を広めに行く農業技術者のためのものでした。寮の沿革史を見ると、「農林省及び農業報國聯盟の委託による」もので、東京帝国大学・熱帯農業員養成所として、昭和17年に設立が決まりました。建物としては、所謂後寮が昭和18年11月に完成、前寮が19年2月に竣工しています。この間、三期生まで輩出していますが、昭和19年6月、戦局激化のため、第三期生の修了式を以て終了のようです。

◆ 昭和末か平成初に作成の名簿には、ブログの主様は見当たりませんでしたが、主様の父上とみられる方が、愛媛県H市在住ということで掲載されていました。

◆ こちらのブログの昭和38年の写真がまた精密で驚きました。廃寮から30数年、まだ訪ねてみたこともありませんが。

Ω



国語の授業の潜在力

2021-03-10 09:09:20 | 日記
2021年3月10日(水)

 28歳の国語教員が東日本大震災をユニークな形でとりあげ、それを今朝のラジオが詳しく伝えている。
 聴き逃し配信(下記)の15分から26分にかけて、メーガン妃とハリー王子のインタビュー事件に続く後半部分。



 10年前のこの日に合格発表があり、翌日の震災が大学生活開始の号砲となった世代である。後生侮り難し。

Ω

花相似たり

2021-03-04 09:41:29 | 日記
2021年3月4日(木)
 桃の節句に近隣の梅が咲き誇っている。その香に人生の節目を重ねる人の、真摯な道のりに深く表敬:

一里二里 羊を追うて三里塚 行く人の背に梅香るらん
桃蛙

2020年2月 NK先生撮影

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