散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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二十四節気 寒露

2023-10-10 19:05:12 | 日記
2023年10月10日(火)

寒露 旧暦九月節気(新暦10月8日頃)
 野山では秋の色合いが濃くなり、次第に紅葉の時期となっていきます。
 秋の行楽シーズンにも重なり、観光地などが人々で賑わう頃です。
 そろそろ菊が咲き始め、秋の深まりを思わせます。また、この頃には、柿や栗といった秋の果実が、一段とおいしくなります。
 寒露とは、野草に宿る冷たい露のこと、朝晩に肌寒さを感じるのもこの頃です。
(『和の暦手帖』P.80-81)

七十二候
 寒露初候 鴻雁来 (こうがんきたる)  新暦10月8日~12日
 寒露次候 菊花開 (きくのはなひらく) 新暦10月13日~17日
 寒露末候 蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)新暦10月18日~22日

 秋分の項で書き忘れたが、秋のお彼岸にあわせて帰省する時、毎年必ず田舎の土手にヒガンバナが緋色の幔幕を張っているのに目を瞠る。「主(あるじ)なしとて春を忘るな」とは人の側の未練というもので、花の方は決して季節を忘れはしない。ヒガンバナは種では増えないので、ソメイヨシノなどと同様、国土に咲く全ての花が同じDNA情報をもつ由。寒暖による若干のズレを示しつつ、この季節にはどこへ行っても根の国から立ち上がったような紅の列が見られるのは、そうした理由に依るらしい。

 二十四節気は中国由来で、2500年前の黄河流域で定められたという。その時代の異郷とその後の本朝と、時もところも違いながら半月ごとの自然の移ろいがこれほど一致するのが不思議でならず、七十二候に至ってはなおのこと。伝来後に当方の自然条件にあわせ、多少とも改訂されたりはしていないのだろうか。詳しい人に教わってみたい。

 キリギリスは「蟋蟀」という表記からも分かる通り、コオロギの古名である。いつ頃どんな事情で「蟋蟀」の名を負う昆虫が選手交代したのか、これまた教わってみたいことである。

2021年9月16日 松山市善応寺にて撮影
 上掲書でヒガンバナは白露に充てられており、確かに秋分(彼岸の中日)よりは例年すこし早い。

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二十四節気 秋分

2023-10-10 17:35:57 | 日記
2023年10月10日(火)

 大事なものをすっかり忘れていた。秋分がすっかり旧聞になってしまった。
 書くだけ書いておこう。


秋分 旧暦八月中気(新暦9月23日頃)
 秋分の日は、国民の祝日です。秋彼岸の中日にもあたるので、お墓参りに出かけて、ご先祖様や亡き人たちの霊をしのびます。
 春分と同じように、この日は昼と夜の長さがほぼ同じになります。厳しい残暑もおさまり、過ごしやすい時節となります。
 果物、秋の野菜、魚と食べものがおいしくなってくる、実りの季節でもあります。
(『和の暦手帖』P.76-77)

七十二候
 秋分初候 雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)新暦9月23日~27日
 秋分次候 蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)   新暦9月28日~10月2日
 秋分末候 水始涸 (みずはじめてかるる)     新暦10月3日~7日

 「夏-入道雲-雷」という定番の連想が、すっかり説得力を失った気がする。沖縄の遠浅の海の沖合に泳ぎ出たところで「ゴロゴロ」を頭上に聞いた時は、生きた心地がしなかった。
 「水始涸」は田の水を抜く謂らしい。「蟄虫坏戸」は「啓蟄」と対を成している。

 そう、啓蟄は春分直前。
 自分が「ほぼ春分」の生まれなので、その裏側の秋分にも何かなし親近感がある。昼と夜の長さがほぼ同じになるというのはいわば暦の結節点、不動の軸の両端が春分と秋分というイメージである。春分に生まれたなら、秋分に去るのも悪くない。マーク・トウェインはハレー彗星の大接近に際して、その年の誕生日に他界することを熱望したと読んだ気がしていたが、誕生日云々は自分の脚色だったらしい。
 Mark Twain こと Samuel Langhorne Clemens、筆名はミシシッピなどの水先案内人の「水深二尋 "by the mark, twain"」という合図の言葉から取られたものだ。1835年11月30日-1910年4月21日、日付にはこだわらず、ただハレー彗星とともに去ることを望んでそれを果たしたのである。
 『ハックルベリー・フィンの冒険』は昔も今も大好きだが、原文で読もうと試みた時にはさすがに絶望的な気持ちになった。ハックやジムの使う言葉そのもので書かれた、その英語のすさまじいこと!
 トウェイン事実上の遺作ともいえる『不思議な少年 The Mysterious Stranger』について、人はどの程度真剣に受けとめてきているか。
 それこそ絶望しか残さないこの作品を、作者は55歳の年から書き始めて死に至るまで改稿を繰り返した。ゲーテにおける『ファウスト』に相当する力闘の所産だが、かの「悲劇」のような輝かしい救済は作中にかけらも示されていない。真剣に読むなら気がおかしくなりそうで、望んだ年の作者の死は偶然ではないような気が、ふとしてくる。

 大相撲秋場所、例年その初日は残暑が厳しいのに、千秋楽は秋めいて肌寒くすらあるはずのところ、今年9月24日(日)は松山も神戸も31℃で蒸し暑かった。この年限りの例外であってほしい、尋常ならぬ2023年の夏。

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