恐懼に堪えない日々

【恐懼】(きょうく)・・・ おそれかしこまること。日々の生活は恐懼に堪えないことばかりですよね。

歴史学への挑戦

2006年12月12日 | 所感とか
ちょっとした偉いさんの先生と話す機会がありまして、
そこで感じたことをいくつか。
雑談程度の内容の話だったんですが、以下会話形式で。

先生「私はどうも歴史という教科は嫌いでしてね」
私 『人によって好き嫌いの分かれる教科ですからねぇ』
先生「なんていうかな、あんなの誰が何したかなんて、
   わかりっこないじゃないですか。
   科学的な学問に比べてあまりにも不確かで、
   それを勉強する気にはなれないですね」
私 『まぁ、何もかも割り切れてしまう学問よりも、
   だからこそ面白みもあると思うんですけどね』
先生「おもしろいですか?ゴッドハンドなんてのが出てきて、
   コロッとだまされちゃうような学問なんて他には無いんじゃないですか?」
私 『考古学的なところでは文字史料が無いですから、
   そういうことが起こっちゃうのは仕方ない部分なんでしょうけどねえ」
先生「ともかく、そういう学問を好き好んでやる人ってわからないですね(笑)」

・・・。
何が言いたかったんでしょうか。
軽いリップサービスのつもりだったのかもしれませんが、
歴史学(この場合は歴史教育?)を否定されてしまうと、
この職場での私の存在意義がわからなくなるのはもちろん、
今までそんな学問を好き好んでやってきた私は何なんだろうと思ってしまいます。

いや、私にだって嫌いな教科はありますよ。
でもその教科の先生に対してこんなことは言いません。
例えば「数学って難しいですよね。あれできる人ってすごいと思いますよ」
ぐらいのことはあったとしてもね。

相手を認めない言い方からは何も生まれません。
まず、相手のことを認めて尊敬しあうところから信頼は生まれるし、
自分には無くても相手が持っているものに対して敬意を払うことで、
教員組織は成り立っている部分が大きいと思うんです。
軽い冗談だとしても、これにはちょっとショックです。
歴史ってそんなに薄っぺらなものじゃないと思うんですが。

恐懼再拝。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする