日本の主要仏教宗派の多くは京都やその周辺に総本山や祖山を置いています。天台宗の比叡山延暦寺、浄土宗の知恩院、浄土真宗の東西本願寺や臨済宗の京都五山、さらには宇治の黄檗宗萬福寺などをお参りしてきました。
一方で関西に住んでいると最も行きづらいのが日蓮宗の総本山・身延山久遠寺です。日蓮宗は鎌倉時代の日蓮が開いた宗派で法華経を基本の経典としています。日蓮は1222年に現在の千葉県鴨川市で生まれ、比叡山で仏教を修めます。同じく比叡山で学んだ法然が阿弥陀信仰を広めたのに対し日蓮は法華経こそが人々を救うとして教えを広めることになります。
日蓮は過激な布教活動もあって鎌倉幕府から流刑を受けるなどしましたが、佐渡への流刑を解かれ甲斐国の地頭であり有力な檀家であった波木井実長が日蓮をこの地に迎え、日蓮もこの地を「仏の住まう地」だとして死後はこの地に墓を建てるよう言い残したとされます。こうして晩年の9年間を身延山で過ごした日蓮は宗派としての基礎を作り上げてゆきます。
日蓮の没後は弟子の日像により京への布教に成功、特に町衆に支持され現在も洛中には妙顕寺や妙覚寺、本法寺など日蓮宗の有力寺院が並んでいます。このため日蓮宗の主要寺院は生誕の千葉、活動当初の鎌倉、晩年を過ごした身延と京都の洛中などにあります。
もちろん真言宗などその他主要宗派と同じく分派がいくつかあり、「日蓮聖人門下連合会」という会を作り緩やかな形で連携を取っています。
#「日蓮宗」と「日蓮正宗」や「創価学会」については誤解が多いのが実情で、日蓮宗のうち日興が興した流派のうち静岡県の大石寺を中心とする一派が明治に独立したのが「日蓮正宗」、さらに日蓮正宗から独立した信徒団体が「創価学会」です。「日蓮聖人門下連合会」に「日蓮正宗」や「創価学会」が加入していないことは事実で、現在日蓮宗とは関係がないことが分かります。
違いがあるかも知れませんが「浄土宗と浄土真宗との関係」に近いと言え、「日蓮宗」が「浄土宗」、「日蓮正宗」や「創価学会」が「浄土真宗」だと捉えると分かりやすいはずです。浄土真宗は親鸞だけではなく法然も宗祖としていますし、浄土真宗自体も本願寺派・大谷派・仏光寺派など様々に分かれています。でも浄土宗とは直接の関係がなく、浄土真宗相互の宗派間でもほとんど交流がないと言われます。
話が脱線しましたが身延山は山梨県の南部、南巨摩郡身延町にありJR身延線の身延駅が最寄りです。身延山だけを目指すのならば東海道新幹線の「ひかり」で静岡に行き、ここから甲府行きの特急「ふじかわ」に乗るのが一般的です。乗り継ぎを良くしても3.5時間前後かかり遠いです。なので「GoTo」を利用して伊丹から羽田に行き中央線で甲府泊、さらに身延線で身延に行き帰りは静岡経由としてみます。
JRの乗車券は経路が重ならない限り1枚にまとめられますから、東京都区内→甲府→身延→静岡→新大阪で発券できます。逆方向に戻らない限り何度でも途中下車ができます(「区」「阪」の表示のある駅を除く)。私の場合、新宿→勝沼ぶどう郷→塩山→甲府→身延→静岡→新大阪で合計5回途中下車しています。
せっかく羽田に着いたので大田区にある池上本門寺にお参りしましょう。
東急蒲田駅は阪急梅田駅や南海難波駅っぽいスタイルのターミナル駅なのですが規模が違いすぎますよね。
東急蒲田駅から池上線で2駅目が池上駅です。池上線は池上本門寺への参拝客輸送を目的に池上電気鉄道が建設、東急の総帥・五島慶太が乗っ取る形で傘下に加えた路線です。
池上駅は21世紀になっても構内踏切があるなど時代に取り残された駅でしたが、駅舎の建て替えが行われました。駅の壁にはかつての池上駅や池上線の写真があしらわれているものの全て東急時代のものであり池上電気鉄道のものは一切使用していません。東急の社史でも池上電気鉄道についてはほとんど触れられませんが、なかなか興味深い会社ですのでWikiなどで調べてみて下さい。
JR東日本の「高輪ゲートウェイ駅」が明朝体だとして鉄道マニアが騒いでいましたが、池上駅も明朝体ですね。首都圏での流行なのかも知れませんね。
駅から歩くと本門寺の山門が見えてきます。
ここからは加藤清正が寄進したとされる「此経難持坂」を階段で小高い丘へと登ることになります。右手の建物が日蓮宗の宗務院だそうです。
池上本門寺は日蓮臨終の地です。体調を崩し身延山から常陸国に湯治に行く途中池上の地で動けなくなり死を悟ります。丘の上に建てられたお堂を「本門寺」と命名し(日蓮が開山した最後の寺)、後事を弟子達に託し1282年10月13日に息を引き取ります。
そのため池上本門寺は信仰を集め江戸初期までは身延山よりも格上だったとされますが、1630年に起きた宗論対立を幕府が政治利用し敗れた不受不施派の池上本門寺一派は身延山の下に置かれることになりました。現在は日蓮宗に7つある大本山の一つとなっています。
不受不施派はキリスト教と同様に禁教とされ、不受不施の信仰が強かった備前では特に激しい弾圧が加えられています。もちろん幕府にとっては日蓮宗の力を削ぐことが真の目的であり、天海の天台宗と徳川家菩提の浄土宗以外は勢力を削いでおこうという考えだったと思われます。
池上本門寺の本堂(大堂)です。1945年の空襲で焼けてしまい、前回の東京五輪と同じ1964年に鉄筋コンクリートで再建されています。天井には雲龍図がありますが制作に携わった川端龍子さんが途中で亡くなり未完のままとなっています。川端さんの志を引き継ぎ奥村土牛さんが眼を入れ完成としています。本堂の中にある受付で御首題を頂けます。
池上本門寺の御首題です。
池上本門寺のサイトでは
とあります。お願いした御首題帳のお隣は京都の大本山・妙顕寺の御首題がありますので何も言われず御首題を書いていただけました。
本門寺の周辺には数多くの塔頭があります。これらのお寺でも御首題が頂けるところがあります。ここまでの説明だけで長くなってしまいましたので続きます。
一方で関西に住んでいると最も行きづらいのが日蓮宗の総本山・身延山久遠寺です。日蓮宗は鎌倉時代の日蓮が開いた宗派で法華経を基本の経典としています。日蓮は1222年に現在の千葉県鴨川市で生まれ、比叡山で仏教を修めます。同じく比叡山で学んだ法然が阿弥陀信仰を広めたのに対し日蓮は法華経こそが人々を救うとして教えを広めることになります。
日蓮は過激な布教活動もあって鎌倉幕府から流刑を受けるなどしましたが、佐渡への流刑を解かれ甲斐国の地頭であり有力な檀家であった波木井実長が日蓮をこの地に迎え、日蓮もこの地を「仏の住まう地」だとして死後はこの地に墓を建てるよう言い残したとされます。こうして晩年の9年間を身延山で過ごした日蓮は宗派としての基礎を作り上げてゆきます。
日蓮の没後は弟子の日像により京への布教に成功、特に町衆に支持され現在も洛中には妙顕寺や妙覚寺、本法寺など日蓮宗の有力寺院が並んでいます。このため日蓮宗の主要寺院は生誕の千葉、活動当初の鎌倉、晩年を過ごした身延と京都の洛中などにあります。
もちろん真言宗などその他主要宗派と同じく分派がいくつかあり、「日蓮聖人門下連合会」という会を作り緩やかな形で連携を取っています。
#「日蓮宗」と「日蓮正宗」や「創価学会」については誤解が多いのが実情で、日蓮宗のうち日興が興した流派のうち静岡県の大石寺を中心とする一派が明治に独立したのが「日蓮正宗」、さらに日蓮正宗から独立した信徒団体が「創価学会」です。「日蓮聖人門下連合会」に「日蓮正宗」や「創価学会」が加入していないことは事実で、現在日蓮宗とは関係がないことが分かります。
違いがあるかも知れませんが「浄土宗と浄土真宗との関係」に近いと言え、「日蓮宗」が「浄土宗」、「日蓮正宗」や「創価学会」が「浄土真宗」だと捉えると分かりやすいはずです。浄土真宗は親鸞だけではなく法然も宗祖としていますし、浄土真宗自体も本願寺派・大谷派・仏光寺派など様々に分かれています。でも浄土宗とは直接の関係がなく、浄土真宗相互の宗派間でもほとんど交流がないと言われます。
話が脱線しましたが身延山は山梨県の南部、南巨摩郡身延町にありJR身延線の身延駅が最寄りです。身延山だけを目指すのならば東海道新幹線の「ひかり」で静岡に行き、ここから甲府行きの特急「ふじかわ」に乗るのが一般的です。乗り継ぎを良くしても3.5時間前後かかり遠いです。なので「GoTo」を利用して伊丹から羽田に行き中央線で甲府泊、さらに身延線で身延に行き帰りは静岡経由としてみます。
JRの乗車券は経路が重ならない限り1枚にまとめられますから、東京都区内→甲府→身延→静岡→新大阪で発券できます。逆方向に戻らない限り何度でも途中下車ができます(「区」「阪」の表示のある駅を除く)。私の場合、新宿→勝沼ぶどう郷→塩山→甲府→身延→静岡→新大阪で合計5回途中下車しています。
せっかく羽田に着いたので大田区にある池上本門寺にお参りしましょう。
東急蒲田駅は阪急梅田駅や南海難波駅っぽいスタイルのターミナル駅なのですが規模が違いすぎますよね。
東急蒲田駅から池上線で2駅目が池上駅です。池上線は池上本門寺への参拝客輸送を目的に池上電気鉄道が建設、東急の総帥・五島慶太が乗っ取る形で傘下に加えた路線です。
池上駅は21世紀になっても構内踏切があるなど時代に取り残された駅でしたが、駅舎の建て替えが行われました。駅の壁にはかつての池上駅や池上線の写真があしらわれているものの全て東急時代のものであり池上電気鉄道のものは一切使用していません。東急の社史でも池上電気鉄道についてはほとんど触れられませんが、なかなか興味深い会社ですのでWikiなどで調べてみて下さい。
JR東日本の「高輪ゲートウェイ駅」が明朝体だとして鉄道マニアが騒いでいましたが、池上駅も明朝体ですね。首都圏での流行なのかも知れませんね。
駅から歩くと本門寺の山門が見えてきます。
ここからは加藤清正が寄進したとされる「此経難持坂」を階段で小高い丘へと登ることになります。右手の建物が日蓮宗の宗務院だそうです。
池上本門寺は日蓮臨終の地です。体調を崩し身延山から常陸国に湯治に行く途中池上の地で動けなくなり死を悟ります。丘の上に建てられたお堂を「本門寺」と命名し(日蓮が開山した最後の寺)、後事を弟子達に託し1282年10月13日に息を引き取ります。
そのため池上本門寺は信仰を集め江戸初期までは身延山よりも格上だったとされますが、1630年に起きた宗論対立を幕府が政治利用し敗れた不受不施派の池上本門寺一派は身延山の下に置かれることになりました。現在は日蓮宗に7つある大本山の一つとなっています。
不受不施派はキリスト教と同様に禁教とされ、不受不施の信仰が強かった備前では特に激しい弾圧が加えられています。もちろん幕府にとっては日蓮宗の力を削ぐことが真の目的であり、天海の天台宗と徳川家菩提の浄土宗以外は勢力を削いでおこうという考えだったと思われます。
池上本門寺の本堂(大堂)です。1945年の空襲で焼けてしまい、前回の東京五輪と同じ1964年に鉄筋コンクリートで再建されています。天井には雲龍図がありますが制作に携わった川端龍子さんが途中で亡くなり未完のままとなっています。川端さんの志を引き継ぎ奥村土牛さんが眼を入れ完成としています。本堂の中にある受付で御首題を頂けます。
池上本門寺の御首題です。
池上本門寺のサイトでは
ご朱印帳(他寺社のご朱印があるもの)には「ご朱印」を、
御首題帳(日蓮宗寺院のみの御首題)には「御首題」を授与しています。
御首題帳(日蓮宗寺院のみの御首題)には「御首題」を授与しています。
とあります。お願いした御首題帳のお隣は京都の大本山・妙顕寺の御首題がありますので何も言われず御首題を書いていただけました。
本門寺の周辺には数多くの塔頭があります。これらのお寺でも御首題が頂けるところがあります。ここまでの説明だけで長くなってしまいましたので続きます。