西国三十三ヵ所の「追試」、三室戸寺からの続きです。
京阪で東福寺駅に戻りました。

駅からは徒歩になります。赤十字病院の方向に歩きましょう。

少し歩くと泉涌寺への参道があります。

この泉涌寺の門を入ってさらに進みます。

途中には新善光寺もあります。こちらも最近は御朱印を色々出しているようです。

さらに先に進むと左手に今熊野観音寺への参道があります。

今熊野観音寺は泉涌寺の塔頭の一つで、9世紀に弘法大師が開いたとされるお寺です。紀州の熊野三山を信仰し33回とも34回とも言われる熊野詣でを重ねた「熊野マニア」とも言えるほどの後白河法皇がこの地を新しい熊野として整え、「今熊野観音寺」となっています。泉涌寺の塔頭ですから真言宗泉涌寺派のお寺になります。

本堂は1712年に建てられたもので本尊は十一面観音です。

今熊野観音寺の御朱印と御詠歌です。
お次は六波羅蜜寺です。市バスで乗り換えなしで行くことができます。清水道で下車します。

このように清水道のバス停には案内図があります。清水寺とは逆に坂を下ってゆきます。

六波羅蜜寺は951年に踊り念仏で知られる空也上人が創建したお寺で、現在は真言宗の寺院です。平安末に平家との関係が深くなり、お寺を取り込む形で屋敷が建てられるも1183年の都落ちに巻き込まれて焼かれ、のち鎌倉幕府により六波羅探題が置かれています。秀吉によって伽藍が整備され再興されましたが、明治の廃仏毀釈で寺地を大幅に削られ今のような極端に狭い境内になっています。
本堂は1363年のもので、本尊は平安期の十一面観音で国宝に指定されています。

六波羅蜜寺の御朱印と御詠歌です。
道すがらには六道珍皇寺や西福寺もありますし、幽霊子育飴のみなとやもあります。時間に余裕があれば回ってみてもいいと思います。
今回はここまで。さらに続きます。
京阪で東福寺駅に戻りました。

駅からは徒歩になります。赤十字病院の方向に歩きましょう。

少し歩くと泉涌寺への参道があります。

この泉涌寺の門を入ってさらに進みます。

途中には新善光寺もあります。こちらも最近は御朱印を色々出しているようです。

さらに先に進むと左手に今熊野観音寺への参道があります。

今熊野観音寺は泉涌寺の塔頭の一つで、9世紀に弘法大師が開いたとされるお寺です。紀州の熊野三山を信仰し33回とも34回とも言われる熊野詣でを重ねた「熊野マニア」とも言えるほどの後白河法皇がこの地を新しい熊野として整え、「今熊野観音寺」となっています。泉涌寺の塔頭ですから真言宗泉涌寺派のお寺になります。

本堂は1712年に建てられたもので本尊は十一面観音です。

今熊野観音寺の御朱印と御詠歌です。
お次は六波羅蜜寺です。市バスで乗り換えなしで行くことができます。清水道で下車します。

このように清水道のバス停には案内図があります。清水寺とは逆に坂を下ってゆきます。

六波羅蜜寺は951年に踊り念仏で知られる空也上人が創建したお寺で、現在は真言宗の寺院です。平安末に平家との関係が深くなり、お寺を取り込む形で屋敷が建てられるも1183年の都落ちに巻き込まれて焼かれ、のち鎌倉幕府により六波羅探題が置かれています。秀吉によって伽藍が整備され再興されましたが、明治の廃仏毀釈で寺地を大幅に削られ今のような極端に狭い境内になっています。
本堂は1363年のもので、本尊は平安期の十一面観音で国宝に指定されています。

六波羅蜜寺の御朱印と御詠歌です。
道すがらには六道珍皇寺や西福寺もありますし、幽霊子育飴のみなとやもあります。時間に余裕があれば回ってみてもいいと思います。
今回はここまで。さらに続きます。