毎年10月の恒例「浄土宗京都教区 寺院特別大公開」を見てきました。公式サイトはこちら。

今年は第8回で、京都府内の60の寺院が参加し10/1~29まで開催されています。知恩院や清浄華院などの有名なお寺だけでなく普段入りにくそうな街中の檀那寺(檀家で支えられるお寺)も参加しており、中には御朱印を頂けるお寺もあるため貴重な機会となっています。御朱印集めの目的であれば京都古文化保存協会の特別公開よりも貴重な機会ではないかと思います。
新型コロナウイルスの影響が小さくなったとはいえ、ご高齢のご住職が多いこともあり公開期間が短い寺院が多く、公式サイトにある公開リストを参考に回るのがベターです。御朱印の有無もリストに明記されていますので便利です。
今年は公開日が10/14の寺院が多いのですが、残念ながら行くことができないので10/7に回ってみましょう。この日の公開寺院はあまり多くないので他の宗派の寺院も含め回ってみたいと思います。
スタートはJR京都駅から。

京都駅周辺には東西本願寺がありますが、いずれも御朱印を頂けない宗派です。なので普段はパスしてすぐ地下鉄に乗るのですが、駅から北西のエリアにはいくつか御朱印を頂ける宗派のお寺があります。
まずは住宅地の中にひっそりある本光寺から。

幕末の志士・伊東甲子太郎最期の地です。伊東は常陸の志筑藩士の家に生まれ、のち新撰組に入隊、参謀格として活躍したものの佐幕派の新撰組とは考えが合わなくなり脱退し御陵衛士を結成します。しかし新撰組からすれば裏切りになるため坂本龍馬が暗殺された近江屋事件の3日後に当たる1897年12月13日に本光寺の門前で新撰組により斬殺されます。
新撰組はさらに伊東の遺体を油小路七条の路上に放置し、御陵衛士をおびき寄せて襲撃するというロシア並みの手口でさらに犠牲者を増やしています。
伊東は当時本光寺の門前にあった「南無妙法蓮華経」の題字碑にもたれかかるようにして絶命したそうで、この題字碑は現在境内に移され祀られています。

本光寺の御首題です。季節に合わせ様々な御首題を出しているようですのでご確認の上で出かけるといいと思います。
さらに西に行き、堀川通りの先に宗徳寺があります。

15世紀初頭頃に行阿上人によって創建された西山浄土宗の寺院です。その後南慶和尚が紀伊の淡島神社の神様を勧請し、女性の守り神として信仰を集めています。

その後神仏分離で寺となりましたが、粟島神社は粟島堂となり、明治末期に建てられたお堂が今に残っています。

人形を納めたお堂もあります。

宗徳寺の御朱印です。
七条通りまで北に歩き猪熊通の先に豆餅の「ふたば」があります。

実はこちらは「七条ふたば」といいます。京都にはあまりにも有名な「出町ふたば」がありますが、関係があるのかと言うと・・・こうなります。
元々は1865年(慶応元年)創業の四条堀川「ふたば総本舗」というお店がルーツです。「ふたば総本舗」は餅菓子で評判となり、こちらで修行し1899年(明治32年)に独立したのが「出町ふたば」、さらに「出町ふたば」から1931年(昭和6年)に独立したのが「七条ふたば」です。
残念ながら「ふたば総本舗」は2012年に突然閉店し147年の歴史に幕を閉じましたが「豆餅」は各店に受け継がれ現在に至っています。
ご覧の通り出町名物の小一時間かかるアホみたいな行列はなく、すっと買えます(出町も電話で予約すりゃ待たなくてもいいのですが)。私は「出町」の豆餅は3桁個数食べていますので目をつぶっても違いが分かりますが、赤エンドウの塩味が薄いのと餅の食感が一般的な餅に近い特徴があります。出町の餅は羽二重餅に近く、こしあんと赤エンドウの塩味との味のコントラストが絶妙で、やはり違うのだと思います。ただし出町のものは赤エンドウが固くなるまでの数時間がやはり賞味期限だと思います。
もちろん七条の豆餅も非常に美味しくJR京都駅からも徒歩圏にありますので、頭の中に入れておくといいと思います。
続きます。御朱印情報は最後にまとめてご紹介します。

今年は第8回で、京都府内の60の寺院が参加し10/1~29まで開催されています。知恩院や清浄華院などの有名なお寺だけでなく普段入りにくそうな街中の檀那寺(檀家で支えられるお寺)も参加しており、中には御朱印を頂けるお寺もあるため貴重な機会となっています。御朱印集めの目的であれば京都古文化保存協会の特別公開よりも貴重な機会ではないかと思います。
新型コロナウイルスの影響が小さくなったとはいえ、ご高齢のご住職が多いこともあり公開期間が短い寺院が多く、公式サイトにある公開リストを参考に回るのがベターです。御朱印の有無もリストに明記されていますので便利です。
今年は公開日が10/14の寺院が多いのですが、残念ながら行くことができないので10/7に回ってみましょう。この日の公開寺院はあまり多くないので他の宗派の寺院も含め回ってみたいと思います。
スタートはJR京都駅から。

京都駅周辺には東西本願寺がありますが、いずれも御朱印を頂けない宗派です。なので普段はパスしてすぐ地下鉄に乗るのですが、駅から北西のエリアにはいくつか御朱印を頂ける宗派のお寺があります。
まずは住宅地の中にひっそりある本光寺から。

幕末の志士・伊東甲子太郎最期の地です。伊東は常陸の志筑藩士の家に生まれ、のち新撰組に入隊、参謀格として活躍したものの佐幕派の新撰組とは考えが合わなくなり脱退し御陵衛士を結成します。しかし新撰組からすれば裏切りになるため坂本龍馬が暗殺された近江屋事件の3日後に当たる1897年12月13日に本光寺の門前で新撰組により斬殺されます。
新撰組はさらに伊東の遺体を油小路七条の路上に放置し、御陵衛士をおびき寄せて襲撃するというロシア並みの手口でさらに犠牲者を増やしています。
伊東は当時本光寺の門前にあった「南無妙法蓮華経」の題字碑にもたれかかるようにして絶命したそうで、この題字碑は現在境内に移され祀られています。

本光寺の御首題です。季節に合わせ様々な御首題を出しているようですのでご確認の上で出かけるといいと思います。
さらに西に行き、堀川通りの先に宗徳寺があります。

15世紀初頭頃に行阿上人によって創建された西山浄土宗の寺院です。その後南慶和尚が紀伊の淡島神社の神様を勧請し、女性の守り神として信仰を集めています。

その後神仏分離で寺となりましたが、粟島神社は粟島堂となり、明治末期に建てられたお堂が今に残っています。

人形を納めたお堂もあります。

宗徳寺の御朱印です。
七条通りまで北に歩き猪熊通の先に豆餅の「ふたば」があります。

実はこちらは「七条ふたば」といいます。京都にはあまりにも有名な「出町ふたば」がありますが、関係があるのかと言うと・・・こうなります。
元々は1865年(慶応元年)創業の四条堀川「ふたば総本舗」というお店がルーツです。「ふたば総本舗」は餅菓子で評判となり、こちらで修行し1899年(明治32年)に独立したのが「出町ふたば」、さらに「出町ふたば」から1931年(昭和6年)に独立したのが「七条ふたば」です。
残念ながら「ふたば総本舗」は2012年に突然閉店し147年の歴史に幕を閉じましたが「豆餅」は各店に受け継がれ現在に至っています。
ご覧の通り出町名物の小一時間かかるアホみたいな行列はなく、すっと買えます(出町も電話で予約すりゃ待たなくてもいいのですが)。私は「出町」の豆餅は3桁個数食べていますので目をつぶっても違いが分かりますが、赤エンドウの塩味が薄いのと餅の食感が一般的な餅に近い特徴があります。出町の餅は羽二重餅に近く、こしあんと赤エンドウの塩味との味のコントラストが絶妙で、やはり違うのだと思います。ただし出町のものは赤エンドウが固くなるまでの数時間がやはり賞味期限だと思います。
もちろん七条の豆餅も非常に美味しくJR京都駅からも徒歩圏にありますので、頭の中に入れておくといいと思います。
続きます。御朱印情報は最後にまとめてご紹介します。