辺見じゅん著「収容所からきた遺書」を読了。
どこかで感動したという種類の書評を読み、購入しました。その後長く本棚に読まずに置きっぱなしにしていたのですが、ようやく手にとりました。
読みだしたら止まらず、一夜を挟んだ2日で読了。その夜も、読了した日の夜もかなり長く、本の内容が頭の中に残り、いろいろと考えてしまいました。
私は本を読む前にはその本についてのあらすじなど読まず、前知識なく読むほうです。そういうこともあり、またこの本のタイトルを「ラーゲリから来た手紙」を間違って思いこんでおり、後半まで主人公が死亡するのかどうか知らず、どういう展開になるのかとはらはらしながら読みました。(ラーゲリは収容所をさすロシア語でタイトルにもルビでふってあります。)
内容は、第二次大戦後シベリア抑留された山本幡男氏についてのノンフィクションです。
私はシベリア抑留ということについては聞いたことがありましたが、実際のところよく知らなかったことに愕然としました。
本の最初にソ連の地図があり、どこに収容所があったかとどれほどの規模であったかがわかるようになっています。収容所は、シベリアだけではなく、ソ連各地に広がり、モンゴルやモスクワ近郊、カスピ海近くまで全土に散らばっていました。日本人収容者数が2万人以上の町、1万人以上の町があちらこちらにあります。その数計65万人、そのうち1割が帰らぬ人となりました。抑留期間は最長11年。山本幡男氏はこの最長組の仲間でした。
収容所の生活がいかに厳しく、非人間的だったことが描かれるとともに、山本幡男氏が俳句の句会を主催し、仲間と共に俳句を作り、人間らしさ、日本人らしさを見失わず、仲間を元気づける存在だったかが描かれています。
ほんとうに最後は感動の話です。現実にあったことですが、すごいロマンでドラマな話です。
収容所という、食べ物も黒パンだけのようなひもじい生活で、毎日労働が課され、冬には零下40度という鼻が凍る寒さで、時には殴られ、衛生状態も悪く、自由に物を書いたり読んだりすることが許されない場所で、いつ日本に帰れるかもわからず過ごす日々は耐え難いものだったと思います。そんな中でも、
「ぼくはね、自殺なんて考えたことありませんよ。こんな楽しい世の中なのになんで自分から死ななきゃならんのですか。生きておれば、必ず楽しいことがたくさんあるよ」
と言って、彼はニッと笑える心の持ち主でした。
病気が悪化していった頃には、「結局ね、パトスだけがわれわれ人間にとって最初の審判者であり、また最後の審判者なんだ。そう思えてきたよ」と言ったりしています。
本の中には、仲間たちの俳句、彼の詩、文章、そして遺書がおさめられています。それらを日本に持ち帰ることにどんな努力が必要だったのか、また、俳句や詩を読むと、収容所生活の過酷な心情がびしびじと伝わってきます。
満州から引き揚げの話や収容所生活の話を読むと、私のような病気持ちはいちばん先に死んでいくしかないなと痛感します。終戦から70年弱の今、自分が平和な国で不自由のない生活をしていることに心から感謝の気持ちが沸いてきました。
二度とこんなことが起こらないようにと思う一方で、実は世界の他の地域に目を向ければ、シリアやアフリカ一部などでは今も過酷な生活をせざる負えない状況にいる人々が多くいることを思い、やるせない気持ちにもなりました。
読んでよかったと思った一冊でした。
日曜日ですが、微熱があり少しダウン中。風邪がまだぐずぐずしている様子です。
どこかで感動したという種類の書評を読み、購入しました。その後長く本棚に読まずに置きっぱなしにしていたのですが、ようやく手にとりました。
読みだしたら止まらず、一夜を挟んだ2日で読了。その夜も、読了した日の夜もかなり長く、本の内容が頭の中に残り、いろいろと考えてしまいました。
私は本を読む前にはその本についてのあらすじなど読まず、前知識なく読むほうです。そういうこともあり、またこの本のタイトルを「ラーゲリから来た手紙」を間違って思いこんでおり、後半まで主人公が死亡するのかどうか知らず、どういう展開になるのかとはらはらしながら読みました。(ラーゲリは収容所をさすロシア語でタイトルにもルビでふってあります。)
内容は、第二次大戦後シベリア抑留された山本幡男氏についてのノンフィクションです。
私はシベリア抑留ということについては聞いたことがありましたが、実際のところよく知らなかったことに愕然としました。
本の最初にソ連の地図があり、どこに収容所があったかとどれほどの規模であったかがわかるようになっています。収容所は、シベリアだけではなく、ソ連各地に広がり、モンゴルやモスクワ近郊、カスピ海近くまで全土に散らばっていました。日本人収容者数が2万人以上の町、1万人以上の町があちらこちらにあります。その数計65万人、そのうち1割が帰らぬ人となりました。抑留期間は最長11年。山本幡男氏はこの最長組の仲間でした。
収容所の生活がいかに厳しく、非人間的だったことが描かれるとともに、山本幡男氏が俳句の句会を主催し、仲間と共に俳句を作り、人間らしさ、日本人らしさを見失わず、仲間を元気づける存在だったかが描かれています。
ほんとうに最後は感動の話です。現実にあったことですが、すごいロマンでドラマな話です。
収容所という、食べ物も黒パンだけのようなひもじい生活で、毎日労働が課され、冬には零下40度という鼻が凍る寒さで、時には殴られ、衛生状態も悪く、自由に物を書いたり読んだりすることが許されない場所で、いつ日本に帰れるかもわからず過ごす日々は耐え難いものだったと思います。そんな中でも、
「ぼくはね、自殺なんて考えたことありませんよ。こんな楽しい世の中なのになんで自分から死ななきゃならんのですか。生きておれば、必ず楽しいことがたくさんあるよ」
と言って、彼はニッと笑える心の持ち主でした。
病気が悪化していった頃には、「結局ね、パトスだけがわれわれ人間にとって最初の審判者であり、また最後の審判者なんだ。そう思えてきたよ」と言ったりしています。
本の中には、仲間たちの俳句、彼の詩、文章、そして遺書がおさめられています。それらを日本に持ち帰ることにどんな努力が必要だったのか、また、俳句や詩を読むと、収容所生活の過酷な心情がびしびじと伝わってきます。
満州から引き揚げの話や収容所生活の話を読むと、私のような病気持ちはいちばん先に死んでいくしかないなと痛感します。終戦から70年弱の今、自分が平和な国で不自由のない生活をしていることに心から感謝の気持ちが沸いてきました。
二度とこんなことが起こらないようにと思う一方で、実は世界の他の地域に目を向ければ、シリアやアフリカ一部などでは今も過酷な生活をせざる負えない状況にいる人々が多くいることを思い、やるせない気持ちにもなりました。
読んでよかったと思った一冊でした。
日曜日ですが、微熱があり少しダウン中。風邪がまだぐずぐずしている様子です。