20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
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『やぶ坂に吹く風』(高橋秀雄著・小峰書店刊)

2008年10月29日 | Weblog
 古くからの友人である作家の高橋秀雄さんから新刊をご恵贈いただきました。
 この『やぶ坂に吹く風』は、前作『とうちゃん』の続編で、1950年代の栃木を舞台に書かれた物語です。
 映画「三丁目の夕日」に代表されるように、昭和ブームなどと言われていますが、この作品はそんな安っぽいカテゴリーでは括れない、いえ、そんなものをまるでねじ伏せるかのように「あの時代」を、「あの時代を生きる人間」を掴み取っています。
『やぶ坂に吹く風』を読んでいると、文章から人間たちの息づかいが立ち上がってきます。貧しさやひもじさに立ち向かう人びとの明るさと力強さが、まるで生身の人間がそこにいるように、細部のひとつひとつからすざましいリアリティで迫ってきます。
 作家というのはある意味、人間を見つめる観察者であるのかもしれません。
 
 文藝評論家の斉藤美奈子さんが、朝日新聞の「文芸批評欄」にこんなことを書いています。

 こうしてみると、小説におけるリアルって何だろうという疑問に改めてぶち当たる。「こんな小説を書いちゃおーっと」くらいのノリでできた小説。だけどそのノリが、いまのリアルなのである。「本当の私」なんてどこにもいない、それが現代のリアルなんだから。

 斎藤美奈子さんは、日ごろ私も注目している評論家です。現代という時代を読み解く、的確かつおもしろい評論を論じているからです。
 ですから彼女のこの論も、ある意味とてもよくわかります。
 一筋縄ではいかない「今を生きる人間」の内面を描く困難さを前に。
「リアル」って何だろう。
 これはまさに、現代のブンガクの闇のひとつなのかもしれません。
 リアルであるがゆえに、一直線に人間を描かず敢えてそらして書く。
 これも、「いまのリアル」を描くための手法のひとつかもしれません。
 クドカンのドラマなどを見ていると。

 けれど、この『やぶ坂に吹く風』の主人公の良夫と、義父、祖母、母の関係を読んでいると、「リアル」というのは、こういった繊細さ。日々の困難さのなかで、他者をどれだけ意識して、こだわり、繊細に思う気持ちを描くことなのではないかと思わされてきます。
 そしてこの作品は、いまに通じるそういった関係の繊細さをきちんと描いていて、それが「リアル」になっているのです。
 小手先の手法など蹴散らすほどのリアリティで。
 家族や他者を見る視点の確かさで。

 皆さん、どうぞお読みになってください。

コメント (2)
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