20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
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子ども時代の写真

2020年05月28日 | Weblog

             

             

 いちじ、Facebookで、子どもの頃の写真を公開する、と言うのが流行っていました。

 blogネタ切れなので、昭和の分厚いアルバムから、昔の写真を、見つけ出しました。

 

 一番上は、小一の頃の私。

 その下は、姉と私です。小二と中一。

 箱根へ旅行したときの写真です。

 

   姉も私も、お洋服を、自分たちで「こんな、感じ」とイメージを話して、洋裁屋さんに作っていただいておりましたが、同じ布で、姉は開襟襟、ベルト付き。私は丸襟、ベルトなし。

 色は、確か、淡いブルーで、デザインがちょっと違うだけの、お揃いのワンピースです。

 まだモノクロ写真の時代です(笑)。

 

 そういえば、夏休みにはいつも、宝塚歌劇団を見に連れていってもらっていました。

 あの頃はまだ、レッドアロー号もなく、秩父から秩父線で熊谷に出て、高崎線で上野に行きました。

 上野まで、片道、2時間半くらいかかった時代のお話です。

 山手線の中から「見る角度によって、煙突の本数が違って見える。あれが、お化け煙突だよ」と父に教えられ、有楽町に出て、銀座へ行って・・・。

 父は、私たちに本物を見て、感じて欲しいと思っていたようです。教育パパであればこその、毎年の、夏休み・体験東京旅行でした。

 お留守番をしていた、まだ小さかった弟と、母と、祖父母には、いつも永藤の「たまごパン」を、お土産に買って帰りました。

 

 父は、当時、たぶん、秩父では早い方だったと思いますが、ニコンの8ミリフィルムカメラと映写機を持っていました。

 それで、私たち子どもたちの日常などを撮っては、わざと後ろ回しに流し、みんなを大爆笑させたり・・・。

 PTAの会長をしていたので、私が6年生の時は臨海学校にも同行してくれました。そして帰ってきてから、学校の体育館で、その時の様子を写した、映写会をやってくれました。

 ま、いろいろありましたが、私たち姉弟は、父から、とても愛されていたと、それだけは今でも、確信しています。

 

 弟や、従兄弟や、姉(少女時代の写真を公開しちゃった。ごめんなさい)・・・。

 親戚のみんな、このblogの写真を見て、なつかしがってくれているかな。

コメント (6)
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