一昨日、雨上がりの公園を歩いていたら、花菖蒲の水辺に、ゴイサギがひとり佇んでいました。
なかなか、絵になる光景です。
夜行性のゴイサギは、ときどき、こうして人間たちの前に、平然とした顔で、すがたを見せます。
「あ、ゴイサギだ」なんて呟きながら、その悠然としたすがたを、人間たちはうっとり、ながめています。
一昨日、雨上がりの公園を歩いていたら、花菖蒲の水辺に、ゴイサギがひとり佇んでいました。
なかなか、絵になる光景です。
夜行性のゴイサギは、ときどき、こうして人間たちの前に、平然とした顔で、すがたを見せます。
「あ、ゴイサギだ」なんて呟きながら、その悠然としたすがたを、人間たちはうっとり、ながめています。
今夜は隔月の水曜日に行っている「be-子どもの本」という読書会です。
今月のテキストは、久々に児童書です。
『時速47メートルの疾走』(吉野万理子・講談社)。
『チーム』(学研)シリーズで爆発的な人気を博した、吉野さんのストーリーテラーぶりを、このところ注目していました。
この作品は、プロローグにはじまり、4つの短編連作で構成されています。
緊迫感のある人間同士の関係性が、とてもおもしろく捉えられています。
読みながら、かつて皿海達哉さんの書かれた『リレー選手木村利一』や『坂をのぼれば』が頭に浮かんできました。
スピード感のある、切れ味のいい短編です。
けれどなんといっても秀逸だったのが、ラストの短編「疾走する人」。
主人公と同じ痛み、同じ苦しさを感じながら、皮膚感覚で書き込んでいく。その徹底的に読ませる力には、感嘆します。
あとがきを読むと、どうやらこの短編が『小説新潮』に掲載されて、それをあとから、こうした短編連作としてまとめたようです。
それを知って、ラストの作品がいちばん良かったこともふくめ、いろいろが腑に落ちました。
さて、今夜はどんな意見が飛び交うでしょう。
雨の朝です。
さきほどは、雷もごろごろ鳴っていました。
食材がなくなってきたので、雨がやんだら、公園を歩いてお買い物です。
初夏の花々は、色とりどりでうつくしいです。
そんな花々のビタミンカラーに元気をもらい、今日も一日がんばりましょう。
今夜は神楽坂の出版クラブで、評論家の野上暁さんの出版をお祝いする会です。
このたび、日本ペンクラブ常務理事の野上暁さんが『子ども文化の現代史 遊び・メディア・サブカルチャーの奔流』(大月書店)をご上梓なさいました。
このご本のおもしろさは、戦後70年におけるサブカルチャーの歴史の系譜の魅力と、野上さんご自身の少年時代から、小学館の編集者となり、直接こうしたサブカルチャーと向き合って生きてこられた、そのご体験が折り折りに挟まれているところです。
野上さんと言えば、業界屈指の博学な方で、なにかお尋ねすると必ずきちっと論理的な返答をいただくといった、学問的知識の幅広さに、いつも驚嘆しておりました。
この作品では、紙芝居、漫画、アニメ、特撮モノ、妖怪・・さらには学習塾やディズニーなどなど、多様な子ども文化のサブカルチャーを系統的に解説しながら、細部で語られるご自身の体験・・・。
博学さと、人脈のひろさで知られる野上さんの、それらを細部で語りながら、社会学や民俗学への系譜としてひろがっていく世界。
わくわくするくらい、おもしろいです。
また、おまけの楽しみ方は、上野少年(野上さん)の子ども時代の、大きなつぶらなお目々の写真が出て来たり、カメラ小僧だった少年時代のこと。小学館編集者時代のお髭すがたの、野上さんのお写真。
長野・飯山での少年のころのこともはじめて知りました。
とにかく、型どおりのサブカルチャー論ではなく、そこに「人間」が描かれ、それらは戦後70年に、どう変遷していったか。
そのことを、しっかり学ぶことができます。
必読の一冊です。
どうぞ皆さま、お読みになってください。
今日はお昼から、自由が丘の中華料理店で、1月にご逝去された、評論家の上笙一郎さんを偲ぶ会です。
このお店は、上さんのご自宅からもお近くて、行きつけのお店だったそうです。
今年の1月、脳溢血で突然、81歳でお亡くなりになった上さんは、その一週間ほど前、児童文学者協会の合同ミーティングでお会いし、その後の飲み会でもお近くにお座りになっていらっしゃいました。
そのとき、同席したたくさんの皆さんも、突然のご逝去の報に驚かれたと思います。
上さんは81歳とは思えないお若さで、いつも背筋をピンとのばして歩いていました。
今日は奥さまである、女性史研究家で、ベストセラー『サンダカン八番娼館 底辺女性史序章』(筑摩書房)や『サンダカンの墓』(文藝春秋)などの作者である、ノンフィクション作家の山崎朋子さんもいらっしゃるそうです。
会社から派遣され、米国弁護士資格を取得をするため、大学院(ロースクール)に留学させてもらっている娘の夫の,卒業式が近づいています。
その卒業を祝うため、今、彼のご両親がアメリカを訪ねています。
今ごろ、○くんと♪ちゃんは、大喜びしていることでしょう。
アメリカの大学院の卒業式はガウンを羽織るとか・・・。
まるで『ハリーポッター』の世界みたいです。
そのあとは、家族も一緒に晩さん会だそうです。
うるわしき5月の佳き日に、彼は、ご両親、そして妻、息子、娘に見守られ、卒業式を向かえます。
アメリカでの生活も、あと10ヶ月足らず・・。
遠い日本から、私たちも祝杯をあげています。
〔写真はお借りしました)
この暑さで、もう公園の花菖蒲が咲いています。
こんなに気温の高い気候が続くと、植物も季節を勘違いしてしまうのでしょうか?
回りの花菖蒲は、まだ蕾もでていません。
この、バイオレットの花菖蒲。
花びらを開いてしまったものの、あたりを見回したら、ひとりぼっち。
そんな目でみるからかもしれませんが、なんだか身を縮めて咲いているように見えます。
ほんとうは、梅雨の頃の花なんですものね。
自然のまま、あるがままに、一生を送ることが、植物たちもむずかしい時代になっているようです。
今日は午後から、代々木のオリンピック青少年センターで「絵本専門士委員会」です。
第二期がそろそろはじまります。
高島屋で、世界各国の指貫展が行われています。
どの国のものも、メルヘンがあります。
指貫は欧米では結婚のお守りや女性に幸せをもたらすアイテムといわれており、金属製や陶器製の指貫はコレクターズアイテムとして人気があるそうです。
そのため、観賞用の指貫が数多く作られ、マイセンやウェッジウッドなどのものもあるそうです。
こういう小さい、コレクションがだいすきです。
今日はこれから5月の日本児童文学者協会の理事会です。
うっかりしておりました。
京都の「細見美術館」の淋派の展覧会が、月曜日まで日本橋高島屋で開催されていました。
写真を撮ってきておりましたが、忙しさで、そのままになっておりました。
桃山時代の京都画壇には、この淋派と、狩野派、そして長谷川派など、さまざまな絵師たちがいました。
先日「日曜美術館」で、「狩野派 革新がつむいだ400年の美」というのをやっていて、 長谷川等伯の生涯を描いた小説の作家(『等伯』で直木賞受賞)安部龍太郎さんも出演されていました。
桃山時代、日本美術を代表する巨匠を生み出した絵師集団「狩野派」は、絢爛豪華な障壁画を武器に、幕府の仕事を一手に引き受け、室町時代から400年にわたって画壇の頂点に君臨し続けた集団でした。
世界でも類を見ないといわれるその繁栄を支えたものは、一体何だったのか。そんな世界にとても興味がありました。
一方、淋派といえば、本阿弥光悦・俵屋宗達・そして尾形光琳へとつながっていく絵師たちです。
彼らは狩野派のように、組織で動くのではなく、個々に淋派という流儀を学びながら、それぞれが自分の世界を作り上げていった人たちです。
また長谷川等伯の一派もあってと、桃山時代とは言え京都画壇には、それぞれ違った立ち位置の絵師たちがいたわけです。
余談ですが、安倍さんは「長谷川等伯の息子が、狩野派の軍団養成所に入り・・」という長谷川等伯と狩野永徳との確執を作品に描いています。
淋派から外れてしまった書き込みになってしまいましたが、狩野派も淋派も等伯も、私は人間を描くという視点からながめた絵師たちのすがたにとても興味を持ちました。
今日のデザインコレクションは、お馴染み、エルメスです。
エルメスサイズのスカーフは、使い勝手がほんとうにむずかしいです。
もう少し小さければ、首に巻いたりいろいろ工夫できるのですが・・・。
ですから、今回も見るだけ。
ばたばたと忙しく、blogネタ切れです。