元旦はこの三本、
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(昔、新宿で三本立てを観、映画館を出て早朝の街中を帰って来たことがあった、ナー)。やはり映画は映画館で観るべきと思いつつ、五時間テレビの前にいました。
二日目はこれです、
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この映像はこちらから、
第16作は1975年12月、いつ頃からだったか正月は妻と「寅さん」を観にいくのが恒例になっていましたから、この映画もその頃に入ると思います。
そんなことを思い出しながら、この本を、
めくってみました、風天というのは寅さん渥美清さんの俳号です。特にこの頁、
山田監督へのインタビューは、この次の頁へと、
くなってしまった。でも、周りは残ってる。映画の観客や俳句を詠む人にとってはいつまでも生きている。それが渥美さんの生き方だったんじゃないかな」
「入れ子」とは寸法の違う同形の箱などを組み合わせ、大きなものに小さなものが重なって収まるようにしたものである。
「田所康雄はそーっと消える、彼はそれが理想だということを奥さんの正子さんに言っていたそうですね。いつの間にかいなくなって町で誰かが噂している。渥美清っていたなあ、どうしたんだって言うと、あれ、一昨年、死んだよ、ああそうかという消え方が理想なんだけれども、なかなかそうはいかない、『僕も一応現役だからマスコミに死んだということを知らせる前に骨にしておきなさい』と奥さんに言い置いて亡くなり、奥さんもそのとおりにした。大騒ぎして死ぬのがイヤだったんでしょうね」
「渥美さんは晩年のインタビューはいつも寅次郎の格好をしていた。世間には車寅次郎のままでいたい、田所康雄はみんなが気がつかないうちに消えてしまいたいという思いがあったんじゃないのかな」
渥美さんは「芝居も暮らしも贅肉がない人」と言われました。俳句も言葉を削ぎ落として作ります。
「短い言葉で本質や情景をスパッと言い切る。渥美さんはそれが非常に得意だった。まさしく俳人たる資格かもしれませんね。鮮やかな表現で人間や景色や天気を言い当てる。いいところだね、というのを実にうまく表現する。本質をえぐりとるような言い方、スパッと斬って切り口を見せてくれるような言い方」
それでいて余韻がある。
「そういえば、こんなことを思い出しました。『男はつらいよ』シリーズが十四、五回を超えたころかな、批評家にマンネリズムだ、と新聞にやたら悪口を書かれました。北海道のロケ先で林の中を渥美さんと二人きりで歩いているとき、ウン、バサバサと落ち葉を踏む音まで覚えていますが、僕は「とにかく僕たちは一生懸命作っている。それを批評家は何故わざわざ悪口を言うのか。気に入らない、評価しないと言うのなら無視すればいい。わざわざ書かないで欲しいと思うよ」とぼやいたんです。すると彼はこう言ったのです。
「作り手が自信を持ったときは、彼がどんなに謙虚であろうと努力しても、傍から見ればどこか傲慢に見えたりするもんなんです」
そんな言い方で慰めてくれた。僕は哲学者に話を聞いているような気がして、なるほどなあ、と感心したものです」
そんなことで、ほぼ1日哲学者にして俳人の田所康雄という人のことを読んでいました。それで三日目の昨日はこんなところへ飛躍して、
この本は直接田所康雄さんについての話ではありませんが、田所さんの死因が肺がんであったこともあって私のなかではつながってきて、今年は「がん哲学」にこだわりそうな予感がします。