いま25歳の孫が3歳くらいの時でしたから、20年以上前になります。
孫とその母親である娘とジジババの4人で、温泉に行こうと一泊の小旅行に。宿に着き一休みして温泉街を歩こうと出かけたのですが、私は腹が痛むからと部屋に残る事にしました。
その腹痛はその日だけでなく、2カ月くらい前から時々……。横浜で市内を歩いていて痛みが、トイレで座っていてもおさまらず我慢できず便器を囲むようにして床にうずくまったこともありました。
話は、それほどまでになっても、腹痛原因は腸のどこかにガスが溜まった結果だと思い込んでいたのです。ですから妻たちには横になっていれば治るから、と言っていたのが街から戻ってきても寝てるし夕食も要らないということで、尋常ではない帰るかと言われましたが、起き上がることは出来たので、明日病院へということになりました。
翌日逗子市の病院に……、現在は病気の件一斎民医連の逗子診療所に相談するのですが、当時はその繋がりもありませんでした。行った病院が院長が不在だったかの理由で、診てもらえなかったのです。腹痛もなく別の病院へ寄ることもなく帰宅、翌日大きな病院で診て貰った方がいいと妻が言うので横須賀市立病院へ行きました。
それが死なないで済んだ選択で、年配の女医さんが下腹部を触って、
緊急手術! ヘルニアでした。
手術室から病室に戻って、女医さんが「あと半日遅かったら危なかったでしょう」と言われことは忘れません。
そしてもう一言、麻酔から目が覚めて医者が「40センチほど腸を切り取りました、見ますか?」の言葉と「見ません」と言った返事です。その後のことを考えてみると、見ておくべきだったと思うのです。
膀胱がんでは自分の膀胱内をレンズ通して見て、心臓の病では自分の血管の動きを画像で見ています。「自分」とはどういう肉体物なのか、内臓とは?腸とは?
頭の中の「自分」の素になっている「自分の構成物」、そこがどうなっているか、自分のものであるが自分には解らない、が前提です。それを解ったことにするのが「素人判断」でした。
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