kaeruのつぶやき

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手紙で 『資本論』 読み合わせ(1)

2023-01-26 13:28:46 | kaeruの『資本論』

友人Yさんとの「手紙で『資本論』読み合わせ」をはじめたことを昨日「つぶやき」ました。今日はそれへの返信で、手紙の下書き的なものを載せておきます。

 

Yさんへ、

「資本論」第一信読みました。相変わらずの読書力に敬意を表します。不破さんの『「資本論」全三部を読む』は各種の『資本論』への案内書のなかでは分かり易さは群を抜いていると思います。それにしてもあの大部な「『資本論』全三部」の理解の前提には、それを大きく大きく上回る『資本論』を全三部(12分冊)を読むことがあります、2002年の「代々木『資本論』ゼミナール」は一年間でそれをやってしまうことでした。とてもではないが私には不可能な難事業です。

確かにその数年前から始めて2017年秋まで読んできた『資本論』の通読中、『資本論』全冊と不破さんの『全三部を読む』の全冊も手元に置いていました。それなりに目を通して自分の説明分担のヶ所の該当部分は読み説明に役立てました。4人で進めた勉強会でしたから、大雑把に言って『4分の1資本論』でした。それでも最後のページを読み終えた時の達成感は今でも抜けていません。

達成感と共に『資本論』を「第一章」から逐次読み進めてきたことの効果というようなものを実感したのです。『資本論』を「はじめはむずかしい」という「始め」を、1960年代の宮川実先生の「資本論講座(第一部)」から、直近は不破さんの『全三部読む』まで何回も頭を絞った経緯が「良かった」という思いがありました。

それは「第三部」に入って諸現象を読み取る対象にした時、この現象の奥にあの「商品」や「価値形態」とか「貨幣やら資本」などが潜んでいることを見抜く目があったと感じたからです。「はじめ」を何回か読むことを通じて我が脳内に「顕微鏡や化学試薬」ではない「抽象力」が幾らかでも養われたのかという感慨がありました。

Yさんが手紙で自然科学と比較して「社会科学の分野では取組みがおくれている」と言われた「遅れ」とは、抽象力の会得に遅れがあるとか、その方面への意識的な努力に立ち遅れがあるということと思います。併せて重要なことは社会科学の独自の社会的位置です。『資本論 第1部』の「序言」でマルクスが経済学について述べている以下の言葉は、社会科学全体に通じることと考えます。

経済学の領域では、自由な科学的研究は、他のすべての領域におけるのと同じ敵に出会うだけではない。経済学が取り扱う素材の固有の性質が、自由な科学的研究に対して、人間の胸中のもっとも激しくもっとも狭小で最も厭うべき情念を、私的利害というフリアエを、戦場に呼び寄せる。(『資本論 第一部』第一分冊p14)

ここの部分を石川康宏先生の指摘を参考にしながら、解説的に記しておきます。

経済学は自然科学と違って、社会にある内部の対立や利害を明らかにしていく学問です。例えば労働者が資本家によって搾取されています、その内実は剰余価値の生産です、ということを明らかにすると……。

そんなことは資本主義の社会ではあり得ないのだ、労働者と資本家は相互に独立した契約関係であって対等な関係なのだ、と私的な利害が学問的に主張されます。

この後者の主張が一般的な世論としても浸透しているなかで、前者の論理を広げていくためには意識的な努力を重ねて行かねばなりません。その実践的取組みの根拠が、Yさんが強調している「運動の流れのなかで、すべての現実が有している肯定的理解は、変化=経過的側面=その否定を内包している」という認識です。運動の流れに身をおいてこそ、肯定的理解のなかからその変化に「否定的側面」を見出すことが可能であり、実践を通じての変化の促進が「否定」から「没落」への必然性に身をおいているという実感になるのです。

さらに書き加えられている「弁証法の批判的で革命的な本質がある」ということに同意するものです。その記述に日常生活で応えていく、その日常を意識におきながら「『資本論』のある日常」を心がけようと思います。

では、第二信をお待ちしてます。


手紙で 『資本論』 、 始めてみよう。

2023-01-25 23:52:46 | kaeruの『資本論』

1月16日に「『資本論』はじめます、YTと手紙風で……」と「つぶやき」友人へ手紙で「読み進める」こと書き送りました。友人Yから第一信が届き早速「13日から」不破さんの『「資本論」全三部を読む』の第一巻を読みだした、との内容です。それも今回で2回読了し今回で3回目との事です。

不破さんの『「資本論」全三部を読む』は『資本論』全三部を一年間で読んだ学習会(2002年)の内容をまとめた本で全7冊です。ですからYは既に全7冊を読み終わっているでしょう。それも第1冊を2回読んでいて今回で3回目となると後の6冊も2回読み終わっていることになります。これは頼もしいというか強敵というか、何れにしても私が読み進めるにあたって有難いことです、同時に「『資本論』を読む」は我が人生最後の機会でしょうが、その良き道連れが出来たということで楽しい学びの旅になる予感です。

さて第一信に自然科学に巨大とも言うべき発展に比し、社会科学の分野での取組みが遅れていることへの危惧が言われています。ここを目にして23日に

 科学的思考の発展と普及の日々が「世界中から戦争をなくす時代」に向かう日々である と「つぶやき」ました。

この科学的思考の二大分野=自然科学と社会科学=の現代社会での相違について深く考えることが『資本論』を読む姿勢の前提になるでしょう。その点に関して、『資本論』は経済学に言及しながら的確に述べています。

経済学の領域では、自由な科学的研究は、他のすべての領域におけるのと同じ敵に出会うだけではない。経済学が取り扱う素材の固有の性質が、自由な科学的研究に対して、人間の胸中のもっとも激しくもっとも狭小で最も厭うべき情念を、私的利害というフリアエを、戦場に呼び寄せる。 (『新版  資本論1』p14)

この部分を「石川康宏『資本論第一部』講座」で聴き取って下さい。

 

この講座を開き「2:06:00」位の画像が下の画面です。

 


『資本論』 柏木博さん式読み方。

2023-01-18 15:03:57 | kaeruの『資本論』

柏木博さんの「資本論」について、昨日のページをもう一度アップしてみます、

. ·

冒頭の「本を再読する楽しみ」を受けて「ゆっくり動き、ゆっくり物を見る」、そのつながりで『資本論』と『聖書』が読む本として紹介されています。柏木さんはこの本の後の方で、再び聖書とマルクスを読むことに触れています。

「死の受容と宗教」(p 230〜233)のなかで、

今、共同新訳の聖書を読んでいるのですが、これまで聖書自体をじっくり読んだ経験がなかったので、「ゆっくり」生きるならこれを読もう、と思ったまでです。この際、できるだけ時間のかかる書物を読もうと思っています。マルクスも、今読む人は多くないだろうけれども、もう一度きちんと読んでみよう、ということでは同じですね。

この後を本のページで読んで下さい。

   

「文字に身をまかせる」読書姿は聖書を読む人の姿を思い浮かばせます。私の実生活にも精神生活にも聖書はありませんが、聖書を通じて解放感を得られるであろうことに同感できます。そしてエンゲルスが「『資本論』が「労働者階級の聖書」と呼ばれている」と言及していることに繋がるかと考えます。

「文字に身をまかせる」とは文章の流れに同化している姿です、文章の向かう論理の方向に己を向かわせる心地良さに解放感があります。そしてその解放感を他者と共有する楽しみが教会で聖書を読むこと、学習会で資本論を読むことではないでしょうか。


「資本論」 はじめます、 YTと手紙風で……。

2023-01-16 18:42:55 | kaeruの『資本論』

石川康宏さんのYTによる「資本論を学ぶ」が昨年12月18に最終回の8回目を終えた時、この講義を手掛かりに、

『資本論』第1部第1分冊に目を通そうと思います、年内にはその第一回目を……。

二つの最終回、 そこからの始まり……。 - kaeruのつぶやき

と「つぶやき」ましたが、「年内に」を「この一月に」に替えて目を通そうと思います。

先日友人Aに「資本論」の学び直しをしましょう、と手紙で記したのですが彼が「家人の病気で家を離れられないが、学び直しは是非やりたい、手紙ですすめたい」との返信がありました。このブログに目を通してくれてる人でしたら「手紙でなくメール等で……」と考えるでしょうが、友人はまったくのネット無縁族です。それでも「資本論」を通じて社会の法則的発展に通じ得るという確信は揺らいでいません。

歳は1つ下ですから、この大きな理論書に取り組むのは人生最後の挑戦でしょう、お互いに。

「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」を持ちだして思いを語ることも高齢者としては相応しいでしょう。

このYTは、去年の2月に神戸女学院大学教授だった石川康宏さんが『資本論』全三部への入門講座としてもたれたものです。そのあと4月から8回に渡り第一部を講義されています。

友人Aが諸困難を抱える生活のなかで資本論を読み進めることは、マルクスが生活の諸困難のなか社会変革運動の推進者指導者としての立場を堅持しつつ、社会の変革的発展の法則性を探求し抜いた生涯に応えることになると返信手紙に書き、それは私自身への声掛けとしました。

近年の『資本論』研究の大きな発展は、日本共産党の綱領改定に反映され『新版 資本論』として結実し、その水準を視野におき『資本論』を読み進める喜びを与えてくれます。


二つの最終回、 そこからの始まり……。

2022-12-19 18:54:11 | kaeruの『資本論』

こんなに怠けていたのか、と思いつつ「つぶやき」開始です。

鼻水で小さな屑入れですが3回もテッシュで一杯にしてグズグズしていました。でも熱が出るわけでもなく、汗もそれほどかかず過ぎました。怠け病だけですんだのは、怠け神様の御利益だと感謝しています。

さて……、

昨日18日、タイトルのようにまずは「鎌倉殿の13人」が第48回目で最終回、これはまあ全国的に知られたことです。もう一つはこちら、

『資本論』第一部の講義の8回目で最後の回です。

「鎌倉殿の13人」は説明する必要はないので、この意義について……。

もちろん『資本論』については鎌倉殿以上に説明無用でしょう。今年の4月に第1回が始まり月1回の割合で参議院選の6月を外して、12月まで8回、第1部の講義でした。

タイトルで「それからの始まり……」と書きましたのは、「資本論」の方で言うと講師の石川先生の言葉です。1部が終われば2部ヘ、「2部の講義」の予定が語られると思いもしたのですが、そうではなく、

と言うことなんです。

そこでkaeruとしても「第1部を読み返す」、この講義の4月の第1回に戻りYouTubeを手掛かりに『資本論』第1部第1分冊に目を通そうと思います、年内にはその第一回目を……。

『資本論』の方はそうやって始めたとしても、「鎌倉殿」の方は? 

これも考えてみました、続「鎌倉殿」はどうなるのか、と……、やはり泰時を追わなければと思います。頼朝から始まった「13人」時代は、泰時に繋げる一時代で鎌倉時代のスタート時代だったのではないでしょうか。この大河ドラマを見る前の私の「鎌倉」と言えば頼朝より義経が大きい存在で、その二人以外で名前の上がるのは時宗と日蓮でしょう。

そんな頭に和田の地名と三浦一族の何人かが入り込み、三浦半島規模の広がりがアップされました。鎌倉というかっての首都の一軒おいた隣に住んでいるのですから、地の利をいかして日本史の重要な転期であった鎌倉時代を生き生きと理解するのは隣人としての利点でしょう。

この本を図書館から借りて読みだすことから始めましょう、多分新年から……。 

北条泰時 - 株式会社 吉川弘文館 安政4年(1857)創業、歴史学中心の人文書出版社

北条泰時 - 株式会社 吉川弘文館 安政4年(1857)創業、歴史学中心の人文書出版社

 

 

ここに見る衝撃波——資本主義と『資本論』、 そして……。

2022-10-08 00:40:21 | kaeruの『資本論』

まず『資本論』の発した衝撃波からしゃべります、これです。

これは雑誌「経済」の今年5月号のp39のコラム欄ですが、155年前に発せられた『資本論』第1巻発行を起点して世界に発せられた衝撃波の軌跡のひとつです。ここに書かれているU・ヘルマン氏なる人の著書『スミス・マルクス・ケインズ よみがえる危機の処方箋』がこれです、

こちらで試し読みができるのでどーぞ、

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『資本論』は世界に発した理論的衝撃波ですが、こちらは大規模噴火により世界中を駆けめぐった衝撃波の映像です。

もし歴史家が映像を駆使して18世紀の産業革命に端を発した資本主義の形成発展を映像化したら、地球全域をめぐり資本主義一色に塗り尽くしていった状況を見せてくれるでしょう。同時にその映像のなかに利潤第一主義色の反対色を見始めるのが『資本論』発行以降、世界的に広がりだす労働者階級の姿です。『資本論』を主にした科学的社会主義理論と労働者をはじめとする人々の、資本主義社会を通じて次の社会を目指す運動は資本主義の行き詰りを克服して行くに違いありません。

こう呟いている時iPadに送られてきたこの映像は、衝撃的です。旧統一協会の行き詰まりつつある姿とそれを追い詰めている当事者をはっきりと示してくれています、どちらが悪いか、正しいか❗️

 


この世の 「未来社会論」 その1

2022-09-27 17:43:38 | kaeruの『資本論』

今回もワイコマさんのコメントに繋がったタイトルです。昨日の「つぶやき」のIUU漁業に関連してこの世に盗人の種が尽きないことを、石川五右衛門の辞世の句をひいて嘆かれたのです。まったくその通りですが、それでは五右衛門の逝った先のあの世では盗人はどうしているのだろうと気になりました。

統一協会によれば、霊界にいる先祖の苦しみを消滅するため「解怨献金が必要である」そうです。これは韓国ではじめられたことでしたが、日本にも「地獄の沙汰も金次第」とあります。石川五右衛門が大盗人になったのは統一協会的に考えれば、解怨献金を子孫に負わせないため、自ら稼ごうとしたのでしょう。閻魔大王の前に千両箱を積み上げ「袖の下などケチなことはしねえ」と叫びが聞こえる気がします。

こんな連想の先に、マルクスのこの世の先(あの世ではなく)未来社会をどう考えていたのか覗いてみたくなりました。そこでこの本、

目を通していたら、 ここに4年前の今日(2018年9月27日)の日付けが……。中国社会科学院の『馬克思(マルクス)主義月刊』の18年9月27日号に載っている不破哲三さんへのアンケートへの回答全文です。

このアンケートへの回答は、

「『共産党宣言』と日本共産党の発展 ——『共産党宣言』一七〇周年を記念する「中国社会科報」への回答——

という表題です。全文で14ページです、今日は写真のp210と次ページを載せます。

今年(二〇一八年)七月、中国の社会科学院から、『共産党宣言』 一七〇周年を記念するアンケートが、日本共産党の不破哲三社会科学研究所所長に寄せられていました。そのアンケートへの回答が、中国社会科学院の社会科学報『馬克思(マルクス)主義月刊』一八年九月二七日号に、「『共産党宣言」と日本共産党の発展」という表題で掲載されました。そのさい、インタビュー形式にしたり、質問の順序を変更するなど、編集の手が若干加えられていますが、本紙では回答の原文を紹介します。(見出しは編集部)

 日本共産党の創立と『共産党宣言』

 第一に、『共産党宣言』と日本共産党との根源的な関係についてお聞かせください。
 すなわち、『共産党宣言』がどのように日本に伝わってきたのか、後世の人々が振り返るのに値する、かつハイライトとなる歴史を重点的に語ってください。日本共産党員にとって、『共産党宣言』に初めてふれた時、この著作をどのように認識したのでしょうか。当時の日本共産党員の思想状況はどのようなものだったのでしょうか。

 不破 社会主義運動の先覚者たちは、二〇世紀早々から、『共産党宣言」を読んで発言していますが、その日本語訳が最初に刊行されたのは、一九〇四年一一月でした。 社会主義者の堺利彦と幸徳秋水の共訳で、 日露戦争反対の論陣をはっていた平民新聞に掲載しました。しかし、この号は政府によってただちに発売を禁止されました。
 堺利彦は、その二年後の一九〇六年、雑誌 『社会主義研究』を創刊、その第一号に『共産党宣言』の全文を掲載しましたが、発行部数の少ない研究雑誌だったためか、これは発売禁止の弾圧をうけず、戦前の日本で、『共産党宣言』が合法的に刊行された唯一の日本語訳となりました。
 とくに、一九二二年に日本共産党が創立されて以後は、言論出版面での弾圧はいよいよ強烈となりました。一九二八〜三五年に、多くのマルクス主義研究者の協力によって、『マルクス・エンゲルス全集』(全三二冊)が発行され、世界的にも戦前唯一の全集となりましたが、ここでも『共産党宣言』だけは、収録を許されませんでした。
 しかし、言論弾圧のこの体制のもとでも、非合法での『共産党宣言』の出版はくりかえしおこなわれ、手から手へという方法で流布され、そこに記された革命理論は、多くの先進的な人々の共有財産となりました。このことが、一九二二年七月の日本共産党創立への大きな力となったこ
とは、言うまでもありません。

今日2022年9月27日は安倍元首相「国葬」の日でした。このような国民の意思表示と運動を通じ、選挙運動を通じて着実に未来社会へ接近していきます。

今日の行動については、

 

 


IUU漁業と『資本論』

2022-09-26 20:04:24 | kaeruの『資本論』

夕食に刺身が出ていましたからIUU漁業であり、昼間 “新版 資本論を学ぶ” を見ていましたのでこのタイトルになりました。

IUU漁業については、

知っていますか?「IUU漁業」が世界中で問題に。【3分で解説!】 - クローズアップ現代

知っていますか?「IUU漁業」が世界中で問題に。【3分で解説!】 - クローズアップ現代

世界的な問題になっているIUU漁業。世界第3位の水産物輸入大国の日本にとっても他人事ではありません。IUU漁業について解説します。

クローズアップ現代 - NHK

 

海上での奴隷労働の実態が告発されています、そういう労働の「実績」であるマグロが日本の市場に出回っているだろう、との話でした。この「クローズアップ現代」をご覧下さい。

そして、「資本論」の方は、石川先生の講座のなかの、

経過時間で「56:55」で紹介している『資本論』のなかの過労死の話です、

『資本論』ではこのページです、

一八六三年六月の最後の週、ロンドンのすべての日刊新聞は「単なる働き過ぎからの死”」という「〝センセーショナル〟」な見出しをつけた記事を掲載した。話題になったのは、非常に声望のある宮廷用婦人服仕立所で仕事をしていて、エリーズという感じのよい名前の婦人に搾取されていたメアリ・アン・ウォークリーという二〇歳の婦人服仕立女性工の死亡のことであった。 しばしば語られた古い物語が、いままた新たに発見されたのであって、これらの娘たちは平均して一六時間半、しかも社交シーズンには、彼女たちの「労働力」が思うように動かなくなると、ときおりシェリー酒やポートワインやコーヒーを与えて動くようにしておかれることによって、しばしば三〇時間も休みなしに労働するのである。ところで、時はまさに社交シーズンの最中であった。新たに外国からやって来たイギリス皇太子妃〔のちのエドワード七世と結婚したデンマーク王女アレクサンドラ〕の祝賀舞踏会用の貴婦人たちの豪華なドレスをあっと言う間に仕上げるという魔法が必要であった。メアリー・アン・ウォクリーは、他の六〇人の娘たちと一緒に、必要な空気容積のほとんど 13 もない一室に三〇人ずつとなって、二六時間半も休みなく労働し、 他方、夜は、一つの寝室をさまざまな板の仕切りで仕切った息詰まる穴の一つのなかで、一つのベッドに二人ずつで寝た。 しかもこれは、ロンドンの婦人服仕立屋のなかでは比較的よい方であった。メアリー・アン・ウォークリーは金曜日に病気になり、エリーズ夫人のおどろいたことには、そのまえに縫いかけの婦人服の最後の仕上げさえもせずに、日曜日に亡くなった。あまりにも遅く死の床に呼ばれた医師キーズ氏は、「検死陪審員」の前で、率直に証言した――「メアリー・アン・ウォークリーは過密な作業室における長時間労働と、狭すぎる換気不良の寝室とのために死んだ」と。これにたいして、「〝検死陪審員〟」は、この医師に礼儀作法について教えをたれるために、 〔評決のなかで〕 次のように言明した――「死亡者は脳卒中で死んだのであるが、彼女の死が過密な作業場における過度労働などによって早められたものと懸念される理由がある」と。わが「白人奴隷は」と自由貿易主義者諸公コブデンおよびブライトの機関紙『モーニング・スター』は叫んだ、 「わが白人奴隷は墓場に入りゆくまでこき使われ、ひっそりとなえ果てて死にゆく」と。


「マルクスのことは明日に……」 の今日になって。

2022-09-04 22:24:25 | kaeruの『資本論』

「お帰り寅さん」と関連させて、「お帰りマルクス」とか「お帰り『資本論』」的なことを「つぶやき」ましょう、と考えていたのですが、今日この本を手にして「お帰りマルクス」と言う前に「マルクスは生きている」ことに言及しておかねば、と思ったわけです。

まずはこの本、

文字通り「マルクス生存証明書」なのです。寅さんの場合は「寅さんが生き返った」ことを証明する必要はないでしょう。マルクスの場合はそれが必要な理由を不破さんが、この本の「はじめに」でこう書かれています。

なお、本の発行されたのは2009年5月です。

はじめに

十八年前にソ連が崩壊したとき (一九九一年)、 「マルクスは死んだ。 資本主義万歳!」と、 勝ちどきをあげた人たちが一部にいました。

それから八年たった一九九九年、イギリスのBBC放送が、国内と海外の視聴者を対象 に、 「過去千年間で、もっとも偉大な思想家は誰だと思うか」というアンケート調査をおこないました。調査の結果は、カール・マルクスが圧倒的な第一位でした。 第二位はアイン シュタイン、 第三位はニュートン、第四位はダーウィンと、三人の自然科学者がそれに続き、資本主義をほめたたえた思想家は、一人も上位には現れませんでした。

そしていまです。さらに十年たった二〇〇九年、貧困と格差、金融と経済の危機など、 体制の根底をゆるがす暴風が資本主義の世界で荒れ狂っています。日本でも世界でも、「資本主義の限界」が実感され、「この世界の前途をどう見るのか。マルクスの意見を聞きたい」という声が広がっています。

マルクスは、 十九世紀に生き、活動した思想家です。 そのマルクスの意見が、なぜいま求められるのか。これまでにも、「マルクスは死んだ」という声が聞かれた時期は、現代の世界の歴史のなかで何回もあったことですが、マルクスは、そのたびによみがえりました。 なぜ、マルクスはいつもよみがえり、世界からその声が求められるのか。

その答えを見出す道は、マルクスの思想と活動をたずねる以外にはありません。この本は、その問題意識から、マルクスの真実の姿を読者に紹介しようとして書いたものです。マルクスはその思想も活動もたいへん多面的な人物ですが、私は、そこからマルクスの三つの顔をとりだしたいと思います。

それは、

唯物論の思想家・マルクス

資本主義の病理学者・マルクス

未来社会の開拓者・マルクス

この三つの顔です。さっそく、マルクスを紹介し、その目で現代の世界を見る仕事を、「唯物論の思想家・マルクス」の紹介から始めましょう。

(以下略)


マルクスと漱石の接点 ロンドン。

2022-09-02 18:40:04 | kaeruの『資本論』

マルクスと友だちになるかならないか、が問題ではない、ならば何が問題なの? と。それはマルクスについて特に『資本論』について不破さんと石川さんが言っている共通のことを知ることの大切さを問題にしたい、ということだなと自問自答しました。

すると、脇にあった何冊かの文庫のなかのこの本 が目につき、以前漱石が『資本論』を読んだか? というようなことを書いたものを思い出しました。

!

そこで「漱石 資本論」で検索してみて、こちら……

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平野喜一郎氏の「夏目漱石と『資本論』」今年はマルクスの『資本論』刊行150年です。 当方は、『資本論』に対し、どのような方がどの様か紹介をするか注目しているんですが...

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折角ですので全文記しておきます。

 今年は『資本論』第1部発刊150年、そして、夏目漱石生誕150年の年です。
 漱石は留学地の英国で『資本論』と出合い、購入しました。その本は東北大学付属図書館の「激石文庫」に保管されています。 1901、02年のロンドン滞在中、彼がその地で見たものは、すべてを支配する金力と「財産の不平均」「貧富の懸隔甚だしき」こと。 彼は義父への手紙にこのことを書き送り、マルクスの説について「今日の世界にこの説の出ずるは当然の事」とのべています。
 帰国後、日本も事情は同じだと考えました。07年8月、漱石は友人に送った手紙に次のように書いています。
 「細民はナマ芋を薄く切って……食って居る由。芋の薄切りはと択(えら)ぶ所なし。 残忍なる世の中なり。 而(しこう)して彼等は朝から晩迄(まで)真面目に働いている」。 ところが他方で、「岩崎の徒を見よ!!! 終日人の事業の妨害をして…三食に米を食っている奴等(やつら)もある。漱石子の事業は此等の敗(背)徳漢を筆誅(ひっちゅう)するにあり」
 三菱創業者の一族、岩崎への反感は同年の『野分』で噴出しています。 高柳君は思う。「岩崎の塀が冷刻(酷)に聳(そび)えている。 あの塀へ頭をぶつけて壊してやろうか」と。

     ———————————————

 三菱は戦前、絶大な支配権を持ち、軍国主義や戦争と深くつながった財閥のトップでした。諸財閥は1880年の官業払い下げによって政府から工場や鉱山をタダ同然で入手しました。 中でも三菱は特別でした。創業者の弥太郎は下級武士の郷士の資格さえ売って地下浪人となった岩崎家の出身です。江戸時代の豪商の流れをくむ三井住友・鴻池財閥と違い、 三菱は維新後、薩長政府と特別に結びついて西南戦争などに運送面で協力し、特別に政府の庇護(ひご)を受けました。
 そのため、佐渡金山、生野銀山、長崎造船所など、最も価値ある資産を払い下げられました。 三菱財閥こそ日本中の富が、貨幣と資本が集中した金力家でした。 漱石の怒りは当然でした。

 金力家への怒りが作品の底流にあります。 第一作『吾輩は猫である』(05年)では、金持ちの金田グループと苦沙弥(くしゃみ)先生のグループとの対立が物語を進行させています。 金田一党は物質的利害関係でつながった利益社会です。 他方、苦沙弥先生たちは学問や芸術を通じた人格社会です(滑稽に戯画化されていますが)。

    ———————————————

 利益社会を動かす利己心は、それを生み出す貨幣とともに、その後の作品の主要なテーマの一つです。 最後の未完作『明暗』(16年)では入院費や父からの送金など、 お金をめぐる利己主義が物語を進めます。『明暗』に大きく重い「経済学の独逸(ドイツ)書が出てきます。漱石は題名を挙げずに 『資本論』を登場させているのです。
 漱石の作品は文学論のほか、さまざまな学問分野から数多くの研究がなされています。加えて、『資本論』の視点から分析することでさらに新しい視野が開け、より豊かな漱石の世界が現れることでしょう。

    平野喜一郎(ひらの・きいちろう 三重大学名誉教授)