kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

蛙は両生類、 kaeruは両世類。 

2012-08-13 21:35:02 | どこまで続くかこのブログ
お盆の入り、お寺から坊さんが暑いなかをやってきて午前中にお経を
あげてくれました。
坊さんが来る前に、 仏壇に亡父母を迎えておかなければと、 朝迎え
火をしました。 普通は13日の夕方が迎え火なのでしょうが、寺の都
合で今日の午前中に来られます、その時までに迎えておかなければ
と朝の迎え火となったわけです。
 
やはり火と煙は暗くなった方がいいな、などと言いつつ煙に向かって
手を合わせました。 こういうことは理屈を並べる必要もないわけです
が、気持ちの問題ということでしょう。
そこがkaeruは両世類というところで、蛙が水中と陸上の両方で生き
る両生類であるならば、 kaeruはこの世とあの世の両方を大切にし
たいと思う意味で両世類です。とはいえ、霊界を信じるなどとは違い
ます。 あの世といっても 「この脳内と全神経によるあの精神世界」
ともいうべきものです。
 
昨夜のNHKのETV特集は 「沖縄の地上戦から67年、県内で生き残
った人たちに精神状態の聞き取り調査が行なわれている」 状況を報じ
ていました。 妹を背負って逃げるているとき、弾が背中の妹を貫通し
自分の身体をも貫いた。死んだ妹のことが最近思いだされる、と傷跡
をしめす老婆など、いままで生活に追われ精神的に抑えこまれていた
記憶が、高齢期になって甦って心身を苦しめるありさまが画面に映し
出されていました。
 
高齢期の身体に衰えがくるのは当然ですが、精神世界にもひび割れ
や歪みが生じ、下積みになっていた記憶が表面に出てくるのでしょう。
過ぎた日々は変えられないのですが、 そのような惨い記憶を自分に
残した事実の持つ意味を変えることは出来ます。
いま、沖縄の高齢者はオスプレイ配備反対などを通じて、おぞましい
事実に対決して自分の人生を意義あるものに、生きてきてよかった、
と実感できるものに変えようとしているのです。そういう爺婆の姿を子
・孫が見ています。
 
今日、私たち夫婦が仏壇に迎えた父母の人生に合掌するのも、そこ
に重なります。