落語の三題噺の三題は、土地と人と物だそうです、落語「芝浜」でいうと芝浜、酔っ払い、財布です。さてkaeruの三題噺、鼻と日本と宮本顕治がどうつながっているのか、つぶやきが出来ましたらご喝采のほどを……。
「鼻」は昨日の続きで心身の低調の原因は鼻にある、その外形ではなく奥にあるという診断で、それを怠け心の言い訳に今日も9時近くまで床に入っていました。起き出して遅い朝飯を終えて、手にしたのは芥川龍之介の「鼻」ではなく、宮本顕治の『「敗北」の文学』、これは分かりやすいでしょう。
鼻の病→芥川龍之介の「鼻」→芥川龍之介文学評論の宮本顕治、ここから日本沈没へどう繋がるかです、日本沈没が小松左京の『日本沈没』にすれば、繋がるのです。
『日本沈没』には、日本列島の地殻が激動し列島が沈没する事態に直面した政府首相の苦悩の様が描かれ、その後半(第5章 沈み行く国)にこういう場面があります。
「一つの人口的、経済的、歴史的に巨大な国家が、物理的に消滅しようとしている。……こんな途方もなく巨大は問題に直面した政治家があるだろうか?
この「決断」はーーひょっとしたら、自分の手にあまるかもしれない。……少なくとも手をつけることはしなくてはなるまいが、最後までやりとおせるだろうか? 途中で、自分よりももっと器の大きな、もっと気力のはげしい人物にひきついでいってもらったほうがいいのではないか?
だが、そいういう人物が、彼の知る範囲にいるだろうか?
ーーただ一人、目下着々と勢力を拡大しつつある少数野党の領袖の顔がちらりと浮かんだ。戦時中投獄され、戦後も陰惨きわまる内部闘争を粘りぬき、左右双方からあらゆる悪罵をうけながらがっちりと組織をきずき上げた人物だ。……」
この人物が当時(この本は1973年刊行)の日本共産党委員長・宮本顕治氏を想定したものでした。これが三題噺の種明かしですが、その途中で本棚から宮本顕治著『網走の覚書』(国民文庫・大月書店 1976年6月 第6刷)を引っ張りだしましたら、
宮本顕治さんのサインが挟まれていました。
「知は力」は宮本さんがよく色紙などに書かれたいたのはみましたが、表紙とカバーの間に挟まっていたので、全く気づきませんでした。なにかのおりにサイン会などあって買い求めたのかも知れません。
いずれにしてもこの時期に我が前に現れたのは、これを機に「知を力」という意味を真面に考えてみよ、という伝言でしょうからもう少し考えを進めてみます。