塩田平上室賀の前松寺には父母兄がそれ以前の仏様と一緒に入っています。このお寺さんについては以前「真田丸」放映中に「kaeruのつぶやき」でつぶやいたことがありました。
( https://blog.goo.ne.jp/kaeru-23/e/e86c633b4c76ef6443cd017f6b195d42#comment-list )
これは本の最終ページに載っている地図ですが、本の発行が昭和54年初版ですので道路などには変わりがあります、もちろん文化財の位置は変わりなしです。
田中清光さんの文から、
「鎌倉幕府が信濃守護職を塩田城におき、北条一族につらなる人々がここにやってきたのものも、この土地の重要さをみとめていたからであろう」
「塩田平の古い寺をめぐってみたおどろきは」として安楽寺、大法寺などの塔が当時の尖端的な建築だったり、「中央(関西)の建築技術、感覚がそのまま持ちこまれている」ことだ。
そして、「それにもましてこれらの塔が、いままで無傷で残ってきたことへのおどろきは大きい。作ったことへのおどろきもさることながら、これが残されてきたことに対するおどろきはその何倍も大きい」と。
更に、「これまでの塔を讃美した人々の目から、ともすれば欠け落ちていた大事なものが一つあると思われる。それはこうして塔を残してきたことをめぐっての、地元の無名の民衆たちの果たしてきた無言の役割である」と。
ここに「無言」の二字をみて「無言館」を思うのです。塩田平が「無言の地」だというのはその意味も含んでいたのかと思います。
さて「未完」の二字については言うまでもなく前山寺の三重塔、田中さんの筆では、
「この塔は、二、三層に扉も窓も勾欄もなく、ただ勾欄の骨格となる長い貫(ぬき)が突き出しているので、未完の塔とよばれているが、その未完のままの姿が、周囲の自然の風物とむしろよく共鳴している」と。
無言館の絵が戦没画学生の手によるもので、そのこと自体が絵の未完であることを示しています。
塩田平を「未完の郷」と呼ぶ所以です。