先週の木金は中学校時代の同級会で久し振りの信州の山の中の温泉での二日間でした。宴会のさなか「てんがらもんラジオは?」と思い、スマホでチドリさんのブログをのぞいたら、この絵がありました。
酔った目で見たこともあり、この「どん」が「西郷どん」の「どん」に思えて、古本屋と昭和と西郷どんがどういう風に結びついているのだろう、と頭の隅にあったのです。
醒(さ)めてみれば西郷どんはいないのですが、この「どん」の二字が句の真ん中に腰をおろして重みを示しています。西郷どんを感じたのもまんざらずれた感覚ではなかったとも思います。
そしてその重さは昭和の重さなのです。
こういう川柳があります、
口紅を拭(ふ)いて明日へ立ち上り
『女人芸術』(にょにんげいじゅつ)という雑誌の1931年(昭和6)の7月号に載っているとのことですが、詠んだのが小池梅子という人、私の母親と同じ苗字名前なのです。
実は先日片付けをしていて母親の19歳の時に書いていた雑記帳が出てきたのでした。「1923.10.25 雑記帳 馬場梅子」と書かれ下に「19才の時」とあります、馬場は小池に嫁入りする前の旧姓です。
川柳の詠み手の小池梅子が母親の小池梅子とは別人であることは100%確かでしょう。母は東京神田の和菓子屋の若旦那だった父と見合結婚をし、神田小町とか言われた美貌だったそうで若旦那は、これ見よがしに連れて歩いていたそうです。とても当時の女性解放運動に貢献したという『女人芸術』に寄稿するようなことは考えられません。
しかし同時に、19才の母親の書かれたものには、短歌あり詩あり、人生論あり、ローマ字の習い書きや数字と数式が鉛筆書きしてあり、「婦人衛生講習会」なるメモも記されています。上田の親元から妻を亡くした伯父宅に、子供の世話役として東京中野に来ていたのです。
雑記帳に記されているような日々の生活のなかで浮かんでくる不安や希望が、その後どう発展したのか変化したのか、多分「口紅を拭いて明日へ立ち上り」という感覚を持つ環境ではなかったでしょう。とは言え男の子は戦争に持って行かれる状況のなかで、三人の男子を育ててきた母・小池梅子にとって明日へ向かう思いの内容はどうであったのか。
平成も終わりを迎えようとし、新しい年号の年が見えるこの時期、明治を少し大正昭和を丸ごと平成は10年ほど生き、94歳で世を去った馬場梅子・小池梅子という女性に最も近い位置にいた者のひとりとしてその思いに向き合わねばと思います。
そのためにも読むべき本があり、古本屋ではなくても目の前の蔵書に「どんと昭和が待っている」のです。
とても死んでいるヒマは無さそうです、有り難いことです。