1月16日に「『資本論』はじめます、YTと手紙風で……」と「つぶやき」友人へ手紙で「読み進める」こと書き送りました。友人Yから第一信が届き早速「13日から」不破さんの『「資本論」全三部を読む』の第一巻を読みだした、との内容です。それも今回で2回読了し今回で3回目との事です。
不破さんの『「資本論」全三部を読む』は『資本論』全三部を一年間で読んだ学習会(2002年)の内容をまとめた本で全7冊です。ですからYは既に全7冊を読み終わっているでしょう。それも第1冊を2回読んでいて今回で3回目となると後の6冊も2回読み終わっていることになります。これは頼もしいというか強敵というか、何れにしても私が読み進めるにあたって有難いことです、同時に「『資本論』を読む」は我が人生最後の機会でしょうが、その良き道連れが出来たということで楽しい学びの旅になる予感です。
さて第一信に自然科学に巨大とも言うべき発展に比し、社会科学の分野での取組みが遅れていることへの危惧が言われています。ここを目にして23日に、
科学的思考の発展と普及の日々が「世界中から戦争をなくす時代」に向かう日々である と「つぶやき」ました。
この科学的思考の二大分野=自然科学と社会科学=の現代社会での相違について深く考えることが『資本論』を読む姿勢の前提になるでしょう。その点に関して、『資本論』は経済学に言及しながら的確に述べています。
経済学の領域では、自由な科学的研究は、他のすべての領域におけるのと同じ敵に出会うだけではない。経済学が取り扱う素材の固有の性質が、自由な科学的研究に対して、人間の胸中のもっとも激しくもっとも狭小で最も厭うべき情念を、私的利害というフリアエを、戦場に呼び寄せる。 (『新版 資本論1』p14)
この部分を「石川康宏『資本論第一部』講座」で聴き取って下さい。
この講座を開き「2:06:00」位の画像が下の画面です。
が、悟りに達しようとして坐禅を組んでいても、その
座っている場所に大きな地震が来て腰から崩れ落ちた
ら坊さん何を悟りつつ逃げるのでしょう。
静かに眺めるにはこの社会は動きが激しすぎますし、
現在の人々は防ぎ方を知り過ぎています、良いことです。
今の若者たちは経済学部の教科のなかで「資本論」を学ば
されています。大概の学生(私だけかもしれませんが)は
その過程で挫折して、経済学部は人気を落としてきました
私も経済学から商学部、金融学部への編入を試みましたが
拒否され・・中退したものです。それ以前にそれを学ぶ
資格がないにも関わらず挑戦したことが大間違いでした
以来私には、大きなハードルと挫折を背負いながらの
人生はもはやその、挑戦意欲もなく静かに社会を眺め
ながら残りの人生を過ごそうと思っています。