
万華鏡の映像の変化を音楽と組み合わせて楽しむヒーリングビデオというのがあります。万華鏡そのものを覗いて撮影したものだけでなく、コンピューターの力でミラーシステムを通さずとも完ぺきなシンメトリーの万華鏡映像に映し出すものもあります。 きれいな旋律にきれいな映像は確かに心地よいのだろうと思うのですが、実際の万華鏡を覗いたときの感動にはどうも及ばないような気がします。自分の意思で筒を覗き、オブジェクトセルを回すという行為があるかないかで、受け取る刺激が違うのでしょうか?そんなことを思いながら、キテルソン夫妻のミスティックラプチャーを覗いたときに感じたのは、待ちたいときに待つことができることなのではないかと思いました。オイルセルの映像でゆっくりと余韻の変化を楽しみたいと無意識に感じているときには心静かにその映像に浸っている自分がいます。次を待つ経過の時間の楽しみがあるのです。万華鏡の変化の魅力も見る側のペースに合ってこそ心地よいのではないかと思ったしだいです。皆さんはどんな風に思われますか?
オイルセルの動きを待つ時間、光の当て方をいろいろ変えてみる楽しみ、ドライセルのカシャッという心地よい音、そしてただ映像を「見る」のではなく不思議な世界を「覗き込む」感覚・・。やはり万華鏡をドキドキして味わい楽しむなら実際のものが一番だと思います。
そのうえで、これからもデジタル映像を否定するのではなく、その楽しみ方や可能性を考えていこうと思っています。どんな風にその世界が展開していくか期待したいです。
今までも万華鏡映像を絵にしたり、写真に使ったり、
キルトや刺繍で表現したりと万華鏡から生まれた別のアート形態もありました。映像ビデオもそのようなアートの一環として、その表現が進歩していくと良いですね。