橋長戯言

Bluegrass Music lover, sometimes fly-fishing addict.
橋長です。

EHAGAKI #299≪私たちという生き物≫

2015年02月22日 | EHAGAKI

お世話になります

腸内細菌の究明が進んでいる というTV番組を昨日放映されていましたが 何でもイエスかノー、0か1かという傾向に大いに疑問を持ってしまいます

そして 争いごとが絶えない世の中です
助け合い 協力することが生き物としての“ヒト”の大きな特徴らしいのですが 今回のお題は


生き物の不思議を初歩の初歩から尋ねてみたら
次々飛び出す意外な事実や不思議な現象
読み出したら止まらない面白科学問答!

と帯にある「生き物が見る私たち」という対談本から抜粋してみました

生き物が見る私たち
中村桂子,和田誠
青土社

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中村 勉強しているうちに、科学は「なぜ」を問うのではないとわかってきたんです。「何を」と「どのようにして」を考える。しかも生き物はすべてが理屈でわからないところが面白いなというふうに、私の方が変わってきました。

和田 わからないことがあるから研究するんでしょうしね。

中村 生き物が進化する原因も理屈で言えることもあるけれど、偶然もある。その組み合わせがなんとも面白いんです。

和田 科学ってすべて理屈で解き明かそうとするものだと思ってましたけど、そうでもない。

中村 入り口はそうですが、だんだん複雑になると。その最たるものが生き物。DNAは生き物の性質の基本を決めているので、地球上でDNAを遺伝子にしていない生き物はいない。例外なしです。みんな同じ。ところが同じ生き物はいません。ですからDNAを見ているとみんな同じですとも言えるし、みんな違いますとも言える。「同じ」が「違う」をどうやって作ってきたかを知ろうとすると、進化に行き着く。しかも進化には偶然も働きます。

和田 ははあ、予告篇からむずかしくなってきました。DNAというのはいつ発見されたんですか。

中村 1869年です。

和田 古いんですね、ぼくはもっと最近のことかと思っていました。

■ ■

中村 人間って一種類なんですよ。種ってありますでしょ。

和田 ああ、白人であろうと黒人であろうと同じ種類だということですね。

中村 どれもみなホモ・サピエンスです。誰か一人のゲノムを調べればヒトゲノムを調べましたと言えるし、逆に誰のものを混ぜてもかまわない。
でも蝶々は、まだ正確なところは調べられていないんですが、二万種類ぐらいあるんです。アゲハだけで世界で五百種、日本にも二十種います。種が違うという意味は、子供が生まれない。

和田 なるほど。白人と黒人の間には混血児が生まれるけど。

■ ■

中村 遺伝子の働きは作るというものと、作り方を決めるというのがあるんです。後のを調節遺伝子という。進化しているうちに、ここまでは働いていいけど、ここから先は働いちゃいけないと判断する新しい遺伝子が生まれたんですね。
遺伝子が無くなったじゃなく。

和田 増えたんですね。

中村 ええ、だからよくたとえるのは増改築なんです。全部壊して建て替えるんじゃなくて、あるものを使う。

和田 つまり改築ではなく増築であると。

中村 そう。骨作りに関する遺伝子の基本は同じ。だけど鳥のときはこのへんをちょっと抑えよう、人間ではここだけ動かそうと新しい遺伝子が調整係をするんです。それで形を変えていった。
恐竜も魚から来て、鳥へとつながる間にある訳ですから、チキンの骨でつくれる。
遺伝子でみるとお魚も人間も大して違っていない。

和田 でも、自由度が増すごとに複雑になっていきますよね。

中村 ええ。複雑になるときは、小さな小屋を潰してマンションを建てるんじゃなくて、この小屋を何とか工夫してマンションに変えようとする。
そのマンションはまったく新しいものじゃなくて、小屋の変形なんです。
生き物はそうやって複雑化してきた。

細胞が増えるだけという最低の機能に必要な遺伝子は二百五十個とされてます。いちばん複雑な人間で二万数千個。
遺伝子が創造されたのは最初のたった一回で、あとは盗作、つまりそれをちょっと変えたり組み合わせたりしてここまで来ている。

ATGC。最初から材料はこれだけ。人間だとこれが三十億並んでいる。遺伝子が二百五十個の場合、ATGCは数十万とされています。それを少しづつ変化させて四十億年近く経つうちに三十億個ATGCが並んで、二万数千個くらい遺伝子がある状態になってきたのです。でももとは同じ。

和田 つまり組み合わせを少しづつ変わって、生物は分かれてきたんですね。

中村 どの生き物をとっても、ここから始まってないものはない。

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和田 現代人という概念はどこから?

中村 現代人は一種類で、新人と呼ばれるクロマニヨン人が世界中に散らばったわけです。それが出てきたときが私たちの始まりだと考える。
散らばったのは約四万年前。たとえばラスコーの絵はおよそ一万5千年前、芸術の発生があった。

和田 あれは素晴らしい絵ですね。

中村 単にスケッチというより槍が当たってほしいというという願望、お祈り的な意味があったんじゃないかと言われている。そういう呪術的な概念の為には・・・

和田 言葉が必要になってくる。

中村 ですよね。複雑なことを考えるには。ですから絵を描くということも、ヒトになるための根本の一つでしょう。

中村 豹やチーターは早く走るとか、勘が鋭いとか、それがないと生きていけないからそこに集中した。ヒトの場合、むしろ様々な能力を持つところが特徴でしょうね。

和田 初期のヒトはそんなに能力の差はなくて

中村 もちろんそれぞれ得意はありますが、むしろヒトは、こういうのもいい、そういうのもいい、全体の能力の中でどれがあれば生きていける、というのがヒトなんだと。
だいたい、進化する可能性を持つのは特化せずに様々な能力を秘めているものなので、ヒトにはそれがあるかもしれない。

和田 それが今

中村 今の時代に合わないとか、さっさと答えを出せない人はだめって落とされるけど、ゆっくり考えて、ゆっくりやる人も認められる時代があったから、ヒトはヒトとしてある。

今の時代のあ価値観だけで選択すると、イエスかノーになっちゃう。そうではなくて、人間はいろんなことができるから生き残ってきたんだと考えれば、トータルとして差がないんだと。

和田 ラスコーの絵を描いた人は、狩などぜんぜんできなくて、、、

中村 絵を描かせるとうまい。狩りができなくても絵がうまいから尊敬され食べ物を分けてもらえばいいんじゃないですか。

それが現代社会に適応する能力を持っていないと、すぐ落ちこぼれみたいに言われちゃう。走る人もいれば絵を描く人がいる、そのまとまりが人間らしさなんだから、そこを考えないと、せっかくの人間らしさ消してしまうとおもうんです。

和田 ほんとにそうですね。


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ということでした

この本と同時に「生命誌とは何か」中村桂子著を買いました

生命誌とは何か (講談社学術文庫)
中村 桂子
講談社

その帯には

たとえば、たった一つの遺伝子で人間の行動、さらには人間そのものを語りたがる最近の風潮は、私たちの生き方を豊かにするものだとは思えません。科学の方法で得られる知識を大切にしながら、それで人間を説明するのではなく、そこから世界観をつくっていけないだろうか。
そう思って考えたのが生命科学を包み込んで更に広く展開する「生命誌」です。

とあります 解かりやすい対談と違い少し難しそうですが ゆっくり読みたいと思っています

「すべてはアナログ デジタルはその一部の技術」という言葉を聴いたことがあります
心のスタンスは広くありたいものです


                         ではまた