お世話になります
野暮や無粋があふれていますね
いや 政治の話ですが
我々一般社会では通用しないことが 政治の世界ではまかり通る!
なんとかしてほしいものです
なにはともあれ“いき”でありたいものです
昭和5年 粋の構造を分析した方がおられました
今回のお題は
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「いき」の構造 他二篇 (岩波文庫) |
九鬼 周造 | |
岩波書店 |
実はこの本 随分昔に買ったと思うのですが 最初の数ページで理解しがたく投げ出しておりました
今回 たまたま巻末の「解説」を目にし そしてネットで調べつつ 一応 読むことが出来ました
“いき” Wikipedia をみると
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「いき」または「意気」とは、江戸における美意識(美的観念)のひとつであった。江戸時代後期に、江戸深川の芸者(辰巳芸者)についていったのがはじまりとされる。身なりや振る舞いが洗練されていて、かっこうよいと感じられること。また、人情に通じていること、遊び方を知っていることなどの意味も含む。カタカナでイキと記すこともある。
「いき」は、単純美への志向であり、「庶民の生活」から生まれてきた美意識である。また、「いき」は親しみやすく明快で、意味は拡大されているが、現在の日常生活でも広く使われる言葉である。
なお、「粋」は「すい」と読み、「いき」と使用するのは誤用、誤読である。反対語は「野暮」(やぼ)または「無粋」である。
「いきでいなせ」という言葉がある。舟木一夫の「火消し若衆」において、「火事とけんか」や「男っぷり」と歌われており、喧嘩っ早い火消しの江戸っ子を表現している。この語をわけて『「いき」は火消しの事で「いなせ」は魚屋の事』という説もあるが、これは定かとなっていない。江戸っ子は地味な服を好むがいきなオシャレを楽しんだとされる。
『佃節』では「いきな深川、いなせな神田、人の悪いは麹町」と読まれている。
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とあります
もうこれで充分 これ以上説明するのは“野暮”と思うところですが この本では徹底的に分析しておりますが実に難解であります
※申し訳ありません 以下はスルーして頂いた方がいいかもしれません
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九鬼周造の父は九鬼水軍の流れをくむ九鬼隆一で 最初の駐米特命全権公使 母は祇園出身の星崎初子(はつ・波津)アメリカ滞在中にその初子が懐妊、隆一は同行していた若き岡倉天心に付き添わせて帰国させました
長い船旅 二人は恋仲に これがスキャンダルとなったようです これよって九鬼夫婦は別居 そのスキャンダルの渦中で生まれた周造は 幼年期を天心に“父”を感じて育っていったとか
二人の父?に影響され?
サルトルにフランンス語を学びハイデッカーに高く評価され パリ留学中からこの本は書きはじめたとか
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粋(いき)を直六面体の図に表すことが出来る と
正方形の上下の面体は趣味様態
底面は人性的一般性を表す 上品 下品 派手 地味
上面は異性的特殊性を表す 意気 野暮 甘味 渋味
上面及び底面にて対角線によって結び付けられた頂点を占める趣味は相対立する一対を示す
もともと何と何とを一対として考えるかは決まっていない
上面と底面において対角線によって結びつけられた頂点:意気と渋み
側面の矩形において対角線によって結びつけられた頂点:意気と派手
直六面体の側稜によって結びつけられた頂点:意気と上品
直六面体の対角線によって結びつけられた頂点:意気と下品
これらのものは何らかの対立を示している
すなわち すべての頂点は互いに対立関係に立っている
上面と底面において、正方形の対角線によって対立する頂点はその対立性の最も顕著なものである
???
「さび」とは
O、上品、地味のつくる三角形とP、意気、渋味のつくる三角形とを両端面に有する三角柱の名称である
「雅」とは
上品と地味と渋味のつくる三角形を底面とし Oを頂点とする四面体である
「味」とは
甘味、意気、渋味の三角形をいう
「乙」とは
この同じ三角形を底面とし 下品を頂点とする四面体である
「きざ」とは
派手、下品を結ぶ直線上にある
「いろっぽさ」とは
何回か読みかえしてみても理解出来ませんでしたので割愛します
哲学書です
まったく読みにくい訳であります
???
以下 気になった部分を少し
解説)
たんなる日本礼讃ではない。九鬼周造の「日本」には中国、インドが入っていた
日本を東洋文化の広いコンテクストのなかにおくだけの視野の広がりを持っていた
九鬼周造は対立する二つの文化のかたちを見たのである
パリは一つの極であった もう一つの極に化政期の江戸が来る
全東洋ではなく 全日本ですらなく 化政期の江戸 しかも色里の一美学をパリに ヨーロッパに拮抗するものとしたのである
本文最後)
「いき」は武士道の理想主義と仏教の非現実性とに対して不離の内的関係に立っている。運命によって「諦め」を得た「媚態」が「意気地」の自由に生きるのが「いき」である。
人間の運命に対して曇らざる眼をもち、魂の自由に向かって悩ましい憧憬(しょうけい)を懐かしく民族ならずしては媚態をして「いき」の様態を取らしむることは出来ない。
「いき」の核心的意味は、その構造がわが民族存在の自己開示として把握されたときに、十分なる会得と理解とを得たのである。
解説)
「いき」=「垢抜けして(諦)、張りのある(意気地)、色っぽさ(媚態)」
九鬼周造は「意気地」は武士道の理想主義に基づく、とした。この点だけは解説者(多田道太郎)は賛成できない。
上方に対する対抗意識、武士に対する意地として、たとえば町奴のような階層が出来てきて、そこに「意気地」が根をおろしたのではないか。
もうひとつ著者は「諦め」をあげる。「野暮は揉まれて粋となる」というふうに、浮世の洗練を経て、すっきりと、垢抜けした心持となる。この背景には仏教の非現実性がある。
色街の「媚態」は、武士の「意気地」と仏教の「諦め」とにみがかれて完成する。完成して「いき」となる。
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美意識を言葉で説明することは えらく骨のおれることで
それを理解することはさらに骨のおれることである というか 本当に野暮だなぁ ということは解りました
この本 他に
「風流に関する一考察」
「情緒の系図」
もあり睡眠導入には すごい力を発揮することだけは確かであります
ではまた