![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/d0/c2ee2adc987267efa5b80335d9155a67.jpg)
知らないコトを知らないまま
答えのないコトは答えのないまま
そんな曖昧な時代に育ったと思います
白黒テレビのウルトラQから
カラーになってウルトラマン~ウルトラセブン
という世代であります
当時、理解出来ずに見ていた回が結構あったものです
だけど楽しみに見ました
再放送を見て理解できたり、それでも解らなかったり
近所には、おかしなおじさん、怖いおじさん
うるさいおばちゃんが居ました
そんな時代でした
さて、今回のお題は「子育て指南」であります
参考図書)
「汚い言葉を文章や外部にむけて発信するべきでない」
というのが私の基本です
しかし、この宮台真司氏、ご存知の方も多いかと存じますが
クズ、クソ、ケツナメというワードが常套句の人です
以下の抜粋メモでは極力避けたつもりでもチラホラ出ますが
ご容赦下さい
※そもそも本のタイトルが「ウンコのおじさん」ですから
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/ff/815fd32cffedad92d3d31045d6ceefc1.jpg)
◆ ◆ ◆ ◆
◆ウインドウズ95が
「インターネット元年」と呼ばれた1995年
それからコミュニケーション能力の「向上」が顕著に
その中身は「神経質に空気を読む能力」
不安が背景
当時の中高生の一部も、いまは親
親がこうした態度なら、子どもに悪影響を与える
不安な人は、損得勘定にめざとくなる
損得を超えた愛や正しさを示せなくなる
そんな親は、損得に拘泥(こうでい)する
愛や正しさの乏しい子どもを育てる
そんな「損得親」は同感能力
相手の心を自分の心に映す力が弱く
子どものためを思っているつもりで
自分の不安を埋め合わせる「自慰」に終始しがち
◆ウルトラセプン
全話の三分の一を監督した満田かずほ氏
1960年代に比べて子ども番組が劣化したのは
作り手の劣化のせいですか、と尋ねた
氏が答える
1960年代の作り手は
親が一緒に見ているという前提で番組を作った
だから親が説明するだろう
と思って難解な表現にも躊躇しなかった
それが、1970年代半ばまでに
親は一緒に見ない、という認識に変わった
子どもが一人で見てわかるように
番組から難解さを取り除いた
とのこと
勧善懲悪を否定する1960年代コンテンツは
子どもたちに、どんな体験を与え、何をしてくれているのか
一口で言えば
法外のカオスに対する免疫力を与え
さらに法外の魅惑を教えてくれている
◆マトモな 〈妄想〉 を身につける
子どもを抱え込めば必ず問題を生じる
抱え込もうとする親に子どもは適応しようとする
子どもから見た親は
ワケのわからない世界観を生きている
かつてと違い万人に共通の世界観ではない
どんな親も、多少なりとも妙ちくりんな妄想を生きている
親が子どもを抱え込めば、子どもは親の妄想に適応を迫られる
その結果
子どもは、親の適応に役立つ妄想、世界観や感情の枠組を抱え込む
子どもが自己防衛のために抱えるこうした妄想は
親への適応には役立っても、社会を生きるのには役立たない
たいてい有害
◆頓馬な親
子どもをコントロールし
カオスを全面回避し
法内に留め置きたがる、ダメな親
そんな親だらけなのはなぜか
親もそう育ったから
共同体が空洞化し、親が子を抱え込める度合がどんどん上がり
頓馬が連鎖するようになってきた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/da/46c90467561c4e3b706b4fef16c5d6f0.jpg)
◆正しさよりも損得
「正しさよりも損得」という動き
こうしたデタラメな社会は制度の手直しでは治らない
未来の社会をマトモにしたければ
すべての親が子どもの抱え込みをやめなければならない
押し殺すのはつらい
ならば
押し殺すべき「本当の自分」を持たない方が得だ
そこからも
「愛や正しさよりも損得」の右往左往が生じる
いま、日本の中学生は7割に反抗期が無い
反抗期は
近代社会に残った唯一の通過儀礼らしきものであった
父親の機能は
家庭に社会を持ち込むエージェント(代弁者)
外から社会を持ち込むので大きな存在:権威に見える
だから子どもは従う
やがて、権威をうざったく感じはじめる
頭ごなしに否定して自信を喪失させる
すると、子どもは攻撃的になる
反抗期は長くて2年
その間に
父が"社会のなかの小さな存在にすぎないこと
自分も父のように社会のなかの小さな存在になること
を学ぶ
◆ 法外のめまい
「法外のめまい」があるから、クソな社会に耐えられた
この社会はクソだというのは
最近の社会が腐っているという意味ではない
本質的な意味で僕たちの本体は、法の外にある
法の外でのシンクロが、仲間かどうかを示してくれる
仲間を守るために、法を守り、破る
仲間が目的で、法が手段
今は
法に従うだけで仲間を忘れて生きられる(と思える)
ようになった
しかしそれはごく最近の話
映画などでノスタルジーの舞台になる昭和までは違った
法か禁止していても、花見のときは公園内で焚き火をして
お巡りさんも大目に見てくれた
◆タテマエ:法内とホンネ:法外
タテマエ=法内と、ホンネ=法外のシンクロがあった
法内と法外の両方があったから生きる甲斐があった
交換バランスと損得勘定から成る
法内に閉じこもることがないよう
定期的に無礼講の祭りをしてきた
祭りにはバランスを崩した過剰な贈与があり
内から湧く力で贈与を支えた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/fa/89c26b8cd612df915eeeadf32001789b.jpg)
◆なりすまし
「なりすまし」によってようやく生きられる世界、と言える
普通に社会というとき、法外ではなく、法内を指す
そんな社会は「なりすまし」でようやくしのげるクソ社会
「なりすまし」を忘れてマジガチになったらお終い
ミイラ取りがミイラになる
社会のクソぶりに引張られて自分もクズになっちゃオシマイ
愛に見返りを求めるストーカーみたいなクズ
法外にいきり立っネトウヨみたいなクズ
クズにならないための原則を
子どもに伝えなければならない
多くの人が法内を社会だと思っている
しかし、法外の営みがある
それも含めて「社会」
その感覚がないと、祭りにノレず、性愛もショボい
貧相な人になる
ビジネスでエラぶっても
仲間がいないさびしい人やキモい人
◆政治と恋愛
過去20年間
政治と恋愛を「コストパフォーマンスが悪い」として
忌避する若者が多数派になった
政治に必要な「損得よりも正しさ」
恋愛に必要な「カネよりも愛」が枯渇
損得に拘泥する浅ましい生き方が蔓延し
政治が支える国と、恋愛に始まる家族の、持続すら怪しくなった
知識の専門性を高めれば危機に対処できると勘違いした
知識を何に使うかの「動機づけ」を不確かにし
競争動機のようなものに縮めた
いまの社会は
「正しさ(真理や正義)」への動機づけが枯渇し
専ら「損得」のために知識が使われる
◆すべきこと ~ ウンコのおじさん
「動機づけ」は知識の伝達では調達できない
「体験による学び」で成長する他ない
するべきことは明らか
「劣化した大人が、劣化していない子どもを育てる」こと
さもないと
損得だけのクズが量産され、社会がさらにクソになる
あなたがウンコのおじさんになる
なれないなら他を探して委ねる
それだけ
◆ ◆ ◆ ◆
ということでした
かなり過激な内容でした
ということでした
かなり過激な内容でした
そもそも「ウンコのおじさん」とは?
親子、上下ではなく斜めの関係ということの様です
答えは一つではない
YES/NO、損得だけではないことを意識して
ではまた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/4f/9ac0820691970eaf024285f9934cb6db.jpg)