橋長戯言

Bluegrass Music lover, sometimes fly-fishing addict.
橋長です。

EHAGAKI#384 ≪子育て指南≫

2019年12月23日 | EHAGAKI
 
知らないコトを知らないまま
答えのないコトは答えのないまま
 
そんな曖昧な時代に育ったと思います
 
白黒テレビのウルトラQから
カラーになってウルトラマン~ウルトラセブン
という世代であります
 
当時、理解出来ずに見ていた回が結構あったものです
だけど楽しみに見ました
再放送を見て理解できたり、それでも解らなかったり
 
近所には、おかしなおじさん、怖いおじさん
うるさいおばちゃんが居ました
 
そんな時代でした
 
さて、今回のお題は「子育て指南」であります
 
参考図書)
 
「汚い言葉を文章や外部にむけて発信するべきでない」
というのが私の基本です
 
しかし、この宮台真司氏、ご存知の方も多いかと存じますが
クズ、クソ、ケツナメというワードが常套句の人です
 
以下の抜粋メモでは極力避けたつもりでもチラホラ出ますが
ご容赦下さい
※そもそも本のタイトルが「ウンコのおじさん」ですから
 
 
◆ ◆ ◆ ◆ 
 
◆ウインドウズ95が
 
「インターネット元年」と呼ばれた1995年
それからコミュニケーション能力の「向上」が顕著に

その中身は「神経質に空気を読む能力」
不安が背景
 
当時の中高生の一部も、いまは親
親がこうした態度なら、子どもに悪影響を与える
 
不安な人は、損得勘定にめざとくなる
損得を超えた愛や正しさを示せなくなる
 
そんな親は、損得に拘泥(こうでい)する
愛や正しさの乏しい子どもを育てる

そんな「損得親」は同感能力
相手の心を自分の心に映す力が弱く
子どものためを思っているつもりで
自分の不安を埋め合わせる「自慰」に終始しがち


◆ウルトラセプン
全話の三分の一を監督した満田かずほ氏
 
1960年代に比べて子ども番組が劣化したのは
作り手の劣化のせいですか、と尋ねた
氏が答える
 
1960年代の作り手は
親が一緒に見ているという前提で番組を作った
だから親が説明するだろう
と思って難解な表現にも躊躇しなかった
 
それが、1970年代半ばまでに
親は一緒に見ない、という認識に変わった
 
子どもが一人で見てわかるように
番組から難解さを取り除いた
 
とのこと

勧善懲悪を否定する1960年代コンテンツは
子どもたちに、どんな体験を与え、何をしてくれているのか
 
一口で言えば
法外のカオスに対する免疫力を与え
さらに法外の魅惑を教えてくれている
 
 
◆マトモな 〈妄想〉 を身につける
 
子どもを抱え込めば必ず問題を生じる
抱え込もうとする親に子どもは適応しようとする

子どもから見た親は
ワケのわからない世界観を生きている
かつてと違い万人に共通の世界観ではない
 
どんな親も、多少なりとも妙ちくりんな妄想を生きている
親が子どもを抱え込めば、子どもは親の妄想に適応を迫られる
その結果
子どもは、親の適応に役立つ妄想、世界観や感情の枠組を抱え込む
 
子どもが自己防衛のために抱えるこうした妄想は
親への適応には役立っても、社会を生きるのには役立たない
たいてい有害
 
 
◆頓馬な親
 
子どもをコントロールし
カオスを全面回避し
法内に留め置きたがる、ダメな親

そんな親だらけなのはなぜか
親もそう育ったから
 
共同体が空洞化し、親が子を抱え込める度合がどんどん上がり
頓馬が連鎖するようになってきた
 
 
 
◆正しさよりも損得
 
「正しさよりも損得」という動き
こうしたデタラメな社会は制度の手直しでは治らない
 
未来の社会をマトモにしたければ
すべての親が子どもの抱え込みをやめなければならない

押し殺すのはつらい
ならば
押し殺すべき「本当の自分」を持たない方が得だ
そこからも
「愛や正しさよりも損得」の右往左往が生じる

いま、日本の中学生は7割に反抗期が無い
反抗期は
近代社会に残った唯一の通過儀礼らしきものであった
 
父親の機能は
家庭に社会を持ち込むエージェント(代弁者)
外から社会を持ち込むので大きな存在:権威に見える
 
だから子どもは従う
やがて、権威をうざったく感じはじめる
 
頭ごなしに否定して自信を喪失させる
すると、子どもは攻撃的になる
 
反抗期は長くて2年
その間に
父が"社会のなかの小さな存在にすぎないこと
自分も父のように社会のなかの小さな存在になること
を学ぶ
 
 
◆ 法外のめまい
 
「法外のめまい」があるから、クソな社会に耐えられた
この社会はクソだというのは
最近の社会が腐っているという意味ではない
 
本質的な意味で僕たちの本体は、法の外にある
法の外でのシンクロが、仲間かどうかを示してくれる
 
仲間を守るために、法を守り、破る
仲間が目的で、法が手段
 
今は
法に従うだけで仲間を忘れて生きられる(と思える)
ようになった
 
しかしそれはごく最近の話
映画などでノスタルジーの舞台になる昭和までは違った
 
法か禁止していても、花見のときは公園内で焚き火をして
お巡りさんも大目に見てくれた
 
 
◆タテマエ:法内とホンネ:法外
 
タテマエ=法内と、ホンネ=法外のシンクロがあった  
法内と法外の両方があったから生きる甲斐があった
 
交換バランスと損得勘定から成る
法内に閉じこもることがないよう
定期的に無礼講の祭りをしてきた
 
祭りにはバランスを崩した過剰な贈与があり
内から湧く力で贈与を支えた
 
 
 
◆なりすまし
 
「なりすまし」によってようやく生きられる世界、と言える
普通に社会というとき、法外ではなく、法内を指す
そんな社会は「なりすまし」でようやくしのげるクソ社会
 
「なりすまし」を忘れてマジガチになったらお終い 
ミイラ取りがミイラになる
社会のクソぶりに引張られて自分もクズになっちゃオシマイ
 
愛に見返りを求めるストーカーみたいなクズ
法外にいきり立っネトウヨみたいなクズ
 
クズにならないための原則を
子どもに伝えなければならない
 
多くの人が法内を社会だと思っている
しかし、法外の営みがある
それも含めて「社会」
 
その感覚がないと、祭りにノレず、性愛もショボい
貧相な人になる
 
ビジネスでエラぶっても
仲間がいないさびしい人やキモい人
 
 
◆政治と恋愛
 
過去20年間
政治と恋愛を「コストパフォーマンスが悪い」として
忌避する若者が多数派になった

政治に必要な「損得よりも正しさ」
恋愛に必要な「カネよりも愛」が枯渇
 
損得に拘泥する浅ましい生き方が蔓延し
政治が支える国と、恋愛に始まる家族の、持続すら怪しくなった
 
知識の専門性を高めれば危機に対処できると勘違いした
知識を何に使うかの「動機づけ」を不確かにし
競争動機のようなものに縮めた

いまの社会は
「正しさ(真理や正義)」への動機づけが枯渇し
専ら「損得」のために知識が使われる
 

◆すべきこと ~ ウンコのおじさん
 
「動機づけ」は知識の伝達では調達できない
「体験による学び」で成長する他ない 
 
するべきことは明らか
「劣化した大人が、劣化していない子どもを育てる」こと

さもないと
損得だけのクズが量産され、社会がさらにクソになる

あなたがウンコのおじさんになる
なれないなら他を探して委ねる
それだけ

 ◆ ◆ ◆ ◆

ということでした

かなり過激な内容でした
そもそも「ウンコのおじさん」とは?
親子、上下ではなく斜めの関係ということの様です
 
答えは一つではない
YES/NO、損得だけではないことを意識して
 
ではまた
 

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