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死刑破棄と裁判員

2015年02月10日 | 時事
3人殺害で無期懲役確定…裁判員裁判の死刑破棄
これで一審の裁判員裁判で出された死刑が最高裁で覆ったのは三例目になるそうです。

裁判員裁判とは、法曹界に一般人の感覚を取り入れることが目的で始まったものですが、やはり死刑という判決は、庶民がが考えるよりもずっと重いものだということなのですかね。裁判員は通常1つの事件にしか関わらず、その時の判断で決めなくてはいけませんが、やはり一時の感情に流されることが多い気がしますし、何百と裁判をこなしていく人達の判断は、総じてより慎重になっている傾向が見られると思います。人が人を裁くのは大変難しいことですから、どうしてもその根拠を過去の判例に頼らざるを得ない性質があり、そこから余りにも逸脱した刑は認められない、ということなのでしょう。では、素人の裁判員が参加することには意味がないのでしょうか。

自分はそう思いません。裁判員制度にはもう一つ別の側面の目的があり、国民の司法への理解を進めることがあります。苦心して出した判決が覆ってしまうのは複雑な心境でしょうけど、そのように多くの人達の議論が積み重なって今の司法制度ができているのだということを理解することは、日常でも大きなプラスになるでしょう。特に学校を離れると中々こういう経験がありませんから、人間が居丈高になり勝ちです。自分勝手に決めたり、責任も考えず文句ばかり言っている自分を省み、人の意見を聞く大切さを学ぶことにもつながりますしね。もちろん、こうして判例が積み重なっていくことにより、いずれ庶民感覚に近い判決に近づいていくことは間違いないでしょう。司法もまだ発展途上なわけです。

司法は115年の積み重ね。裁判員は高々5年。変わっていくのはまだまだこれからですな。