橿原市を歩いていて見つけた地名です。
飛騨といえば我らが岐阜県ですが、こんな所で見かけるとは思いませんでした。しかしそれほどありふれた地名ではないので何らかの謂れがあるに違いないと思い、地元の方や資料館の方に聞いてみましたがよく分かりませんでした。
で、この前に長谷寺の近くに「出雲」という地名を見かけた時も思ったのですが、かつて日本の中心だったこの奈良の地には、それなりに有名な地名は一そろえそろっているのではないか、という仮説を立ててみました。出雲は記紀にもスサノオノミコトやヤマタノオロチの話に出てくる有名な地名で、本来は言うまでもなく島根県なわけです。例えば記紀を編纂していく中で、元々九州の神話だった話を取り入れたことで「東に行くと出雲についた」というような記述になり、それを時代が流れ奈良にある都で読んだとき、「出雲が東にないとおかしい」ということになり、長谷寺の辺りが出雲と名づけられた、というようなことが起きたのではないか、という説です。つまり飛騨も何らかの記述があり、そこから逆に名づけられたのではないでしょうか。旅中はそんな感じに考えていました。
で、後で調べてわかったのが、実はこの藤原京や薬師寺などの建築に「飛騨の匠」が携わっていたということです。飛騨の匠とは今でこそ工芸品や家具職人ですが、1300年も昔から代々建築のノウハウを携えた職人集団で、当時税の代わりに労働力として都に使えていたらしいです。つまり、飛騨の匠が集まっていた町がこの辺りにあり、飛騨町と名づけられたということですね。
同様に考えると、昔北海道で見つけた岐阜橋の謎も解けるわけです。北海道開拓時代、岐阜から多くの移住者が押し寄せたので、おそらくこの辺りに集まっていたのでしょう。地名から歴史が分かる、非常によい教材が見つかりました(笑)
ということは、出雲も移住者が多かっただけなのかな?