katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

キウイ教室とシドさんの花台モザイク

2009-07-13 22:09:39 | 世界遺産をみんなでつくろ!
正直、先日の下絵にはビックリした。こんなに変わるとはね・・・が本音。
確かに描き方の指導はした。アイデアやややり方をね。がしかし、ここまで

判るとは思わなかった。良くバラを見ているし、ここまでは良くやった。

それを今度は下絵に写す事が更に大変だった・・・・と言う話から教室は始まる。
katsuさん・・・凄く大変だった・・・だろうな、こんなに細かくちゃね・・・

少しでもずれてしまったらその時点でおしまい・・・ってな事になってしまう・・・
しかもそんなだから、途中で明日・・・なんて事は無理に近い。

そんな中、それじゃ確認するよ。何を使う?すると先日の鏡のガラスタイルで。と。


まっ確かに悪くは無かった・・・鏡の作品。でもこの下絵を見せられては、所詮過去の
作品・・・同じスタイルでやるも良いが、あれを超えようよ・・・って。

あの色はそのまま使って良いから、少し考え方を変えようって。

前回のキウイのバラを思い出して欲しい。そして俺のバラを比較する。
素材は違うにせよ、3色くらいしか使っていない。

一体何が違うと思う?それはね、メインと脇役をハッキリさせる事。キウイの場合、
綺麗ではあったけれど、色がぶつかり合う・・・とも取れる色どうしの2色があった。

一体どっちがメインなのか?ってくらいにね。だから今回は1つのバラに大好きな色を
1色しか使わない・・・そんなル-ルはどうだろうか?と言って見た。

それで2番になった色たくさん使う為に、葉っぱを全部その色にする。どうかな?って。
すると、その完成のイメ-ジが一致したのだろう。ニコッって笑って、はい。

これもまた凄い。それで判ったのか?完全に変わった。抜けたなっ・・・
明らかに変わった。それがいつからか?も一緒だった。

おれが貸したスポットライトからだよな・・・・はい。そう思いますって。
実はキウイは室内で怪我をされないように、ベランダでやりたかったのだけれど、

手暗がりになってしまって・・・って話からこれ持って行けば・・・とライトを貸した。

その日から、続け様にガラスタイルを切ったのだろう・・・1ヶ月に1回の教室では
慣れるまでに時間が掛かる。がしかし、自宅の回数を増やせばそりゃ嫌でも慣れる。

当然のごとく上手くなるはず。それが後半の鏡のモザイクの早さにも繋がっている。
勿論、向き合った時間も相当なものだろう。

正直、教室が終わった時、あらためて作品を観た時、あぁ本気でかぐやのようなモザイク
を作りたいんだな・・・・って思った。

こんなに上手くなって、こんなに進んで、やる気って凄いんだな・・・人をこんなにも
変えてしまうんだな・・・とあらためて実感したと同時に、俺をはじめさくらもかぐやも

きちんとした壁にならないといけないな・・・と感じた。先人で生きて行くものの宿命。
目標になる事。簡単には抜かせてはならない。そうしないと追いかけて来る者に失礼。

さくらは産休みたいなモノだから帰って来たらしっかりやってもらえば良いが、かぐやにはエ-スの自覚を作って行く上で、受けて立つ気持ちになって欲しい。

いらっしゃい・・・よろしくてよ・・・とね。その位言える腕はある。後は強い心。
自分自身を信じる力。意地を張る事では無い。受け入れる勇気。そして常に精進。

こうすると良いよ・・・と言える器になって欲しいと思う。勿論、さくらを甘やかす
つもりも無い。かぐや1人に背負わすなっ。支えろ・・・かぐやを。

大人1人も救えない奴がおっかなんて勤まるはずは無い。聞き分け無い奴だが、根は良い
奴だ。さくらとかぐやは2人で1人。常に言い続けている事。

これが俺の考える仲間のル-ル。喜び以外は一緒に泣かない。己の為の涙がある奴は
まだまだ浅はかな証拠。そんなものは捨ててしまえ。憂う心と願う心だけあれば良い。

前さえ向いていれば必ず結果は後から付いて来る。結果を急がない。迷ったら信じる仲間に私は平常?と聞く。意地を張らない。この位は普通に出来て欲しいと願う。

こんな事を言うと生き様が窮屈になっちまうんだよなぁ・・・人に言うからには、襟を正す・・・げぇお前は出来んのか?って言われない様にやらなきゃなっ。

ただここが大事。作品は常に堂々と、どうだぁと言わんばかりで結構。上手いモノは上手くて当然。しかしモザイクを離れたら謙虚な姿勢。それは人として。

作品はあくまで腕。プロならヘタなら辞めてもらいたい。質が落ちたモノがモザイクとして残ると、こんなもんか・・・と馬鹿にされる。それでは切って捨てたタイルは浮かばれない。ただ材料が勿体無いだけである。

人の心が無いとも取れる。金を出せば御客・・・的発想。人の手が掛かっているものを、お金は出して買ったとは言え、平気で捨てられる人間とは仲間になりたくない。

しかしここも大事。一生続けるにあたって、その人の向上の為になるのなら、捨てられた
タイルも浮かばれる。全く食べ物と同じである。

生き物を食べ生きている。殺してね。肉を買ったんじゃない。生き物の肉だ。
その命を頂きますと生きるための必要悪を使い、己の血、肉に変えて行く。

ならば生きる為の仕事として選んだモザイクの向上の為、死んだタイルの為にも上手くなりたい・・・すまん・・・勘弁してくれ・・・と俺は切る。

タイルで判らん奴に食べ物での比喩はわかるはずも無く、心無く残すなんてのは当たり前
己を知ればそんな事は無くなる。

がしかし、上手くなる為であれば、俺は惜しまない。がしかし無駄にするのは困る。
無理、無駄、ムラを無くせば能率は上がる。究極に言えばそれがマニュアル。

しかし俺の相手にするのは、機械じゃない。人間。しかも心ある人間。今日のキウイには
弟子でも、プロでも無いが、仲間と言う気持ちにさせられるくらいの気迫や気力を

感じるくらい素晴らしいモザイクを見た。とても良い刺激になった。無理せず頑張れと
言いたい。

さてそんな中、ヒカルの碁。実家に呼ばれて実家で見るはめになった・・・・
集中したかったが、それはそれ。

何とも今日の出来事とかぶる話だった。ライバルとは?己の力を向上される最も最短な
人物。気迫、気力でぶちあたって行く。その繰り返しがまた教えた者達に受け継がれる。

そしていつかそいつらと俺はライバルになり得る・・・・その手助けをしているようなモノ・・・・先人とは?時に切ないものである・・・・

俺ももっと大きな壁になっていたいものだ・・・・ぶつかってこられても微動だにしない
強靭な壁に・・・・いつかそうなる為の作品になっているだろうか?また・・・




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おっsan教室と今日の1日

2009-07-13 02:51:16 | 世界遺産をみんなでつくろ!
ちょっと寝坊する・・・そこへかぐやからの電話。おっと寝坊した・・・有難うね。
かぐやは仕事。さて支度と行きたい所だけれど、ブログを入れてなかったのでまずブログ

って事で出遅れ出勤。まっひとまずシドさんの花台モザイクは終るし、終ったらラストに乗っける下地の下絵をしなくちゃならないので、今日はそんなに慌てても仕方無し・・・

そこでラジオをつけて作品作りをしていると、ラジオから聞き捨てならないお知らせ・・
都議会の選挙速報が今晩何時から・・・何?選挙・・・聞いてないよ・・・・

おいおい一体どうなってんだ?そんな訳無かろう・・・だって必ず選挙の時は実家から
連絡入ってたじゃん・・・聞き間違いだよなっ・・・ん・・・でも・・・・

そもそも聞いているのはFM江戸川・・・そこで都議会って行ってんだから間違い無い。
慌てて実家へ連絡するも不在・・・何だかなぁ・・・でも今更どうすっかな・・・

もうおっsan来るかも知れ無いし・・・・仕方無いからおっsanに中抜けさせて貰うか?
すると、そこへす-さんがやって来る。あら、しばらく・・・・

やってっかぁ・・・おっ出来てるじゃん。随分と厚塗りしたじゃんか・・・もっと薄く
出来たろっ?っていきなり駄目出しかい・・・あはははは。

まっす-さんに言われても、デザインは無理だろうが塗るのは上手いから全くその通り。
けど外に出すから重くても問題無いだろう?って言うとまっそうだなっ・・・

と大問題にはならず、それはそれ。どうやら近所で仕事らしく移動の最中らしい。
そんな訳ですぐに帰った・・・

入れ替わるようにおっsanがやって来る。いつものようにどれ?見せて・・・と見て見ると、ちょっと難しいかな?とは思いつつ、今日終るでしょ?って言うと次回・・・と

明らかに終らないと言う。この時点でやる前から終らない方向である・・・

そこでずっと側で何もせずずっと見続ける事にした。そもそも弟子達は何もしない俺が
ただ見ている・・・・が一番のプレッシャ-と言う。

もしそう取るのなら、おっsanにもプレッシャ-は掛けられる・・・・これによって
得られるものは、悩めなくなる事で次々に切って張って・・・と繰り返す事になる。

事務的に・・・ね。そもそも腸に入った時に後は楽しむように・・・と伝えたのに、
楽しむ所か、返って進み具合が悪くなったと思われる。

では遅い理由は何か?考えられるのは、終る寂しさや次の作品へ入るプレッシャ-、
それ以外には技術論。難しいやり方をしてドつぼにはまっているか?などが考えられる。

じゃその理由を会話の中ややっている状況を見て判断する・・・しばらく見ていると、
2mmx2mmのように小さいパ-ツが隣のタイルと合わない・・・ってやり直す・・・

ねぇそれで良いんじゃない?嫌これじゃ駄目です・・・・えっ?おかしくない?

良く考えて見て・・・先生の俺がそれで良いのでは?って言っているモノが生徒のおっsanが否定をする・・・それだけ厳しい状況にするのならそりゃ終る訳が無い・・・

しかもこの会話から判る事・・・では、以前の場所はそんなに厳しく検査を潜り抜けた
パ-ツでしたか?と質問すると気に入らない場所がある・・・そんな発言。

更にここから判る事。つまり腕がじょじょに上がったから以前より上手くなっている事が
伺える。当然今までの道中でも、ここが・・・とかここが・・・とか毎回のように

以前のパ-ツを振り返っては気に入らない箇所を言っていた・・・しかしその都度、
そのままにして先に行って・・・と言った。何故なら以前を振り返った時に、後悔する

くらいなら、何故その時立ち止まって考えなかった?嫌になるものはいつも後から排除
するの?・・・教訓にする事。そのままにして・・・と何度か言って来た。

そもそも張ったと言う事は、その時の自分はそれを受け入れたと言う事。だから張った。
それを冷静になったら・・・とか気まぐれ・・・だとか、何でも良いが理由は1つ。

聞かなかった・・・だけ。悩んだり迷ったりしたのなら、何故そこで立ち止まり、他を
進める行為をしなかったか?何故そのまま聞かずに自分の判断で進んだのか?となる。

勿論、教えた箇所は進めて欲しいが、聞かずに進むのなら俺はいらないはず。

そうやって説明し、その都度それでも納得出来ないのなら、剥がすと良い・・・・
過去の自分と一緒に・・・・否定して・・・・と。

作品とは自分自身。上手くなりたいと口にする人は、こう言う事は当たり前の事。
しかしここが更なる問題・・・一体上手いとは?何だ・・・誰が決めるのだ・・・・

それをさくらとおっsanは自分が決めると言う・・・・俺ははっきり言う。なら絶対
上手くはならない。常に言っている事。評価とは第三者なのだ。

自分で自分が上手い・・・とは思い上がりにも聞こえる。考えを変えないのなら、
方針を変える。人が変わらないのなら、自分が変わるだけ。

これをさくらには徹底的に言っている・・・心の中で・・・・一度だけそれを伝えたから
後はさくらが受け入れるか?受け入れても出来るかどうか?ただそれだけ・・・・

ではおっsanは?弟子では無いから、同じ事は出来ない。ではどうするか?これが課題の
1つ。そもそも団体さん教室の場合と個人の教室の違い・・・て事につながる。

団体の場合、多少上手くなるとみんなの作品を見る余裕も出来る。すると人の進行具合や
テクニック、アイデア・・・・すべてがいっぺんに手に入れる事が出来る。

しかしその半面、他人と比較するばかりに、どうしても卑屈になったり、勝ち誇ったり
本人はそうは思わなくても他人からはそう見える事が多々ある。自覚の無い症状。

では個人の場合他人に一切左右されない。良いも悪くも。良いのは自分の作品のみを
追求出来る事。しかし悪いと・・・・そこに俺しかいないと言う事・・・・

そう俺のを常に見ていると言う事・・・知らず知らずに俺と比べてしまう事・・・・
それが理由にアトリエでの教室の人達は知らず知らずのうち、ピッタリくっ付ける張り方

をかなり気にするようになる。そう完全に俺のモザイクのスタイル。俺はそれでも場所に
よって使い方を考えてやっているけれど、何だか目の前でそのやり方が綺麗だから・・・

と真似されても、それがどんなに過酷な事を意味するのか?そしてどの位身を削る事に
なるのか?判らずに覚悟無く始めてしまう・・・・おいおいってだから止める。

そんな事もあったから、みんなの目の前で作る・・・を辞めたりした・・・・
しかし常にブログは見ているし、アトリエに来なくても一目瞭然。細部までここで見る

事が出来るから・・・・更にここも問題になって来る・・・そうアトリエじゃない教室
でもここを見ていればいくらでも技術論として手に入ってしまう・・・

勿論、読み取る事が出来ればね・・・

こんな事を踏まえると、さくらの名前が出て来てもおかしくない。働く女の人、1年以上同じ作品に向き合う事・・・・いかに大変か?は弟子達にしか判らない・・・・

1つの作品にそれだけの長い時間を掛けた事が無ければ、その辛さは判らないだろう・・
完成の嬉しさ、終ってしまうはかなさ・・・・

だから大作とはね・・・と俺達が経験した事をこんな事が起こるんだよ・・・と伝えて
いた。残念ながら、おっsanはまだ初めての大作で意味が判らない・・・・

そうなる前から伝えていたんだけれど、自分がもうそうなっている事に気が付かない。

こんな例がある。ゴルフにパットが出来なくなる症状がある。イップスって言ったかな?
まっ気の病だなっ。そもそもいつも通りの精神力を保って入れさえすれば、何て事の無い

ものなんだけれど、自分自身で自分にプレッシャ-を掛けているだけの事なのに、他人
の応援や期待なんてものを背負ってる・・・みたいな状況になったりするんだろうね。

人に見られなければなんて事の無い話なんだけれどね。じゃもう一度話を戻す。
どうしたいの?どうなりたいの?何処を目標にする?これがすべて。

上手くなりたいと名乗るのなら、多くの人に公表する事。それによって批評を受けるしかしかし必ずしも良い話ばかりでは無い。しかも一番駄目な意見は体裁。

全く意味の無い、根拠の無い誉め言葉。こんなものは何の役にも立たない。上手くなるには・・・・

しかしね、そうは言っても上手くとは?と聞くとさくらとおっsanは自分自身が納得するもの・・・と答える。確かに自分があって立派な答えにも聞こえる・・・・がしかし

こうは思わないか?自分自身に厳しい人が果たして死ぬまでに納得する作品なんて本当に作れるものなのだろうか?今の段階で先生の俺よりも厳しい目で追求する人に・・・・

そんな事を踏まえて、今日は厳しく行くと決めていた。そしてその中で決めた事。
1時間中抜けさせて欲しいと頼んだ・・・・何故か?


正直、選挙は確かに一回も欠かさず行っているがしかし、いずれ行けなくなるだろう・・
なら今日がその1日目と思えば、行けなくても構わない・・・がしかし、

これだけの話をした後に俺がここに残り続けても、変に気を使わせたり、伸び伸び出来ないようではならない。そこで1時間と決めて中抜けをした。

選挙に行き、ユニディに行った。理由は遠方からわざわざユニディさんの子供さんが
夏の教室に参加して下さると言うのだ。ならば手続きくらい俺が行くべき。

戻って見るとそこそこ進んではいるが、このままではきっと終らない・・・まっ今日は
この位かな?と言う時に、まだやっても良いですか?と言う。

別に構わないよ・・・と言うと、張るのを辞めてラストの部位の色を決めるがのごとく
見回り出した。そこで説明をした。タイルには絵と同じ色は無い。

従って似ている順に張ってしまうと、最後の方は色が無くなる。その時に使えない色が
あると、選択権は狭まる。しかも最後に下絵と比較した所でその色は無い。

大事な事は今までやって来た作品に合う色を選ぶ事。すると、手が止まり色選びを辞める
そしてまた張ろうとする。逃げては駄目。一度手にしたら最後まで向き合う事。

ここで何も決めずに戻したら、ただ休んだだけ。ここで選択してしまえば自宅で完成する
権利が発生する。持ち帰らねばまた次回を待つ事になる・・・・

その時点で終らないようにしているようなモノ・・・自分自身で。

最後は1人で静かに終わりと向き合う事・・・次回は目地から。と。大作を作るとは?

始める時のワクワク感が新鮮で楽しい。しかし始まってしまうとコツコツと
自分で決めた題材に向き合い、時に進んで喜び、時に迷い、時に向き合えなくなり、

辞めてしまう事もあれば、こうやって後少しで完成までこぎつける事が出来る。
継続は力なりと良く言ったもの。諦める事はいとも簡単。続けるとは難しいものだ。

すべてが己自身の生き様だって事・・・・本当のものつくりとはそう言うもの。
こうやって作ったモノは、いつの世にもふさわしい作品になる。己自身の宝。

捨ててしまえる作品とは何とも浅はかで、悲しいものだ・・・・・

後はおっsanが来るまで待つだけ。




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