正直、先日の下絵にはビックリした。こんなに変わるとはね・・・が本音。
確かに描き方の指導はした。アイデアやややり方をね。がしかし、ここまで
判るとは思わなかった。良くバラを見ているし、ここまでは良くやった。
それを今度は下絵に写す事が更に大変だった・・・・と言う話から教室は始まる。
katsuさん・・・凄く大変だった・・・だろうな、こんなに細かくちゃね・・・
少しでもずれてしまったらその時点でおしまい・・・ってな事になってしまう・・・
しかもそんなだから、途中で明日・・・なんて事は無理に近い。
そんな中、それじゃ確認するよ。何を使う?すると先日の鏡のガラスタイルで。と。

まっ確かに悪くは無かった・・・鏡の作品。でもこの下絵を見せられては、所詮過去の
作品・・・同じスタイルでやるも良いが、あれを超えようよ・・・って。
あの色はそのまま使って良いから、少し考え方を変えようって。
前回のキウイのバラを思い出して欲しい。そして俺のバラを比較する。
素材は違うにせよ、3色くらいしか使っていない。
一体何が違うと思う?それはね、メインと脇役をハッキリさせる事。キウイの場合、
綺麗ではあったけれど、色がぶつかり合う・・・とも取れる色どうしの2色があった。
一体どっちがメインなのか?ってくらいにね。だから今回は1つのバラに大好きな色を
1色しか使わない・・・そんなル-ルはどうだろうか?と言って見た。
それで2番になった色たくさん使う為に、葉っぱを全部その色にする。どうかな?って。
すると、その完成のイメ-ジが一致したのだろう。ニコッって笑って、はい。
これもまた凄い。それで判ったのか?完全に変わった。抜けたなっ・・・
明らかに変わった。それがいつからか?も一緒だった。
おれが貸したスポットライトからだよな・・・・はい。そう思いますって。
実はキウイは室内で怪我をされないように、ベランダでやりたかったのだけれど、
手暗がりになってしまって・・・って話からこれ持って行けば・・・とライトを貸した。
その日から、続け様にガラスタイルを切ったのだろう・・・1ヶ月に1回の教室では
慣れるまでに時間が掛かる。がしかし、自宅の回数を増やせばそりゃ嫌でも慣れる。
当然のごとく上手くなるはず。それが後半の鏡のモザイクの早さにも繋がっている。
勿論、向き合った時間も相当なものだろう。
正直、教室が終わった時、あらためて作品を観た時、あぁ本気でかぐやのようなモザイク
を作りたいんだな・・・・って思った。
こんなに上手くなって、こんなに進んで、やる気って凄いんだな・・・人をこんなにも
変えてしまうんだな・・・とあらためて実感したと同時に、俺をはじめさくらもかぐやも
きちんとした壁にならないといけないな・・・と感じた。先人で生きて行くものの宿命。
目標になる事。簡単には抜かせてはならない。そうしないと追いかけて来る者に失礼。
さくらは産休みたいなモノだから帰って来たらしっかりやってもらえば良いが、かぐやにはエ-スの自覚を作って行く上で、受けて立つ気持ちになって欲しい。
いらっしゃい・・・よろしくてよ・・・とね。その位言える腕はある。後は強い心。
自分自身を信じる力。意地を張る事では無い。受け入れる勇気。そして常に精進。
こうすると良いよ・・・と言える器になって欲しいと思う。勿論、さくらを甘やかす
つもりも無い。かぐや1人に背負わすなっ。支えろ・・・かぐやを。
大人1人も救えない奴がおっかなんて勤まるはずは無い。聞き分け無い奴だが、根は良い
奴だ。さくらとかぐやは2人で1人。常に言い続けている事。
これが俺の考える仲間のル-ル。喜び以外は一緒に泣かない。己の為の涙がある奴は
まだまだ浅はかな証拠。そんなものは捨ててしまえ。憂う心と願う心だけあれば良い。
前さえ向いていれば必ず結果は後から付いて来る。結果を急がない。迷ったら信じる仲間に私は平常?と聞く。意地を張らない。この位は普通に出来て欲しいと願う。
こんな事を言うと生き様が窮屈になっちまうんだよなぁ・・・人に言うからには、襟を正す・・・げぇお前は出来んのか?って言われない様にやらなきゃなっ。
ただここが大事。作品は常に堂々と、どうだぁと言わんばかりで結構。上手いモノは上手くて当然。しかしモザイクを離れたら謙虚な姿勢。それは人として。
作品はあくまで腕。プロならヘタなら辞めてもらいたい。質が落ちたモノがモザイクとして残ると、こんなもんか・・・と馬鹿にされる。それでは切って捨てたタイルは浮かばれない。ただ材料が勿体無いだけである。
人の心が無いとも取れる。金を出せば御客・・・的発想。人の手が掛かっているものを、お金は出して買ったとは言え、平気で捨てられる人間とは仲間になりたくない。
しかしここも大事。一生続けるにあたって、その人の向上の為になるのなら、捨てられた
タイルも浮かばれる。全く食べ物と同じである。
生き物を食べ生きている。殺してね。肉を買ったんじゃない。生き物の肉だ。
その命を頂きますと生きるための必要悪を使い、己の血、肉に変えて行く。
ならば生きる為の仕事として選んだモザイクの向上の為、死んだタイルの為にも上手くなりたい・・・すまん・・・勘弁してくれ・・・と俺は切る。
タイルで判らん奴に食べ物での比喩はわかるはずも無く、心無く残すなんてのは当たり前
己を知ればそんな事は無くなる。
がしかし、上手くなる為であれば、俺は惜しまない。がしかし無駄にするのは困る。
無理、無駄、ムラを無くせば能率は上がる。究極に言えばそれがマニュアル。
しかし俺の相手にするのは、機械じゃない。人間。しかも心ある人間。今日のキウイには
弟子でも、プロでも無いが、仲間と言う気持ちにさせられるくらいの気迫や気力を
感じるくらい素晴らしいモザイクを見た。とても良い刺激になった。無理せず頑張れと
言いたい。
さてそんな中、ヒカルの碁。実家に呼ばれて実家で見るはめになった・・・・
集中したかったが、それはそれ。
何とも今日の出来事とかぶる話だった。ライバルとは?己の力を向上される最も最短な
人物。気迫、気力でぶちあたって行く。その繰り返しがまた教えた者達に受け継がれる。
そしていつかそいつらと俺はライバルになり得る・・・・その手助けをしているようなモノ・・・・先人とは?時に切ないものである・・・・
俺ももっと大きな壁になっていたいものだ・・・・ぶつかってこられても微動だにしない
強靭な壁に・・・・いつかそうなる為の作品になっているだろうか?また・・・

確かに描き方の指導はした。アイデアやややり方をね。がしかし、ここまで
判るとは思わなかった。良くバラを見ているし、ここまでは良くやった。
それを今度は下絵に写す事が更に大変だった・・・・と言う話から教室は始まる。
katsuさん・・・凄く大変だった・・・だろうな、こんなに細かくちゃね・・・
少しでもずれてしまったらその時点でおしまい・・・ってな事になってしまう・・・
しかもそんなだから、途中で明日・・・なんて事は無理に近い。
そんな中、それじゃ確認するよ。何を使う?すると先日の鏡のガラスタイルで。と。

まっ確かに悪くは無かった・・・鏡の作品。でもこの下絵を見せられては、所詮過去の
作品・・・同じスタイルでやるも良いが、あれを超えようよ・・・って。
あの色はそのまま使って良いから、少し考え方を変えようって。
前回のキウイのバラを思い出して欲しい。そして俺のバラを比較する。
素材は違うにせよ、3色くらいしか使っていない。
一体何が違うと思う?それはね、メインと脇役をハッキリさせる事。キウイの場合、
綺麗ではあったけれど、色がぶつかり合う・・・とも取れる色どうしの2色があった。
一体どっちがメインなのか?ってくらいにね。だから今回は1つのバラに大好きな色を
1色しか使わない・・・そんなル-ルはどうだろうか?と言って見た。
それで2番になった色たくさん使う為に、葉っぱを全部その色にする。どうかな?って。
すると、その完成のイメ-ジが一致したのだろう。ニコッって笑って、はい。
これもまた凄い。それで判ったのか?完全に変わった。抜けたなっ・・・
明らかに変わった。それがいつからか?も一緒だった。
おれが貸したスポットライトからだよな・・・・はい。そう思いますって。
実はキウイは室内で怪我をされないように、ベランダでやりたかったのだけれど、
手暗がりになってしまって・・・って話からこれ持って行けば・・・とライトを貸した。
その日から、続け様にガラスタイルを切ったのだろう・・・1ヶ月に1回の教室では
慣れるまでに時間が掛かる。がしかし、自宅の回数を増やせばそりゃ嫌でも慣れる。
当然のごとく上手くなるはず。それが後半の鏡のモザイクの早さにも繋がっている。
勿論、向き合った時間も相当なものだろう。
正直、教室が終わった時、あらためて作品を観た時、あぁ本気でかぐやのようなモザイク
を作りたいんだな・・・・って思った。
こんなに上手くなって、こんなに進んで、やる気って凄いんだな・・・人をこんなにも
変えてしまうんだな・・・とあらためて実感したと同時に、俺をはじめさくらもかぐやも
きちんとした壁にならないといけないな・・・と感じた。先人で生きて行くものの宿命。
目標になる事。簡単には抜かせてはならない。そうしないと追いかけて来る者に失礼。
さくらは産休みたいなモノだから帰って来たらしっかりやってもらえば良いが、かぐやにはエ-スの自覚を作って行く上で、受けて立つ気持ちになって欲しい。
いらっしゃい・・・よろしくてよ・・・とね。その位言える腕はある。後は強い心。
自分自身を信じる力。意地を張る事では無い。受け入れる勇気。そして常に精進。
こうすると良いよ・・・と言える器になって欲しいと思う。勿論、さくらを甘やかす
つもりも無い。かぐや1人に背負わすなっ。支えろ・・・かぐやを。
大人1人も救えない奴がおっかなんて勤まるはずは無い。聞き分け無い奴だが、根は良い
奴だ。さくらとかぐやは2人で1人。常に言い続けている事。
これが俺の考える仲間のル-ル。喜び以外は一緒に泣かない。己の為の涙がある奴は
まだまだ浅はかな証拠。そんなものは捨ててしまえ。憂う心と願う心だけあれば良い。
前さえ向いていれば必ず結果は後から付いて来る。結果を急がない。迷ったら信じる仲間に私は平常?と聞く。意地を張らない。この位は普通に出来て欲しいと願う。
こんな事を言うと生き様が窮屈になっちまうんだよなぁ・・・人に言うからには、襟を正す・・・げぇお前は出来んのか?って言われない様にやらなきゃなっ。
ただここが大事。作品は常に堂々と、どうだぁと言わんばかりで結構。上手いモノは上手くて当然。しかしモザイクを離れたら謙虚な姿勢。それは人として。
作品はあくまで腕。プロならヘタなら辞めてもらいたい。質が落ちたモノがモザイクとして残ると、こんなもんか・・・と馬鹿にされる。それでは切って捨てたタイルは浮かばれない。ただ材料が勿体無いだけである。
人の心が無いとも取れる。金を出せば御客・・・的発想。人の手が掛かっているものを、お金は出して買ったとは言え、平気で捨てられる人間とは仲間になりたくない。
しかしここも大事。一生続けるにあたって、その人の向上の為になるのなら、捨てられた
タイルも浮かばれる。全く食べ物と同じである。
生き物を食べ生きている。殺してね。肉を買ったんじゃない。生き物の肉だ。
その命を頂きますと生きるための必要悪を使い、己の血、肉に変えて行く。
ならば生きる為の仕事として選んだモザイクの向上の為、死んだタイルの為にも上手くなりたい・・・すまん・・・勘弁してくれ・・・と俺は切る。
タイルで判らん奴に食べ物での比喩はわかるはずも無く、心無く残すなんてのは当たり前
己を知ればそんな事は無くなる。
がしかし、上手くなる為であれば、俺は惜しまない。がしかし無駄にするのは困る。
無理、無駄、ムラを無くせば能率は上がる。究極に言えばそれがマニュアル。
しかし俺の相手にするのは、機械じゃない。人間。しかも心ある人間。今日のキウイには
弟子でも、プロでも無いが、仲間と言う気持ちにさせられるくらいの気迫や気力を
感じるくらい素晴らしいモザイクを見た。とても良い刺激になった。無理せず頑張れと
言いたい。
さてそんな中、ヒカルの碁。実家に呼ばれて実家で見るはめになった・・・・
集中したかったが、それはそれ。
何とも今日の出来事とかぶる話だった。ライバルとは?己の力を向上される最も最短な
人物。気迫、気力でぶちあたって行く。その繰り返しがまた教えた者達に受け継がれる。
そしていつかそいつらと俺はライバルになり得る・・・・その手助けをしているようなモノ・・・・先人とは?時に切ないものである・・・・
俺ももっと大きな壁になっていたいものだ・・・・ぶつかってこられても微動だにしない
強靭な壁に・・・・いつかそうなる為の作品になっているだろうか?また・・・

