katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

監督教室

2011-08-28 22:37:22 | モザイク教室
まず朝のかぐやから・・・。すいませんでした・・・・はいはいどうも。
まっ立ち直りが早いのも奴。

そんな中、こんなエピソ-ドから。かぐやは娘に一連の話をしたらしい・・・・すると
出して来たアイデアは、朝の俺が出したアイデアと同じたったらしい・・・あははは。

娘の方がしっかりしてるわっ・・・・。頼もしい限りである。

さてそんな中の監督教室。すでに何度かお母さんとメ-ルのやり取りをしたので、
進行状況は判っていた・・・むしろそれよりもお母さんの方が心配である・・・・

何しろ終わらないんじゃないか?・・・・と口出しするも、監督が受け入れるはずも無く
そう言った事の繰り返しを何日もしていたのである・・・きっとね・・・

画像は今日の最終結果なんだけれど、朝一番の宿題の成果としての結果は・・・


こんなだったのね。一応お母さんと一連の話をした。勿論そんなのでは安心するとは
思えないが、仕事らしくお帰りになった。

そんな中、監督がこんな事を言う・・・・先生の喰い切り使いたい・・・・


これがみんなが良くここで使っているもの。そしてこれが俺の・・・・


決定的な違いは刃の幅なんだけれど、ん・・・そうね、野球好きなら比喩は、
ホ-ムラン打者とヒット量産の打者の違いみたいなもので、

刃の幅が広いって事はパワ-が伝わりやすく力をそんなに入れなくても切れる。
がしかし、刃が広い分、細かい細工はしにくい。

俺のは刃が狭いから真っ直ぐ切るって言うのはパワ-で切らないとならないが、
変な形なんかに切るのはむいている。

そこでしばらく貸していたんだけれど、雰囲気だけでも変えてあげるか・・・と
少しサンダ-って機械で削ってあげたのでいくらか変わったみたい。

更にスピ-ドアップのコツは無いですか?と言うので、こんな説明をした。


大体、右も左も同じような大きさでしょ?それを任意の形で構わないから、必要とする
楕円が取れると思われる大きさにカットする。すると、

こうなる。

それを作ってから楕円を作る。


こうすると能率アップに繋がるが、問題は任意の形を切る時に、きちんと楕円が作れると
思われる大きさを素早く切る事が出来るような目で検討を付け切れるかどうか?

いちいちしるしなんか付けなくてもね・・・・

まっここも目的意識を持って繰り返せば慣れて来るから、意識を持つ事が大事なのね。
そんなこんなの8時間近くまでの特訓教室・・・・



それでこの辺周辺しか終わらないのだから、モザイクってとても時間が掛かるものなのね
まっ宿題が上手く行くなら、次回終了となるのだけれど・・・・さていかに?

そんな中の俺は・・・・


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オ-ドリ-教室

2011-08-28 06:51:30 | モザイク教室
そうね・・・そろそろ弟子になったオ-ドリ-には、弟子って何だ?って事も教えても
良いだろう・・・って気になって来た・・・。

ただ売れてもいない、環境も変わっていない、特に弟子になったって言っても終了証書
みたいなものも無い、これで何が変わるって言っても伝わるはずも無いだろうが、

大事なのはそうであっても、感じる・・・って言うのは感受性にも繋がるものだから、
常に感じる・・・って話しを満載に・・・と意識して話をする事にした。

勿論、今に始まった事では無く常にチョロチョロと入れてはいたが、満載に・・・と
変化するだけなんだけれど。

オ-ドリ-は自分を語る・・・って言うのは慣れて来たみたいで、必ず今週の私・・・って
感じで、どんな事があったか?誰と会ったか?何をしたか?をモザイクをしながら話す。

これは基本中の基本で、何々しながら・・・やっと話しながらが出来るようになった。
最初、俺の教室では俺の話を聞きながら・・・で始まるものなんだけれど、

まっこれ1つ取ってもレベルアップした事になる。知っている人はいるだろうけれど、
説明を入れて見る事にする。

まずアトリエの場合、ラジオと俺の話以外に音は無し。つまり邪魔になるのはこの2つ。
しかしこの邪魔の1つ、俺の話を指導と取るのなら、それは邪魔では無く俺のいない

自宅で俺が指導しているみたい・・・と感じるように俺が出て来たとしたら・・・
それは確実に指導になった事になる。

所がアトリエより自宅の方が進む・・・と感じたのなら、俺の話が指導では無く、
お小言に聞こえていた事になり、俺がいない事が吉となる。

どちらになるか?はどう受け取ったか?であって、いずれにせよ大事な事は必ず盛り込んで
話はしている訳で・・・・・。ただそうは言ったものの、

この考え方は知識を習得する話には全く当てはまらない。あくまで知恵の習得についての
もの。簡単な例えなら、九九を覚えるのには外部に音はいらない。

集中力を欠くから。では知恵の場合。知恵は憶えた事をどう使うか?って事を問われる。
だから何が大事か?となると窮地になった時・・・何をどうするのか?をある程度、

体に植え付ける。実はこれも意外と普通。スポ-ツなんかほとんどこれ。
取る、打つ、走る、投げる、蹴る、・・・と一連の動作の練習をする。

きちんと何度も何度も練習をすると、今度もそれを元に邪魔やプレッシャ-を掛ける。
邪魔とは?スポ-ツの場合は敵。敵はその練習で会得した基本動作を崩しに掛かって来る。

プレッシャ-とは?観客だったり、ヤジ等であり、それらは通常の精神に揺さぶりを
掛ける要素ともなる。当然、逆も真なりでそれを味方に付ける事が出来る者もいるが。

こうした状況に対応する為には、常にある程度追い込まれた状況下の上で練習をして
いちいち脳の指令を待って手足を動かすのでは無く、脳が手足よりも早く反応するように

反復練習をする。それによって、いちいち邪魔やプレッシャ-が掛かる前に反応して
しまうような癖を付ける・・・・言葉にするとこんな感じなのだけれど、

つまり最後は、・・・・・こんな感じと曖昧になってしまうが、感じるって言うのは
こんな事をまず理解した上で、どこまで遂行出来るか?と問われる事だと思う。

それが一体何が関係しているのか?って言うと、ものつくりは一見敵はいないように
思うだろうが、実は己の敵は己だったりする訳なのね・・・。

つまり上手くなりたい・・・と欲が生まれたりする。その欲が多くなったのなら、
当然その欲とつり合う努力や時間が必要となる。

しかしつり合いがとれたか?となると最後は結果となる。今、例にあげたスポ-ツなら
結果は判り易いが芸術となるととても判断基準が曖昧である。

まっこの例もサッカ-とシンクロって例えれば、得点が曖昧に思えるのはシンクロ。
たったこれだけでこうも違うのなら、完全なる芸術点となると、もはや感みたいなもの。

そうどこまで行っても感じる・・・そしてその感じたものを作る・・・となる。
がしかし、それはあくまで自分サイドから感じたものとなり、もう一歩踏み込むと、

自分が感じたものは一体、人にはどう感じるものなのだろうか?・・・と感じたりする。
そして最後は伝える手段なのだから、伝わるようにするには・・・となる。

そこで折り合いの付く所を探したりする。そしてそれが成立した時に普通って言葉となる

ここまでが上手く行くようになると、更に今度は伝える事が出来るようになるのなら
伝えたい人のみには伝えられないものか・・・?と更に更に・・・と限定してみようと

高みを望んだりする・・・。こんな中でのオ-ドリ-なら、そうね・・・自分からの視点
では無く、自分の考え方は人にはどううつるのだろうか?と折り合いの付け方だと思う。

例えば自分がこの花は普通・・・とかこの文字は普通・・・とか感じたとしても、
人はどう思うのかな・・・?と判らないながらも、何か折り合いの付く普通を探し、

更にそこからどうするとお洒落だの可愛いだの、綺麗だの・・・と更なる美しさを
探す方法を会得する事が今までの自分よりも上回る何か?を見つける手掛かりになるはず

そんな中、ガラスタイルでバックをやる・・・って言う事になっていたんだけれど、
色々と考えた末に、花が終わる前にちょっと切ってみたい・・・となった。

所が難しい・・・と言うのね。ん・・・違うのね。消して難しくは無い。
何が難しいと思うのか?整理する事にした。



こうやって整理して、一体自分はどれを多くしたいか?と決めて、更にここに色も
こうして具体化すれば、ただきちんと切る・・・ってだけなら、オ-ドリ-の腕なら、

特に問題は無い。となると、難しいと感じたのはこうした具体化無く、何と無く進めた
からであって、いかにノ-プランであってもこうした具体化を順番に進めれば、

悩み事が少なくなる分、進行速度が上がる。それが進まない気分の悪さを感じず
進めるコツでもある。ただその具体化するのを面倒だっ・・・って感じたり、

その必要性を感じられなかったりすると、すべてはカンのみ・・・これでは人間の
成功率なんて2割もあれば沢山・・・って感じじゃない?

そもそもカンで上手く行くなら全員受験は合格だわなっ。
まっ自由に・・・って言うのは時に不自由な事もあるのね・・・・。

クラッシュの自由って言うのが苦手な人は、こうした根拠の元にちょっとした不自由、
つまりマニュアル作りをする事。自分の為のマニュアルをね・・・。

それが進行速度を早くするのね。

昔、さくらやかぐやを教えた時は、こんな具体的に教えられるほど経験値も腕も無く
ほぼ2人に感じて貰って説明していた感じだったのね・・・でも今は明らかに説得力が

違うし、その為の根拠もかなり具体的で随分と成長していると思うのね。
まっ一番判るのは、さくらでありかぐやでもあるのね。

まっ何しろ何でも良いから、きっかけでも良いから何か感じて貰えればこれ幸いである。



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