昨日に引き続き、亀有カルチャーの体験用の下地とサンプル作り・・・・昨日の晩に材料は揃えてあったので、まずは下地彫りから。ただこの木での鍋敷きってやった事が無いし、正直今まで反った木もあるのね。丈夫で安心だけならベニアを使えば良いんだけれど、そうなると合板だから側面の見栄えが
悪いのね。断層が見えて・・・だからペンキを塗りたくなる。それを1枚物の木を使えば側面の見栄えが良くなるし、ペンキでは無くて油なんかの仕上げになり、雰囲気は良くなる。けれど1枚物は反ってしまう事がある・・・。そこを何とか是正出来ないものか?・・・を検討中なのね。
これについては目地をして明日どうなっているか?・・・・固まって反るようなら、また何か考えないと・・・って話。そんな中、油を塗る時にレオパの鏡も一緒に仕上げたのね。
そんな中、かぐやの娘から電話があって・・・正直内容は聞かなくても判るんだけれど・・・・katsuさん、弟受かったよ・・・って。そっか…そっか・・・当然、かぐやもせがれも大事な人の順番に連絡しているんだろうし、そんな中、娘が俺に連絡して来たんだろうな・・・って判ったのね。
そもそも落ちていたら、本人が伝えて来るだろうから・・・きっとね。ただこんな時のリアクションが思い付かないし、確かにおめでとう・・・は合っていると思うのね。でも、えっと・・・えっと・・・って何か・・・何か・・・おめでとうって当たり前なのね。
もっと俺はこう思っている・・・って言いたい訳で・・・そしたら、出て来た言葉が、100パーセント喜べないんだよなぁ・・・でも良かったし、でも・・何か詰まんない・・・俺がお前らに付いて行けてないんだよなぁ・・・になっちゃったのね。
勿論、受かったから良かったじゃん・・・だから思い切り言える事なんだけれどね。って前提で、何かどんどんと大人になっちゃうのね・・・これが親ならね、育てたって実感があったり、思い出もいっぱいあったり、大変な事とか数え切れないと思うんだよね・・。でも俺はそんなじゃない。
だから、かぐやが100喜んでいるとしたら、何もしていない俺が100の訳が無いし・・・友達でも無いから遊ぼうぜって感じでも無いし・・・。どう喜んで良いのかな?・・・って考えちゃう。昔はお前らが子供で俺は大人だから・・・って前提で、何か買ったり、何処か行こうぜ・・・で楽しかった。
けど、どんどん大人になると、もう対等な感じだから、子供を誤魔化すような話じゃないじゃん。しかも大人になったから・・・ってお酒一緒に吞めるとかあるのかも知れないけれど、別にそこに魅力は感じ無いし・・・すると娘が、katsuさんらしい・・・って。
結局、月並みだけれどお祝いしか出来ないんだろうなぁ・・・って話。そんな中、電話の向こうでお爺さんが喜んでいる声が聞こえて来て・・・。きっと自慢の孫だろうな・・・そんな人がいたら増々お暇するわ・・・落ち着いたら本人におめでとうって言うわっ・・・・。
それよりも何よりもお前が上位で俺に連絡してくれた事に感謝だよっ・・・そんな話で終わったのね。その後、しばらくして本人から連絡があって、勿論おめでとうも言ったし・・・でも、それ以上が出て来ない・・・遠くに行っちゃうからもある。
かぐやの事を考えると、せがれが離れて行く事になる・・・そう考えると、切ないだろうな・・・って気持ちもあるし、受かった子供は明日への未来へ向かって行くのだから、置いて行かれる人の気持ちなんて考えずに行けば良い・・・喜びだけで。
ある意味、みんなそうして親元から大なり小なり離れて行くもんなのだから・・・と思いつつも、さっきの話と同じで、親をやった事が無いから、出て行く子供の気持ちと、一応親では無くても大人のくくりなら一応大人なんで、そんな目線なら、何と無く話は出来るが、でも・・・・。
そもそも大事な人達の後でしょ・・・・もう俺はおめでとうしか言えないでしょ・・・良かったな・・・それだけ。いつものようにふざけられないし、真面目かっ・・・って話。いずれにせよ、何もかもが携われて良かった・・・なんだけれどね。俺が大人らしく無いだけな話。
そんな後、確定申告。まぁ去年は車が廃車にアトリエを出る事になった・・・この2つで何も考える事無く終わったな・・・って感じ。そうね・・・200万かろうじて・・・って事では、良く生きていられたな・・・・って感想と、応援してくれた人へ・・・すみませんでした・・・。
このザマで・・・。何度このセリフを言っただろうか・・・と正直呆れる。がしかし、心折れずに続けられるのは、何も変わらずに応援してくれる人達がわずかながらいる・・・それがある限り続けられるのだから、継続は力なりとは良く言ったもので・・・。
ただまともな人生では無い事の自覚は十分にある。何しろ俺の人生には、さっきの話のような、どんな人にもありそうな日常の会話1つもありゃしない訳で・・・それをいらないよ・・・と強がり言うのでも無く、欲しいとも思わない・・・って強がりも言わないし、だからと言って願いもしない。
むしろ今は無くて良かった・・・と素直に思える。このザマではね・・・ただこのザマじゃなくなったとしても、今日の出来事が全て。自分に家族がいないから、人の子供と本気で向き合える訳で・・・本気で感謝も出来るし、きっとこれが俺の生き様なんだろうな・・・と素直に受け入れる。
そうね、心の自立もお金の自立も確定申告なんて1年を振り返る日だから・・・・やったんだろうね・・・きっと振り返りを。
いずれにせよ、これでまたリセット・・・・1年は1月から始まっているけれど、また1から・・・って切り替え。
悪いのね。断層が見えて・・・だからペンキを塗りたくなる。それを1枚物の木を使えば側面の見栄えが良くなるし、ペンキでは無くて油なんかの仕上げになり、雰囲気は良くなる。けれど1枚物は反ってしまう事がある・・・。そこを何とか是正出来ないものか?・・・を検討中なのね。
これについては目地をして明日どうなっているか?・・・・固まって反るようなら、また何か考えないと・・・って話。そんな中、油を塗る時にレオパの鏡も一緒に仕上げたのね。
そんな中、かぐやの娘から電話があって・・・正直内容は聞かなくても判るんだけれど・・・・katsuさん、弟受かったよ・・・って。そっか…そっか・・・当然、かぐやもせがれも大事な人の順番に連絡しているんだろうし、そんな中、娘が俺に連絡して来たんだろうな・・・って判ったのね。
そもそも落ちていたら、本人が伝えて来るだろうから・・・きっとね。ただこんな時のリアクションが思い付かないし、確かにおめでとう・・・は合っていると思うのね。でも、えっと・・・えっと・・・って何か・・・何か・・・おめでとうって当たり前なのね。
もっと俺はこう思っている・・・って言いたい訳で・・・そしたら、出て来た言葉が、100パーセント喜べないんだよなぁ・・・でも良かったし、でも・・何か詰まんない・・・俺がお前らに付いて行けてないんだよなぁ・・・になっちゃったのね。
勿論、受かったから良かったじゃん・・・だから思い切り言える事なんだけれどね。って前提で、何かどんどんと大人になっちゃうのね・・・これが親ならね、育てたって実感があったり、思い出もいっぱいあったり、大変な事とか数え切れないと思うんだよね・・。でも俺はそんなじゃない。
だから、かぐやが100喜んでいるとしたら、何もしていない俺が100の訳が無いし・・・友達でも無いから遊ぼうぜって感じでも無いし・・・。どう喜んで良いのかな?・・・って考えちゃう。昔はお前らが子供で俺は大人だから・・・って前提で、何か買ったり、何処か行こうぜ・・・で楽しかった。
けど、どんどん大人になると、もう対等な感じだから、子供を誤魔化すような話じゃないじゃん。しかも大人になったから・・・ってお酒一緒に吞めるとかあるのかも知れないけれど、別にそこに魅力は感じ無いし・・・すると娘が、katsuさんらしい・・・って。
結局、月並みだけれどお祝いしか出来ないんだろうなぁ・・・って話。そんな中、電話の向こうでお爺さんが喜んでいる声が聞こえて来て・・・。きっと自慢の孫だろうな・・・そんな人がいたら増々お暇するわ・・・落ち着いたら本人におめでとうって言うわっ・・・・。
それよりも何よりもお前が上位で俺に連絡してくれた事に感謝だよっ・・・そんな話で終わったのね。その後、しばらくして本人から連絡があって、勿論おめでとうも言ったし・・・でも、それ以上が出て来ない・・・遠くに行っちゃうからもある。
かぐやの事を考えると、せがれが離れて行く事になる・・・そう考えると、切ないだろうな・・・って気持ちもあるし、受かった子供は明日への未来へ向かって行くのだから、置いて行かれる人の気持ちなんて考えずに行けば良い・・・喜びだけで。
ある意味、みんなそうして親元から大なり小なり離れて行くもんなのだから・・・と思いつつも、さっきの話と同じで、親をやった事が無いから、出て行く子供の気持ちと、一応親では無くても大人のくくりなら一応大人なんで、そんな目線なら、何と無く話は出来るが、でも・・・・。
そもそも大事な人達の後でしょ・・・・もう俺はおめでとうしか言えないでしょ・・・良かったな・・・それだけ。いつものようにふざけられないし、真面目かっ・・・って話。いずれにせよ、何もかもが携われて良かった・・・なんだけれどね。俺が大人らしく無いだけな話。
そんな後、確定申告。まぁ去年は車が廃車にアトリエを出る事になった・・・この2つで何も考える事無く終わったな・・・って感じ。そうね・・・200万かろうじて・・・って事では、良く生きていられたな・・・・って感想と、応援してくれた人へ・・・すみませんでした・・・。
このザマで・・・。何度このセリフを言っただろうか・・・と正直呆れる。がしかし、心折れずに続けられるのは、何も変わらずに応援してくれる人達がわずかながらいる・・・それがある限り続けられるのだから、継続は力なりとは良く言ったもので・・・。
ただまともな人生では無い事の自覚は十分にある。何しろ俺の人生には、さっきの話のような、どんな人にもありそうな日常の会話1つもありゃしない訳で・・・それをいらないよ・・・と強がり言うのでも無く、欲しいとも思わない・・・って強がりも言わないし、だからと言って願いもしない。
むしろ今は無くて良かった・・・と素直に思える。このザマではね・・・ただこのザマじゃなくなったとしても、今日の出来事が全て。自分に家族がいないから、人の子供と本気で向き合える訳で・・・本気で感謝も出来るし、きっとこれが俺の生き様なんだろうな・・・と素直に受け入れる。
そうね、心の自立もお金の自立も確定申告なんて1年を振り返る日だから・・・・やったんだろうね・・・きっと振り返りを。
いずれにせよ、これでまたリセット・・・・1年は1月から始まっているけれど、また1から・・・って切り替え。