katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

オトヒメウミウシのモザイク

2017-03-14 02:25:24 | モザイク作家
今日はお教室も無くずっとオトヒメウミウシのモザイク・・・・しばらく振りに丸々1日。かぐやと朝話しただけで、後はずっと1人。作家活動とは孤独なもんだが、近頃はラジコのタイムフリ―機能なんて使うと、聞き逃したラジオ番組なんて聞けたりして・・・。

随分と便利になったもので・・・お陰で孤独も軽減される。何だかあっと言う間な感じがした1日だったのだから、割と充実していたんだろうけれど、やっぱり久し振りだと慣れないものでね・・・孤独って言うのはある程度時間に耐えるって練習をしないとならないのね。

いつもはこんな時は、なるべく10時までアトリエにいる・・・なんて単純にいるって時間を増やす事にしたりする。何しろ上手く行かなかったり、孤独なんて場合、アトリエ自体が負な気持ちになる。昔ならそんな時でも池に金魚がいたりして、微妙にアトリエに負だけを感じなかった。

勿論、それも金魚が生きている前提の話で、死んでしまえば負は大きくなる。これもまた良い事と悪い事は背中合わせである。ただ今はそれすらも無い。
確かにそんな事は無いけれど、それ程上手く行かなかったとは思えなかったので、今日は孤独のみで済んだから、比較的ダメージは少なかった。

ただそれは依頼品じゃないのでプレッシャーも少なく、更に言えば考えての制作では無くて、似ているか?似ていないか?ってだけなので、良く資料を見て・・・ってだけなので、気持ちを削られる事が少ない。これが依頼品だと、お客さんはどう思うか?みたいに感じ方の違いなんかを考えたりもする。

そもそも似ているか?似ていないか?って言うのは、そうね・・・例えば文字だとすると、明朝体やブロック体のように誰にでも読みやすく判りやすいだろうが、それは普通過ぎたりして、それが達筆になると、お寺のお坊さんみたいな文字になると、もはや何を書いているか読めない。

勿論、読める人には読めるのだろうが、それは普通とは言わない。あくまで普通は人数の多い側であって、そこの折り合いってものが大事だと思うのね。だからいつも読め無さそうで読めるを目標にするのね。それを読めそうで読めないでは普通にはならなかったりする。

そのギリギリの事がしたいのね・・・そこを基準に判る方よりなのか?判らなくするのか?って言う事を考えちゃったりするのね。そのさじ加減が上手く行かなかったりした時に、金魚・・・みたいな感じ。何かそれに代わるものが見つかると良いんだけれど・・・。

いつか必要になるかも知れないから・・・・。

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