katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

みどりと棟梁の相席教室

2017-03-28 07:26:39 | モザイク教室
今日はみどりと棟梁の相席教室。それが、朝棟梁から連絡があって、早めに行って良いですか?って。逆にみどりは俺が知っている限り資料を忘れて来た。別に拾い上げる事柄では無いようだけれど、念の為みたいな話でスタートになったのね・・・。

まずどうして棟梁は早めに来るのか?それは用事があって早く帰らないとならないかららしいのね。要するに能率効率。時間が短くなると嫌だからってね。普通はこんな事流れて行く話だろうが、違うのね・・・例え1時間でも初めて1人での時間を過ごすのね。

今まではカルチャーにしても、Kameyaさんにしても、アトリエも全てが相席だったのね。それが今日、1時間とは言え初めて1人になる。例え能率効率だったとしてもね・・・つまりそれが出来たって実績は、仮に相席じゃ無かったとしても来られるかも・・・って体験をした事になる。

そもそもネットでいらした方の大半は、1人でやって来る。だから?それで?って人は別に広がらないが、男の先生だったり、一人で・・・とか、今は送迎なんて色々とハードルあるなぁ・・・と考えたりすれば、若干戸惑ったりもするだろうね。そう言う点ではカルチャーは安全安心だったりする。

路上の買い物とデパート内での買い物くらい差があるかな・・・ただ、棟梁と俺ではそんな戸惑いは少ないと思うのね。何度と無く会っているし、もっと具体的に言えば、Kameyaさんはホームでアトリエはアウエーとするのなら、ホームの2人はあっても、アウエーの2人は無い。

勿論、そんな意識は無かった・・・といつものように言ったのだけれど、じゃ何でアトリエに2年半も来られなかったか?ブログを読んでいて、来たいな・・・と思いつつ、怖いな・・・とも思っていたらしいのね。だから、敷居が高かったらしいのね。ほら、十分意識してるのね。

つまり意識していなかった・・・じゃなくて、物凄く意識していたんだけれど、能率効率で行って良いですか・・・になった。これが棟梁の心の中だったとしたら?例えばね、娘さんが結婚するのかな?しないのかな?みたいな時間は、意識していなかった・・・と言えば、気にならない事になる。

でも本当は物凄く気になるのに。でもいざ結婚します。と言われたら能率効率・・・じゃ仕方無いし・・・みたいな感じになるのかな?要するに人の心理と言うのは、人はそう変わらないと言うのならね。もしそうなら、もう1回来ちゃったし・・・ってな具合になったりもするかもね。

もしこれがそのまま本当なら、今の棟梁は調子が良い事になる。前向きって感じに。では逆に、同じ事をみどりに当てはめたとしたら?弟子であり、相席も何度もやった事がある。がしかし、こんなにお題はかぶり追い掛けられる立場での相席は一切無い。プレッシャーはあるはず。

ただ逆に言えば共有出来る事もあって、調子が良ければ楽しいだろうが、調子を崩せば追い掛けられるって言う心持ち1つだったりする。では今日は?となると、引っ越しして若干遠くなったって事で渋滞もあったり、資料も忘れて来た・・・何でだろう?って考えているかな?・・・って話。

みどりも棟梁と一緒で娘さんが結婚をする事が正式になった。棟梁は能率効率って乗り切れたとして、みどりは?この心理が作品にも現れたりもしてしまうのが、こうした大作なのね。そもそも鍋敷きならそんな葛藤は一切無い。だから数時間で終わる。でも時間が掛かるって言うのは2転3転もある。

そもそも最初は老婆心の扉のような題でスタートした。つまり自分発信。行かせたいのか?行かせたくないのか?みたいな0か100かみたいなくだらい事が悩みの話だったのね。つまり行かないで・・・となれば、扉は強固であり、何処も行かせない、開かないようにすれば良いはず。

でもおめでとうぅぅぅなら、開きっ放しにすりゃ良い。何とも単純な話である。しかしながら、葛藤なんて描こうとすれば、一体どの程度開けると、そんな風に見えるのか?となると、じゃ1割ほど・・・って言うのなら、9割黒で1割白・・・ほら簡単。能率効率だから。

でもね、それをいつ決める?つまり絵を描いた時の気分は何割?こうして決まって来ると今は何割?完成していない状況で結婚して出て行くと何割?ほら、どんどん変わってしまうのね。つまり方向性だけはしっかりしないとならない。

だからこそ、わざわざそんな質問をしたのね。もう一度質問をする。どうしたいの?と聞くと、娘として描いているお嫁さんは光がもっと欲しいと思っていると思う・・・私も母としてエゴで止めるんじゃなくて、そうしないと・・・と。完全に趣旨を見失っている。

そもそもモザイクは動画じゃなくて、静止画なのね。つまり何度も言うけれど、本の挿絵みたいな感覚で作ると良いと思うのね。例えばこれが絵本の表紙だったとしたら?何てタイトルのどんなシーンなの?ってね。そしてその絵本は何歳から何歳みたいな裏表紙に書いてあるか?って想像して。

これがもっと年齢が上になると、ハードカバーで大人タッチになると思うのね。可愛いぃぃと素敵とか、怖いとおどろおどろしいとか、表現の分量が変わって来ると思うのね。それも教えた上で、老婆心の扉みたいなタイトルになっていると思うのね・・・勿論仮にね。

でも老婆心の扉・・・もはや絵本じゃないね。つまり結構な大人相手。だから心の葛藤も0か100かみたいな単純じゃない。でもね、老婆心の扉・・・って表現はみどり側の気持ちのタイトルであったはず。娘はきっとこう思っている・・・なんて考え始めたら、

そもそも自分の気持ちがグラグラしているのに、その上、娘の気持ちなんてもんが入ったら、もはや安いぃぃ作品になるだろうね。だってお嫁さんは純白のドレス・・・じゃその中にパールでも入れてキラキラさせれば・・・はい普通に綺麗。良かったじゃん。ってな具合で誰でも考える。

それを老婆心の扉なんて題で、嫁に行く娘へのはなむけ作品を作るのに、今更、白をもっと入れて・・・なんて普通を考えようとしては、厳しさが薄まってしまう・・・そもそも色んな家庭の事情で2人共に母子家庭でお嫁に出す。そんな中での葛藤のモザイクは、旦那さんがいる人と一緒の見解で、

無くても良いはずであって、そうならなくて普通。世間で良く聞く話であると、片親だから・・・なんて言われたくないから・・・って、男親みたいな部分を持っていたりして・・・でも母親で女だったりして・・・の葛藤があったりするって聞く。

もしそうなら、老婆心の扉っ言うのは父親がいるかのごとく・・・って厳格であったりして、だからいない分、厳しくなったと思うのね。だからその時にその厳格さは逆に厳しさをより演出し、しかも片親でごめんね・・・って気持ちだったり、不憫さ加減だったり、暗い部屋なんて演出にもなる。

それをそんな事無い、3人で楽しくやってました・・・と言うのなら、こんな複雑な葛藤を描く事は無く、良かったね、おめでとう、はい純白で良いはず。それをより暗くする事で、自分で切り開け・・・とほんの少しの光でもより効果的になるはずなのね。

それをドレスになんか光を多く当てては、単なる自己嫌悪みたいな事で、フォローみたいに光を当てなくてごめん・・・みたいに見える。そうじゃなくて、操作出来るのはあくまで老婆心の扉・・・つまり自分側だけ。俺なら扉を開けられるのでは無く、自ら扉に細工をするね・・・。

つまりこじ開けられたのでは無く、それだけの覚悟があるのなら・・・お行きなさい・・・って老婆心の扉の黒の中の一角に白を入れたり、ねずみのような生き物がかじっていたり、いずれにせよ、実はみどりが操作していた・・・みたいな事になるような工夫をするね・・・きっと。

要するに最後は行かせるのだから・・・と覚悟があるのなら、お互いに同じだと思うのね・・・行きたい覚悟とは、置いて行くと言う事であり、行かせたくない覚悟なら、ずっといる事が良い事なのか?・・・・って話で、いずれにせよ、心あるお別れって言うのは覚悟が必要なのね。

そんな思いと平行に、方や追い掛ける棟梁が好調と言うのなら、当然平常心でキープをしていないと、自分の中で比較をした時に、卑下して見たり、ダメージを受けたりもする。相席の怖さって言うのは、上手い方側にある。それが棟梁側で言うのなら、みどりさんは上手いし・・・と言えば、

自分の身を下にすればする程、楽に表現が出来る。がしかし、この作品が簡単に下に見えるだろうか?・・・


きっとみどりを見て、追い掛けるんだろうね・・・きっと。そうね、それでやる気が更に向上した棟梁との比較を考えた時に、みどりに葉っぱを掛けないとならない状況になったのね・・・今まで以上にね。上にいる者としての自覚の話・・・勿論それはモザイクとしての話にもなるが、

親と娘の関係だとしても、上だの先人だのの立場で言うのなら考え方は一緒で、相手の成長と同じ距離を保たないと、相手の成長に付いて行けなくなる・・・それ位、棟梁の成長は著しいと思われる。だからこそ進み具合では無く、作り手の心の成長だけはそう簡単に追い付かれないように・・・。

少し厳しいかな・・・と思われるが、その時に気が付くか?それとも今気が付くか?の違いみたいなもんで、いずれにせよ、今のみどりは相手では無く自分・・・それは娘の関係性でもね。一見モチーフが似ているが、棟梁の女の人は自分であるのと、みどりのは娘・・・。

すがっての黒の入れ方では、みどりのエゴだろうが、厳格さの黒は、老婆心・・・娘を思うが故。怒るとしかるは違うって話しで、怒るは気分、しかるは、しつけだったり、判って欲しいからであって、相手の為にも・・・って違いだと思うのね。

いずれにせよ、こう言う説明は微妙な事ばかりになり、表現も難しいのね・・・・ただ明らかに繊細な話しであるのね。それ位、難しい表現をしようとしているのね・・・・。もしみどりのようにもっと繊細にと言うのなら、棟梁の場合、この恐竜のようなものは、飼っている犬だったりする。

それがもし大事な家族である・・・と言うのなら、実は2人の娘にも見えた方がより繊細だと思うのね・・・それが犬だけでも難しいけれど、更に娘さんにも見えるって言うのは更に難しさは増すのね。それを今やろうと決めないと、やっぱり・・・って後からはどうにもならない。

さっきのみどりも同じで、あの時決めた事を作っている訳で・・・大作ってのは時間が掛かる分、気分で変えてしまうと致命傷にもなる・・・。
いずれにせよ、今回は剥がしても致し方無い・・・そうも思っている・・・。

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