katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

オトヒメウミウシのモザイクと急きょさくら教室

2017-03-18 07:28:29 | モザイク作家
まずは朝、桜キッチンカフェの入金がありました・・・って、かぐやの話からスタート。そんな訳でその事務的な事をやって、先日のノアの作品の梱包と発送をして、アクアリウムバスで使う備品を買いに100円ショップに行くと、お昼を軽く回っていた。

そうね、今回のアクアリウムバスは、みどりとタピオカとみどりの娘とその彼氏と俺の5人での参加。この会場や雰囲気に手慣れているのはみどりだけ・・・何とも未知数、そこに持って来ての初めての下地なんて言うのもある。ただタピオカはお教室の経験は豊富だったりする。

いずれにせよ、このメンバ―で一体何人のお客さんを回す事になるのか?・・・中々の緊張感なのね。勿論、いつもの賑わいにならないかも知れないし、新しい下地が思わぬ結果を生むかも知れない・・・月並みだけれど、期待と不安なんて言葉はそこまでの準備を終えた者の表現であったりする。

ある意味、残りの2日間は準備の上乗せみたいな話で、大丈夫なのか?・・・が問われる。先日、みどりと一緒に準備をしたが、いつもなら、かぐやがいて前日も確認をしたりする。そう言う点では忘れ物なんて言う事はまず無い。奴はそつがないからね。

そんな中、みどりにお釣りの確認を・・・と催促のメールが来たけれど、かぐやに話すと、前回整えてあるんで、1000円札だけ確認すれば大丈夫ですとの事。まぁ何とも見事な話で有難い話である。何しろ、俺は仕込みが終わると気を抜く癖がある。だから忘れ物があったりする。

ただ今回はかぐやがいない・・・十分判っているつもりだが、こう言う事は向き不向きがあるもんでね・・・どうも苦手である。頭の中は当日どう回すかのみ・・・って感じで、イメージとして満員になったら・・・が乗り切れるのなら、宣伝って部分を切り捨てれば何とかなるだろうと考える。

いつもなら、かぐやを温存して教える側にさせずに、受付にして接客させる事で、お教室以外の話をする時間を作った。それによって色んな人と話す余裕で、施工もするし、オーダーの注文も受けるし、イベントやら、学校行事、個人・・・元タイル屋である事、色んな質問に対応して貰った。

それは全て見て来たかぐやだからこそ出来る訳で・・・・贅沢な配置だった。しかも、お教室が満員になれば、今度は教える側として回す役目になったりもして、席の回転すらも俺が気にする事は無かった。何しろ60個以上の目地をやる事になると、俺はほぼ目地入れのみになるから・・・。

何しろ体験の場合、ボンドだらけになるケースが多い。それを綺麗にしてから目地をしないと、美しい仕上がりにはならない。何しろキーホルダーのように持ち歩くって言うのは、人に見せるって前提のモノ。美しくなければ意味が無い。えっ、これ作ったの?って言われないとね・・・。

それには、ボンドだらけ・・・なんて言うのは話にならない。今回は高額な下地もあったりする。当然、もっと気にするべきである。となると、仕上げの時間がもっと掛かる可能性もある訳で・・・まっ、いつもと同じ事をやろうなんて思ってはいないので、何かを捨てるべき。

これをメンバーを増やせば良いじゃん・・・って言う安易な考えはするべきでは無いのね。そもそも一体何人いらっしゃるの?って言うような通称流しの教室って言うのは、ギャラの保証が無いのだから、人数を増やして対応なんて考えている事自体が、和気藹々の遊び感覚になる。

あくまで仕事の一環であって、その金額ではこのメンバーで・・・この規模はこの人数で・・・常にそう言う試みの場所に使って行かないと、何の練習にもならないし、勉強にならない。常に1を知ったら10を・・・の教えに沿ってと言うのなら、この経験を次に来るかも知れない未知数の糧にしないとね。

ただ、中々何も無い状況であると、同じ場所に同じ人を置く事が安全安心であって、メンバーの入れ替えはしづらい。けれど、いつものメンバーに都合が付かなかった・・・折角ね。前向きになる言葉・・・折角。折角来られないんだから、新しい事を試すチャンスでもある。

ただ当然不安もある。何しろみどりの娘とその彼氏は、いつもイベントに来てくれる体験側の人・・・ただ、単なる体験じゃなくて、何度もやっている体験番長・・・やり方も全て知っている。正直、受付でイチャついて貰っていても良い。それでもそこに若さがあるのだから。

何か慌ただしいだけよりも、いつもならカルビの若さがあるのに、それが無くなる事を考えれば、イチャつき営業して貰って、カップルでどうですかぁぁ・・・・って声掛けて貰えば、それもそれ。悪い事ばかり考えるつもりは一切無いのね。何しろ折角なんだから。

常に、どちらかが良くて、どちらかが悪いとは思わない。そっちの良さは無いけれど、こっちにはそっちに無い良さもあるはずだし、良いだけ、悪いだけなんて事は絶対に無い。いずれにせよ、この会場の結果だけ・・・そんな気持ちは無い。あくまで不手際を少なく逃げ切れればそれで充分。

最高を求めるのでは無く、最低を防げれば、そこに得られる何かがきっとある。俺はべっぴんさんのエースの社長や、コカドの社長でも無い。俺は俺の理念って言うのをキープ出来ていれば、それを必ず見ている人がいる・・・・幼き頃、母に教わった事を繰り返すだけ。

あははは、こう書くとマザコンみたいだわっ・・・そうでも無いんだけれどね・・・まっ、己であって己で無し、人であって、人でなしだからね・・・俺は。そもそも今の俺はその母が、かぐやにこんな子じゃ無かったのに・・・・って言う位なんだからね。あはははは。

いずれにせよ、楽しんで和気藹々で出来る人もいるだろうし、必死で生きている人もいる。それはその人なりの考えであって、それに共感をするとファンとかみたいに、また・・・があって、共感してもいつか飽きてしまったり、継続とは難しいものである。

そんなこんな中、いきなりの来客・・・さくらがやって来た。誰もいないなら・・・とお教室になった。まぁ、中々勝手な弟子である。いつものようにイベントの前の陣中見舞いのお菓子を持っての事だった・・・だから誰かいたら、それを置いて帰り、いないからお教室・・・。

何とも自由な子である。ただ凄いのはこんな事を何度もされると、それが定着するから慣れるのね。だから何とも思わなくなる。当たり前になるから。これを迷惑だなぁ・・・と思うのなら、それはその位の付き合いだからであって、チェ、厄介だなぁ・・・って思っても、はいはいって言える。

厄介な奴って凄いモノで、良い人よりも良いのね。何しろ良い人なんてもんは自分にとって都合の良い人の事で、自由になるだけ。ただ厄介な人って言うのは難しく、大嫌いな人って言うのなら付き合わなければ良いだけなのに、厄介なのね・・・つまり付き合いたいのだから。

付き合いたいけど思い通りにならない勝手気ままで、でも人情がある・・・おや、女版の寅さんだね・・・じゃ付き合いたいもんだわ。しかも俺は草団子屋さんのように血縁じゃないし、じゃ俺は住職くらいの役かな・・・あはははは。

いずれにせよ、そうしたいんだから、そうすれば良い。俺は一生付き合いたいのか?一生付き合いたくないか?のいずれしか無いから、一生付き合いたい以上、嫌だと思うまで自由にやれば良い。恐らくもし嫌だと言う事があるとしたら・・・付き合いを辞めると言うのなら嫌だと言うだろうが。

本気で付き合うとそんな言葉しか出て来ない。そもそもわざわざ来たんだから、わざわざの理由があるんだろう・・・しかも、例えどんな事であってもおろそかにはしない気持ちで臨んでいるとしたら・・・今の俺はかぐややくじらやカルビの不在の中、気が張っている事は十分知っての事。

そんな中、来るのだから、大事な事があっての事・・・それが俺を気遣う為なのか?自分に大事な用があるのか?は別として、わざわざ出向いて来た。
じゃ、折角来たのだから、ここに来た分、何か持って行かせないとね・・・目に見えない何かを・・・。

そんな中、キウイがやって来た。これで十分過ぎる役者が揃った・・・それは何かと言うと、陪審員として俺にきちんとものが言えて、きちんとした常識を心得ている者・・・ある意味、これもまた一生付き合いたい一人。そんな奴が二人の話を聞いて発言する・・・逃げ道無し。

これが自分が正しい・・・なんて我こそ正義を振りかざして話すと、正解が見出せない。そんな浅はかな会話を繰り返しても進歩が無い。けれど、弟子と師匠の関係だと仮にもし、上から目線で話しづらくするような事があったりすると、本質に届かなくなる。

そもそもその上、さくらは病気なのだから。そこにキウイがいるって言うのは、キウイは遠慮無く俺にもものを言う人。陪審員としては完璧。しかもその陪審員は間違っていると気が付くと、ごめんなさい・・・を言える人。そもそも今まで生きて来て、本気で謝っているのを見た初めての人。

信用出来る。上っ面のU字工事の漫才の、ごめんね、ごめんねぇぇぇぇって言うのは、何回も見て来たがね。そんな信用出来る陪審員の前の話合いなら、何もかも受け入れられる。しかも、さくらも逃げ道無し・・・さくらもキウイを信用しているから。

そうねぇ・・・以前観た、昨日のきたよしお・・・ってドラマや、今やっているクズの本懐って言うアニメのようで、本来心の中って言うのは、見えないものだが、判ってしまう場合もある。何故なら、残酷な話だが、素直に親の教えのまま育ってしまったから・・・・。

そしてその教えが似ていた境遇が、俺とさくら・・・じゃ根底にあるのは・・・どんなに愛されていたとしても、愛されている自覚や自信の無い奴。
そして決定的に違うのは、最後の最後に俺は言える人になって、さくらは言えない人のままである事。

その証拠に俺は母にこんな子じゃなかった・・・と50を過ぎて弟子のかぐやに言われている訳で。あははは。いくら俺がそれを説明しても、負の心を持った奴は、けど・・・でも・・・と嫌われたくないからが理由で・・・その言葉を繰り返す。

逆の言い方をすれば、そんなに間違っていない・・・と頑固に受け入れる事が出来ないとも言える。どちらにせよ、どっちなんだ?と聞いても答える事は出来ない。そもそも我を通しても受け入れて見ても、結果が思わしく無かった・・・と思っているから、迷っている。

そもそも、けど・・・でも・・・を繰り返す奴は、それまでの自分を捨てられない奴であり、受け入れられない証拠。何かを得るなら何かを捨てろ・・・その覚悟も無く、その場の思い付きで生きるな・・・って話。勿論、裕福な環境の人には全く用事の無い話なんで必要無し。

この話は、困った事が起こりそうな人や、起こっている人の是正の仕方って話で、危険回避だったり、予期って話。洞察力、観察力、想像力は別にモザイクだけに使うとは限らない・・・俺の言葉が嫌だけれど、興味があると言うのなら、進撃の巨人の女の巨人を捕獲するシーンの会話を参考に。

別に人気アニメから学んだつもりは無いが、逆にやっぱりなぁ・・・って確認程度には使った。今のさくらには丁度良い。単なる残虐シーンを見て嫌気をさすのは普通の見かた。もっとものの本質を考える事。そもそも生きていてあんな巨人はいない。がしかし、さくらには見えるはず。

見えない巨人がわんさか歩いている世の中だって・・・。それを認めて生きて行けるのか?いけないから病気なんだから・・・。そもそもそれを変えられる力や人望があるのなら、構わないが、人を変えられないのなら自分が変わるしかない。しかも、そう言うと奴隷化するように心が弱い。

良い人にはなるなっ・・・嫌われる事を恐れるな・・・必ず見ている人はいる。今日もキウイが見ていてくれたはず・・・。それを判っても自分だけの気持ちで生きるのなら、それも良かろう・・・砕けた体を拾って再生させてやる。弟子と名乗る奴なら、その位の労力くれてやる・・・。

そんな気持ちで送った帰り、今のアトリエは木造だから音楽を爆音では聞けないが、帰りの車・・・僕音でNEWSのチャンカパーナ聴いたわっ。本気なら長渕さんでも矢沢さんでも、貧乏だったり、苛立ちだったり、思想だったりをロックのリズムでガンガン掛けたいものだが、

そもそも当たる場所が見つからない事例。東野圭吾さんの映画みたいにモヤモヤする結末・・・今日はロックじゃないのねぇ。全く根が深い病気だわっ・・・いずれにせよ、俺も後1日・・・穏やかに過ごしたいんだけれどね・・・・あはははは。厄介だわっ。







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