katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

かるびの姉さんとみどりの親子教室

2018-01-31 00:47:47 | モザイク教室
今日はかるびのお姉さんとみどりの親子教室。本来ならかるびと3人にしたかったらしいが、日程が合わずに2人になっちゃったらしいのね。さて、そんなお姉さんは結婚するに当たって忙しい時期になってしまったのもあって、自宅ではやっていないらしいのね。となると、普通に考えると後7回。

ただそれとて忙しくなれば、少なくなる事はあっても増える事は無い・・・となると、話半分位に考えると、後3回位で何とかなるようなアイデアが必要になるだろうな・・・そんな事を含みつつって話で進んだのだけれど、何しろ今やっている事自体が細かくて大変な事だらけ・・・。

これが自宅でやっていた以前は、月に1回のアトリエだけよりも進み具合が良くなるだけでは無く、切る事にも慣れて来るが、久しぶりに大変な事をする・・・1か月振りに・・・ってなるのと、半月やって無かった・・・とでは、忘れ度が大きく変わって来る。

つまり進み具合も良いし、忘れ度合もそこそこで済む・・・って復習ありと、無しとでは、ダブルで変わって来るのね。ただ話はそこだけでは無く、実は結婚と同時に遠方に行くのかも・・・と含みがあったが、近況報告としては、それが無くなり今の住まいから1時間圏内に住むようになったらしいのね。

それがモチベーションとしての切羽詰まる感覚と、そうでは無くなった安心感とでは、やらなきゃ感は薄まる。こんな気持ちが上乗せになる。当然それはみどりにも言える事で、さようなら・・・的作品だったものが、良かった・・・に変わるのだから、制作する事は何も変わらないけれど、制作する気持ち

としては、全く違って来る。こう話すと、何だかマイナス面ばかりに聞こえてしまう人もいるだろうが、是正するには、まず事実を認める事。仮にそうだとしたら?そこを直そうとする努力をする・・って事が出来るが、そこをおざなりにしたり、曖昧にして受け入れるフリをしているようでは、直す気持ち

は、はなから無い事になり、つまりマイナスの方向へ進んで行く事になる。しかも、目的意識が変わってしまっているのだから、意図していた事とは全く逆の事をしている訳で、辛さも倍になる。そこを意地だけで進めるか?となると、ほぼ不可能だろうね。つまりリタイヤなんて事も考えられる。

そこも踏まえて考えないと、楽々進む事が何処にも無いのね。2人共にね。だからこそ、誰にでも出来る話じゃなくて、そう言う覚悟がある人が作っている作品だから、例えその本人であっても、覚悟が揺れるような出来事になる・・・と言う事を、自覚すべきなのね。

まっ、良い事と悪い事は背中合わせなのだから。ただ、それさえ理解出来れば、当初やろうとしていた事なのだから、別に何も変わっていないはずであり、変わったのは自分の心のみ・・・そこを立て直せれば何も変わらない事なのね。それで、もしここまで理解して立て直せたのなら・・・?

その上で、それだけ気持ちの変化があった事を認めた上で、ホッとした・・・良かった・・・って気持ちなのだから、その気分をちょい足し出来れば、あの時の寂しさ分が和らぐモザイクになると思うのね。それをいちいち、単なる感で気持ちのままやっていたら、上手く行く確立と上手く行かない確立、

どっちが多くなる?って質問にもならない事が起こって当然。そもそも聞かずともに、今まで起こって来た事通りか、それ以下になる事間違い無し。そもそも確立が良くなると言うのなら、自分1人で続ければ良いだけで、誰の意見も聞かなくて良いはずなのね。

聞きたい・・・って言うのは、受け入れる前提では無いと身にならないのね。所が、ここもしっかりしないと、その通りにしないとならないのか・・・みたいになるのね。そもそもそこが間違っているのだけれどね。要するに聞く前の自分は一体どんな感じなのか?なのね。

例えば自分がある・・・って場合、最低1つは自分の意見がある事になる。じゃそれで良いじゃん。けれど、聞きたいって人は、受け入れる姿勢があれば、1つ教えて貰えば自分のと合わせて2つになるが、受け入れる姿勢が無い場合、聞いた所で変わらず1つのまま。

更に言えば、気持ち1つで聞いたり聞かなかったり・・・その時によって・・・って場合は、そもそもが受け入れようとしている割合が少な過ぎだし、気分だから、一体どんな気分の時には受け入れて、どんな時に受け入れられないか?って話になるのね。あはははは。

それが気分が良いから受け入れる・・・では、自分の上乗せみたいな気分になるから調子に乗る場合もあるし、困った時だけ受け入れるでは、マイナス気分の時・・・つまり、自分の意見が何も出ず・・・みたいな時だけ・・・これでは結果はやる前から見えている。

こんな事が全ての事に人ってのは心があるから、株だけじゃなくて変動するのね・・・それを一定にするのは、株より簡単。自分自身だけの事なのだから。作り手の心なんてもんは、簡単に説明するとそんなもん。それじゃ、そんな事を踏まえて、これを見て貰うと・・・


先日のアーチストに手渡し出来るプレゼント作品・・・完成したんだけれど、どう思うかな?まず下地は1点モノ。これは俺が作成したのだから、そこを疑うのなら来なきゃ良いだけ・・・だから、そこに問題は無い。皮ひもはかぐや制作。これも別売りだから買うも買わぬも自由。

選んだのはみどり。じゃある事を良しとした訳なのね。それを踏まえて、ギターのモザイクは全てみどりの実力。では、さっきの作り手の心理だけで進めると、2度と無いかも知れない手渡し・・・憧れのアーチスト・・・どう考えても全力である。しかもあの大作の腕ありきでね。

しかも気持ちとして、それを付けてくれるかも・・・・なんて想像をしたら、モチベーションは最高だろうね。なら、調子に乗らなきゃ間違いがあるはずが無いのね。アドバイスはバンド仲間に欲しいって言われるように・・・とか、逆にみどりが作ったって言われても恥ずかしく無い作品?って、

叱咤激励のみ。後は良く見て作る・・・たったこれだけで、こうしたグレードになる。これならkatsuに習ったって言われても、みどりの作品って名乗っても、この作品で腕を判断されても、別に恥ずかしく無い作品になっているから、何の問題も無いと思うのね。

何しろ心持ちがこれ以上のものが無い感じがしないかな?・・・・その対極にあったのが、娘を失い、娘の幸せを喜ばないとならない気持ち・・・こんな複雑な気持ちを表現しようとしているのだから、似ているギター作りとは格が違うのね。ただそれとて、作り手の心持ち1つで変化する。

全て同じです・・・って言うのは簡単だが、それを言うには、それ相応の覚悟が必要で、軽く口にすると安っぽい。ただ、このギターには楽しさが詰まっているように見えるし、貰った人の顔まで浮かんで来る。それが本当なら、一体今の気持ちの変化の中、2人の作品はどう変わるのだろうか?

そんな中、さくらがやって来て・・・まぁ心に重い荷物を持ってやって来て・・・・実は今年2度目なんで、新年のご挨拶は終わっていたんだけれどね・・・とは言え、誰であっても、言う事はこんな事の繰り返しだけどね・・・。後は受け取る側の問題なのね。そんな中、俺もついでに目地。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする