katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

みどり教室と根付風味の小物の販売準備

2018-01-17 07:30:50 | モザイク教室
今日はみどり教室なんだけれど、いつもの大作では無くて、根付風味の下地でギター作り。実はあるアーチストのファンで、これをプレゼント出来る機会があるらしく、その人のギターを作るって話で下地も作ったのね。ただ、今日はそれ以外にもやる事があって、

まずはある企画にエントリーするんで、みどりからその報告をかぐやと聞いたのね。ただ提案を考えないとならないので、その趣旨確認をして・・・、その後は根付風味の小物の皮ひもが、かぐやから送られて来たので撮影。と言う事で、第一弾は犬シリーズ。



これをホームページで販売する予定なんで、ご興味あったらご連絡下さい。それと生徒さんに限っては下地のみの販売もするので、そちらもどうぞ・・・。って宣伝もして・・・後は内容説明。

これらは全部色んな銘木を使っているので、正直全ての木の値段はマチマチで、モノに寄っては倍以上違うものもあったりするんだけれど、今回は値段は統一って事になったのね。それと木の色、これは着色したものでは無く、木そのものの色なのね。

ニスを塗っただけ。初めて見る人は何か色を塗ったのかな?と思う人もいるだろうけれど、元々そう言う色なのね。それと年輪だったり、幹や枝、コブによっても雰囲気が違うし、色合いも色々違って、全てが1点モノ・・・小物と言えども侮れないのね。

それと暫定で付けていたヒモも変えて、本革仕様にした事でグッと感じが良くなったのね。これはかぐやが制作なんだけれど、市販されているものだと1500円位はしちゃっている・・・正直、俺もビックリしたのね。ただ雰囲気は抜群に良いのね。

これをホームページ内で随時販売して行こう・・・って話なのね。それでは、みどり教室・・・と言っても、ぺきぺきで作る小物。今更教える事は無いよね?・・・と思いきや、やると判るのね・・・真似る事の難しさをね。

そもそも絵を描くって言うのなら、本物よりも小さくしても割と繊細に真似て描く事が出来たりもするが、タイルを切るって事になると、この大きさの中に全てのパーツを切る事は不可能になる。つまりデフォルメ・・・特徴を掴み大袈裟に表現をする事になる。

ただ、その選択を間違えると、突拍子も無いものになるし、場合に寄っては似ていなくもなるし、入らない・・・なんて事になると、出来ない・・・にも繋がったりするのね。しかも・・ここが一番辛い事で、人に上手い・・・なんて言われるようになると、

厄介なのは大作で上手く見えているのは、繊細さであって、いつもの繊細さを封印されたら、他の何かで補わないとならず、しかも、たったこれだけの大きさなのに終わらない・・・みたいに思われる・・・えっ?そんなに掛かるのぉ・・・みどりさんなのに。

って感じね。それこそが上手い・・と人に評されるようになった人が受けるプレッシャーなのね。更に、もしこれが上手く行ったとする。それをプレゼントする・・・そんなものをもし友達・・・なんて人にあげたりしたら?・・・必ず誰かに自慢をする・・。

もしそれが、共有する人だったとしたら?・・・私も・・・とか、仮に共有しなかったとしても、あっ、私、友達だから頼んであげるよ・・・と安請け合いされたりすると、きっぱりお断り出来るならまだしも、断れないとしばらく続く可能性がある・・・。

何故なら上手くて素敵に見えて、タダだから。ただね、これにも続きがあって、タダって訳には行かないから、材料代は出すから・・・ってまるで親切なセリフを言われたりする場合もあるのね・・・ここに大きな落とし穴があって・・・。

その本来の持つ意味・・・そこに気付いてしまうのね。つまり材料費は払うから・・・は、言い方を変えれば、どんなに上手く素敵に見えても、素人なんだし、友達なんだから、私の顔を立てて、チャカチャカって作ってよ・・・材料費は払うから。

こう言っているのね・・・でもね、もし上手くて素敵なものなら、また手にした人が自慢をするのね・・・そうすると、いくらするの?って聞かれても、あっ、材料費だけで作って貰ったぁ・・・と言われれば、じゃ私も・・・になったりするだろうね。

これがね、へたっぴなら誰も良いって言わないから、欲しいとも言われないし、増してお金を出す・・・なんて、材料費すら払えないだろうし、もっと言えば、自分で作れる・・・なんて思われたりもするんだろうね。まっ、モノ作りの残忍な話。

俺はだから、上手くなった・・・と判断したら、絶対にプレゼントは簡単にはしないでね・・・上手い人は必ず付きまとう話だから・・・と念を押すのね。ただ本人に自覚が無いと、私は・・・そんなに・・・なんて思って、やってしまうと、大抵は大なり、

小なり味わう事になるのね。勿論、みどりにもそんな話はとっくにしてあって・・・ただ芸能人へ・・・なんで、特に問題は無いと思うけれど、まっ本当に評価が正しいと、バンドメンバーが良いな・・・って言われたら、オファーが来るかもね・・・。

そんなぁ・・・なんて言う時代でも無いでしょ?みんなネットでアーチストなんだから・・・。全ての人は平等なのですよ。見つかって見出されれば、その価値の適正価格になるだけで、何も不思議な事は無く、普通と言えば普通の話。

決めるのは全て見ている人の判断だし、価値観は見出した人のもの。作り手は作る事へのこだわりまでの話。まっ、それは置いといて、憧れの人へのプレゼントなら、その位、良いな・・・って思われる位で丁度良いんじゃないの?ってな話。

そもそも、あっどうも・・・って、渡す瞬間だけで、お蔵入りされるのが普通でしょ?・・・けれどもし、それを付けてツアーに出掛けていたり、スタジオの取材の壁に掛けられていたのを雑誌の写真で見掛けたりしたら・・・?夢のある話じゃないの?

だったら、そう思われるような気持ちで作んないと・・・それをテクニックで逃げ切ろうなんて・・・大体、良く言うでしょ?例えば、目のあるものなんかの表現に動き出しそうとか、心が入っているとか、魂を入れたとか・・・あれあれ。

どうやって?・・・そんな人は目を閉じてお祈りすると龍を出せたり、空に向かって手を広げて呪文を唱えると、UFOが呼べたりすると思うのね・・・ただね、習った訳じゃないけれど、あくまで個人の見解で話せばね、要するに病は気から・・のようなもの。

つまりその人の心持ちはいかなるものか?なのね。祈ったり、唱えたりしても、龍もUFOも出ないと思うのね。しかしね、作るって言うのは現実に積み重ねて本人の問題なのね。じゃ、どんな気持ちで作るのか?って言う話なのね。

それを子供だから、こんなので良いっか・・・でも大人の人じゃそんな訳には行かないか・・・みたいに器用に使い分けられる人は、知名人だったり、予期もしない金額で作って欲しい・・・と依頼されたら、じゃ金額に応じて・・・毎度ありぃぃって、

作れるのだろうか?となると、そこがプロとアマの違いで、そうなりたい・・・と取り組んでいる者と、一切のプレッシャー無しで取り組んだ人では、イレギュラーな事は予定調和では無いから戸惑う訳で。そもそもそんな人にプレゼント出来る機会なんて、

彼氏や旦那レベルでは無く、憧れの人なのだから、どんなモチベーションになるか?となると、初恋の君に渡せるかな?恥ずかしいな・・・でも・・・気に入ってくれるかな?・・・色んなモノ貰うだろうし・・・そんな想いを浮かべられたとしたら?

その人の大事なギターを作るのだから・・・って気分で作ると、ここがこうなっている・・・とか、こんな色じゃないかな?とか、似せよう、近づけようと良く見ると思うのね。ただ、良く見れば見るほど繊細に作りたくなる。大作で身に付いているからね。

でも下地は小さい・・・いくら繊細にやろうとも限界がある。しかもだ、しかも、タイルは自分の好きな色は無い。都合良く自分の色は作れない。だから似せる事は出来ても、そっくりにはならない。ここが分岐点みたいな場所で、じゃこれしか無いから・・

まっ、良いかって気持ちになると、これもあれもまっ、良いか・・・だって無いんだもんになる。つまり似て無くても平気になる。それを何とか保とうと無理をすると、これはある、これは無いのかぁ・・でも、これはある・・・みたいに、あるものだけは

使おうとするのね。でも変じゃない?このボディにこのつまみの色が合うのに、無いからこれで良いか・・・って。つまり、似せるって言うのは、無ければ無いなりに・・・の本当の意味を理解しないとならないのね。要するに本物の色をこれに見立てたとする

・・・だったら、つまみはどんな色に見えるのか?・・・それが数学の公式の〇:〇=〇:〇みたいな話で、ここに同じ数字を2つ入れたんでは話にならないが、同じ数字を右にも左にも1つずつ使っても同じ事。大して変わらない。

全く違うものを入れてイコール風味に見せる事がテクニックだと思うのね。勿論、そっくりに見える色があるなら、それに越した事は無いけれどね。しかもイコール風味に見えるとバランスが良くなる。バランスって話もこれに当てはまるのね。

それが左右対称のようにピタリと一緒みたいだと、フォーマルに見えたり、ちょっと崩れると着崩しみたいな感じになる。それがやじろべえみたいにフラフラしながらもバランスが取れるとお洒落感は増す気がするのね。

それを同じものを置いて見ると、助さん、助さんでどうだろうか?双子ですって言えば良い。それをあえて、助さん、角さんにするのは、将棋の飛車と角みたいなあんな感じにも思えるし、風神雷神のようにバランスは取れているが同じものでは無い・・・。

そんな話にも繋がるのかもね。話は戻して、想いが強過ぎて似せられない・・・では挫けるし、まっ、良いか・・・では粗雑。それをただ似せようだけでは、ある色だけは使おう・・・になるし、そこを無いなら無いなりに変化をさせる・・・。

その変化の考え方こそがオリジナルであり、人それぞれって事になるのだが、ごった煮みたいな中での人それぞれ・・・って考え方では、目指さない人も目指す人も色んな人が一緒の中では人それぞれの意味が変わって来る。

目指す中の人それぞれでは切磋琢磨なんかがあったりするが、楽しむだけならそんな事は一切いらない。けれど、いらなくて良いのは個人的に楽しむ場合だけで、人にプレゼントした時点で色んな事が起こり得る・・・そんな話。

おっとまた脱線。心持ちって言うのは、誰に・・・でも変わってしまうし、想いの込め方も違うのね。しかも知らず知らずに、欲張って出来ない事までやってしまったり、逆にこんなには・・・と安全安心な事ばかりになってしまったり・・・。

今日の気分に寄っても変わっちゃう・・・なんて事もあるんだろうし、そこを終わるまでは一定に保つ。じゃないと、二転、三転してしまうのね。なのに、腕は正直、いきなり上手くはならないし、急に下手にもならないのね。

ただ考え方だけは変えようと思えば、簡単では無くても一瞬に変える事は出来る。上手くなった人が大事になるのは、やはり技術の前に心持ちの安定にある・・・こんな事が、心技体なんて言う人達の集まりで習う話だと思うんだけれど・・・。


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