今日はみどりとかるびの2人だったんだけれど、先日急きょ連絡があってオードリーも相席となったのね。ちなみにみどりとオードリーは弟子・・・となると、当然腕は確かな訳で・・・そんな中にかるびがいるのだから、本来第三者なら緊張も生まれたりするんだろうが、1人はお母さんな訳で・・・
それがいつもなら弟子とは言え、親子だから緊張感も無く伸び伸びやっているんだけれど、当然いつもとは若干空気感は変わるのね。じゃどう変わるか?って言えば、実はみどりが変わると思うのね・・・同じ弟子同士ではあっても、方や黒色って色は決まっていて、クラッシュを淡々と入れるって言うのと、
方や終盤の大事な所では悩みどころである・・・それを良く取れば、その緊張感の中、やらなきゃ・・・・は前向きになるが、逆に気負ってしまうと、やらなきゃは、進める事ばかりになり、ただ張ってしまう事にもなる。逆に後向きになると、気が重くなったり、気を使って聞けなかったりして、
どうして良いか判らずじまいなんて事にもなり兼ねない。しかし、逆に新鮮さを活かすと、会話も弾むし、ん・・そうね、同じメンバーのカラオケで、同じ歌を安定して聴くのと、この人何歌うんだろう?みたいな興味みたいな感覚を楽しむのか?相手の上手さに圧倒して歌いづらくなるのか?みたいな、
相席って言うのはこんな気持ちに意識無くなるものなのね。だからマイペースなオードリーよりも意識をするのは、みどりだろうが、実は一番影響を受けるのは2人では無くかるびなのね。いつもなら、お母さんでも俺でもどちらかは、必ず話題を提供するような事になった時、内容がかるびにも、判る
日常な話が多いが、当然この4人で話すとなると、みどりとオードリーが話す事になるから、そこに俺が被せる感じになると、大人の会話をかるびは独り聞く事になり、これが仮にいつもの3人だと、主婦はお母さんは1人だけで、かるびは未婚の若い子で、俺も独り身って事なんで、食事の話は、
作る側と作って貰う側と、そして買って食べるみたいに三者三様になるが、例えば洗濯みたいな話だったりすると、急に大人2人で子供1人って事になったりして、話は急展開になったりもする。そんな一瞬の展開は今まで仲間だったものが、急に仲間外れになるのだから、目が離せないって言うか、耳が離せない感じになるのね。それでも慣れって言うのがあって、この展開は・・とか、そろそろ十八番な展開が来るんじゃないの?みたいに、察するって
事も覚えちゃったりするもので・・・しかしながら、新鮮さって言うのは、予定調和では無いから、どんな切り口な話なのか?そしてどんな質問が来るか?中々の緊張感があったりするし、判らない話の展開だと、退屈だったり、うっかりそこから詰まんないなぁって気持ちを離すと、人が側にいても、
孤独にもなったりするもので・・。人って言うのは繊細であればあるほど、その時、その時の環境や状況で変わったりするものなのね。いずれにせよ、そんな状況や環境ってものに身を置くって言うのは、何かを目指すような人で無い限り、中々機会は無いし、あったとしても、どうしてそう言う結果に
なるか?を身近に教えてくれる人はほぼいない。何故ならほぼ感だから。中々、日常でこうして掘り下げる人は暇なのか?それとも・・・?なのかは、別として、一般的では無いからであって、でも必要な人には物凄く活かされたりするものだったりすると思うのね。使い方にもよるけれどね・・・。
ここまでの話に付き合って貰って、あぁめんどくさっ・・・って人には全くモザイクには関係の無い話に聞こえたりするんだけれど、実は創作って部分に関しては、洞察力、観察力、想像力って誰も教えてくれない、りょく・・・って力の話なのね。人真似では無くてオリジナルを作るってのは・・・。
その第一歩は聞く・・・だったりして、少なくとも2人は弟子であって、上手い人達の意見交換を聞ける訳で。しかし、いつもならその1人はお母さん。
良くも悪くもね。聞く耳が素直にあるかな?・・・となると、それは難しいし、仮にそれが正論であったとしても、毎回では無い。
これがもし大きく個人的主観だったり、親だから・・・みたいなエゴのみであったりすると、いつもの正論とは大きく逸脱した意見になったりもする。それを聞いてジャッジする立場だったり、1つの意見として話したりする役目が俺だったりするが、その時にお母さんとは違う意見も多々ある。
それを聞いて自分に当てはめ、何を選択するか?をお母さんだけを選択するのなら、ここに来ても意味は無い。ならばお母さんに習えば良いのね。でも、常に自分で決められるようになると、その時その時の事例で対応出来たりもするが、また新しい人が入る事でいつもと様子が変わって来る。
いずれにせよ、こうした中での制作となった・・・と前置きをして見て貰うと、かるびの時計の部分は、かなり難しい所だったのね。そこをこうして逃げ切った事が結果としての全てであって、その環境課の中で、かなりの難易度をこれだけのグレードで切れる。中々のものであったりする。
正直、もう無理ぃぃってへこたれるかな?とも思ったし、ここまでのグレードも求めてはいなかった分、おぉ良くやった・・・って感じだったのね。これが作れるのなら、筆記体の表札なんかをお勧めしたい気がするのね。これならかなり上手く出来ると思うのね。
そんなこんなの弟子の2人は・・・


ここんとこマメに来ているオードリーが随分と進んでいる感じがして、かなりバックが黒くなって来たのね。かと思うと、みどりもかなり終盤だけれど、難しいのは環境の変化。当初はお嫁入前に完成したかったのね。しかしながら、既にお嫁に行ってしまった・・・。
さっきのように掘り下げれば、当初なら、行かれてしまう・・・そんな気分との葛藤は、初めての体験で良かったね・・・よりも、寂しさが勝ってしまい、しかしながら、それではいけない・・・って気持ちを奮い立たせれば、自分の本当の気持ちとは反対でうらはらになる。
その気分をモザイクにすれば、そもそもが黒っぽく作っている事の本当の意味すらも忘れて、気分のままに進めば真っ黒になるし、いやいやこれではいけない・・・って母親らしくなんて思えば、幸せの光を多く入れようとして、ビーム感を出してしまったりして・・・そもそも本来の意味から逸脱する
そんな葛藤の中、既に嫁いで出て行った・・・となると、葛藤では無くこれが日常なんだ・・・と受け入れなくてはならず、冷静になると、幸せそうな顔をしている事で良かったんだ・・・と安心したりして、ようやく落ち着いた気分になり、寂しさ度が軽減される。勿論無くならないだろうが。
そうなると、もしあの時間に完成していたらどうなってたかな?って言うのと、今こうした気分の中、このモザイクに必要な光とはどの位なのか?では作者は同じなのに気分が変わって来るのね。たった数か月の事なのに。それを引きずるままなのか?それを抱えて進むのか?では成長具合いが変わるのね。
成長なしなら進む事だけを考えれば良いし、もし変わったのなら?当然そこを悩む。ただ落ち着いた分だけ、慌てないし、想いってものが何なのか?考えながら進むであろうし、恐らく間に合った時よりも良いものが出来るだろうね。その理由は1つで、腕が上手くなったからでは無く、人としての進歩。
仮にもしみどりがあの時より進歩しているのなら、今こそ棟梁はみどりと相席するべきだと思うのね。恐らく得るものがあるはず。そう言う点では、今日のオードリーとの相席は、かるびにとって、いきなりのお母さんとの開きを感じるのでは無く、歳の差の少ない、けれど主婦でもあるし仕事をもしている・・・でもちょっとだけかるび寄りの経験は、新鮮だったのか?ちんぷんかんぷんだったか?はかるびの受け取り方次第。
そんな中、俺も気を使わずに・・・

それがいつもなら弟子とは言え、親子だから緊張感も無く伸び伸びやっているんだけれど、当然いつもとは若干空気感は変わるのね。じゃどう変わるか?って言えば、実はみどりが変わると思うのね・・・同じ弟子同士ではあっても、方や黒色って色は決まっていて、クラッシュを淡々と入れるって言うのと、
方や終盤の大事な所では悩みどころである・・・それを良く取れば、その緊張感の中、やらなきゃ・・・・は前向きになるが、逆に気負ってしまうと、やらなきゃは、進める事ばかりになり、ただ張ってしまう事にもなる。逆に後向きになると、気が重くなったり、気を使って聞けなかったりして、
どうして良いか判らずじまいなんて事にもなり兼ねない。しかし、逆に新鮮さを活かすと、会話も弾むし、ん・・そうね、同じメンバーのカラオケで、同じ歌を安定して聴くのと、この人何歌うんだろう?みたいな興味みたいな感覚を楽しむのか?相手の上手さに圧倒して歌いづらくなるのか?みたいな、
相席って言うのはこんな気持ちに意識無くなるものなのね。だからマイペースなオードリーよりも意識をするのは、みどりだろうが、実は一番影響を受けるのは2人では無くかるびなのね。いつもなら、お母さんでも俺でもどちらかは、必ず話題を提供するような事になった時、内容がかるびにも、判る
日常な話が多いが、当然この4人で話すとなると、みどりとオードリーが話す事になるから、そこに俺が被せる感じになると、大人の会話をかるびは独り聞く事になり、これが仮にいつもの3人だと、主婦はお母さんは1人だけで、かるびは未婚の若い子で、俺も独り身って事なんで、食事の話は、
作る側と作って貰う側と、そして買って食べるみたいに三者三様になるが、例えば洗濯みたいな話だったりすると、急に大人2人で子供1人って事になったりして、話は急展開になったりもする。そんな一瞬の展開は今まで仲間だったものが、急に仲間外れになるのだから、目が離せないって言うか、耳が離せない感じになるのね。それでも慣れって言うのがあって、この展開は・・とか、そろそろ十八番な展開が来るんじゃないの?みたいに、察するって
事も覚えちゃったりするもので・・・しかしながら、新鮮さって言うのは、予定調和では無いから、どんな切り口な話なのか?そしてどんな質問が来るか?中々の緊張感があったりするし、判らない話の展開だと、退屈だったり、うっかりそこから詰まんないなぁって気持ちを離すと、人が側にいても、
孤独にもなったりするもので・・。人って言うのは繊細であればあるほど、その時、その時の環境や状況で変わったりするものなのね。いずれにせよ、そんな状況や環境ってものに身を置くって言うのは、何かを目指すような人で無い限り、中々機会は無いし、あったとしても、どうしてそう言う結果に
なるか?を身近に教えてくれる人はほぼいない。何故ならほぼ感だから。中々、日常でこうして掘り下げる人は暇なのか?それとも・・・?なのかは、別として、一般的では無いからであって、でも必要な人には物凄く活かされたりするものだったりすると思うのね。使い方にもよるけれどね・・・。
ここまでの話に付き合って貰って、あぁめんどくさっ・・・って人には全くモザイクには関係の無い話に聞こえたりするんだけれど、実は創作って部分に関しては、洞察力、観察力、想像力って誰も教えてくれない、りょく・・・って力の話なのね。人真似では無くてオリジナルを作るってのは・・・。
その第一歩は聞く・・・だったりして、少なくとも2人は弟子であって、上手い人達の意見交換を聞ける訳で。しかし、いつもならその1人はお母さん。
良くも悪くもね。聞く耳が素直にあるかな?・・・となると、それは難しいし、仮にそれが正論であったとしても、毎回では無い。
これがもし大きく個人的主観だったり、親だから・・・みたいなエゴのみであったりすると、いつもの正論とは大きく逸脱した意見になったりもする。それを聞いてジャッジする立場だったり、1つの意見として話したりする役目が俺だったりするが、その時にお母さんとは違う意見も多々ある。
それを聞いて自分に当てはめ、何を選択するか?をお母さんだけを選択するのなら、ここに来ても意味は無い。ならばお母さんに習えば良いのね。でも、常に自分で決められるようになると、その時その時の事例で対応出来たりもするが、また新しい人が入る事でいつもと様子が変わって来る。
いずれにせよ、こうした中での制作となった・・・と前置きをして見て貰うと、かるびの時計の部分は、かなり難しい所だったのね。そこをこうして逃げ切った事が結果としての全てであって、その環境課の中で、かなりの難易度をこれだけのグレードで切れる。中々のものであったりする。
正直、もう無理ぃぃってへこたれるかな?とも思ったし、ここまでのグレードも求めてはいなかった分、おぉ良くやった・・・って感じだったのね。これが作れるのなら、筆記体の表札なんかをお勧めしたい気がするのね。これならかなり上手く出来ると思うのね。
そんなこんなの弟子の2人は・・・


ここんとこマメに来ているオードリーが随分と進んでいる感じがして、かなりバックが黒くなって来たのね。かと思うと、みどりもかなり終盤だけれど、難しいのは環境の変化。当初はお嫁入前に完成したかったのね。しかしながら、既にお嫁に行ってしまった・・・。
さっきのように掘り下げれば、当初なら、行かれてしまう・・・そんな気分との葛藤は、初めての体験で良かったね・・・よりも、寂しさが勝ってしまい、しかしながら、それではいけない・・・って気持ちを奮い立たせれば、自分の本当の気持ちとは反対でうらはらになる。
その気分をモザイクにすれば、そもそもが黒っぽく作っている事の本当の意味すらも忘れて、気分のままに進めば真っ黒になるし、いやいやこれではいけない・・・って母親らしくなんて思えば、幸せの光を多く入れようとして、ビーム感を出してしまったりして・・・そもそも本来の意味から逸脱する
そんな葛藤の中、既に嫁いで出て行った・・・となると、葛藤では無くこれが日常なんだ・・・と受け入れなくてはならず、冷静になると、幸せそうな顔をしている事で良かったんだ・・・と安心したりして、ようやく落ち着いた気分になり、寂しさ度が軽減される。勿論無くならないだろうが。
そうなると、もしあの時間に完成していたらどうなってたかな?って言うのと、今こうした気分の中、このモザイクに必要な光とはどの位なのか?では作者は同じなのに気分が変わって来るのね。たった数か月の事なのに。それを引きずるままなのか?それを抱えて進むのか?では成長具合いが変わるのね。
成長なしなら進む事だけを考えれば良いし、もし変わったのなら?当然そこを悩む。ただ落ち着いた分だけ、慌てないし、想いってものが何なのか?考えながら進むであろうし、恐らく間に合った時よりも良いものが出来るだろうね。その理由は1つで、腕が上手くなったからでは無く、人としての進歩。
仮にもしみどりがあの時より進歩しているのなら、今こそ棟梁はみどりと相席するべきだと思うのね。恐らく得るものがあるはず。そう言う点では、今日のオードリーとの相席は、かるびにとって、いきなりのお母さんとの開きを感じるのでは無く、歳の差の少ない、けれど主婦でもあるし仕事をもしている・・・でもちょっとだけかるび寄りの経験は、新鮮だったのか?ちんぷんかんぷんだったか?はかるびの受け取り方次第。
そんな中、俺も気を使わずに・・・
