katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

キウイとお母さんとローラの相席教室

2019-08-30 07:24:36 | モザイク教室
今日はキウイとお母さんとローラの相席教室。それではまずローラから・・ようやくバラが終わっていよいよバックになるんだけれど、前フリで労作展の子達の話をしたのね・・・それは他人事では無く、場合に寄ってはこれから自分に降り掛かって来る内容だからなのね・・・。

それは何か?と言うと、今までどんなスタイルで進めていたか?なのね。例えば写真などの模写的なもの、逆にオリジナルで自分の絵、仮に模写なら見て描いたものだが、コピーしたもの・・・まぁスタートは人それぞれだったりするのね。みんなそれぞれの都合があるから。

例えば極端に絵が苦手。こんな場合、モザイクがやりたいのに、絵のハードルが邪魔をする。それじゃコピーすれば・・・になる。それが見て描けば何とかなる・・・って言うのなら、じっくり時間を掛けて描いてみ・・・となる。それなら多少お直し程度で済んだりする。

こんな簡単な表現で済むものは悩みは少ないのね。これは簡単に文字にすると、コピーした、見て描いた・・・とこんな文字数で説明出来る。所がこれらに該当しない事になると、海イグアナでも無く陸イグアナでも無く、ハイブリッドな水陸両用のハーフ・・・。

あえて判りやすくハーフって言葉使うけれどね。単純に文字数が増えたでしょ?つまりその文字数の増えた事が、複雑化に繋がるって事なのね。例えば、文字を入れる・・・って言うのと、隠し文字を入れる。単純に隠しって字が増えた。その分難易度を上げた事になる。

それを踏まえて見て見ると、黄色いバラじゃん・・・普通の。何が当てはまるの?となるのだけれど、この絵は美術の得意な娘さんが描いてくれた絵なのね。ほら字数が増えた・・・この文章の内容を紐解くと・・・美術の得意な娘さん。この部分で自分で描くより娘さんの方が上手いって、

感じに思えるでしょ?つまりもしかすると、絵が苦手なのかも知れないってね。その苦手な本人が、美術の得意な・・・ここね。これが単なる得意なら素人なんだけれど、もし美術系の学校を出た人だったりすれば、完成度の高いオリジナルの絵となる訳で・・・もはや娘さんなんて言葉は、

いらなくなる。つまりその表現は自分から見たら娘であっても、きちんと整理すると、完成度の高いオリジナルの絵のモザイクが終わった・・・こう言う意味になるのね。ではそれを踏まえて見た時に、ここまでの完成度はいかがなものだろうか?俺には何の問題も無い完成度に見える。

ではここまではほぼ完璧とする。その完璧度はどうして得たか?それは娘さんの完成度の高い絵から得た結果。それに沿って丁寧に切った。つまり楽譜のまま演奏をした・・・こんな感じなのね。所がその絵はバックは描かれていない。つまりこのバックはローラの自由。つまりソロなのね。

更につまりローラが初めてこの作品の中で自分で考える場所なのね・・・でもね、ソロを弾かせるにはスペースが多過ぎる。そこで質問となる。それでどうしたい?・・・その時に表現をゴージャスに・・・なんて言ったとする。ではゴージャスからイメージする色はどんな感じか?

そうなると、ブルーダイヤの洗剤じゃないが、金銀パールプレゼント・・・みたいに順番があると思うのね。これがお母さんなら迷わず金になる。それがキウイならパール。付き合いが長いから趣味趣向が判りやすい。だからそこからどう考えるか?になる。けれどローラは?

パールを選んだのね・・・それを別に良いじゃんって言えるのは単純な話なのね。何故なら仮にキウイと同じパールを選んだだけとしても、キウイならずっとその色で色んな形を切り続けるアイデアもあるだろうが、そもそもここまで娘さんの絵通りに切って来たのね。

その下絵通りに・・・。察しの良い人なら判るけれど、1色だけで色んな形を切り続ける事は、同じ食材をずっと食べ続けるよりもきついのね。
つまり箸休め的なものが必要になるかも知れない。じゃ箸休めって何よ。それが色とか形じゃ無いのかな?例えば形ならハートとかクローバー。

ただ有り得ないのね。こんなしっかりした作品に既存のパーツはいらないし、本人も望まないだろうね。つまり選択出来るのは色。じゃ何色を箸休めにする?となった時、自分の好きな色・・・って単純に考えもせず本能のまま、その日の気分のままって言うのは、上手くなった人がやる

と良いのね。つまりキウイやお母さんならね。勿論、モザイク歴は浅いけれど、美術系の娘さんなら、じゃそれで・・・と任せる事になるだろう。けれど、ローラは下絵を娘さんに任せた人。つまりデザインとして苦手なのだから、色なら任せるのは簡単だけれど、根拠の無いひらめき

はこの作品にはいらない。何故なら大作のような時間が掛かっている大事な作品だから。体験のような作品ならどうぞ・・・だけれどね。だからこそ根拠が必要になる。そこでまたブリッ返すと、ゴージャス。単なる色決めのみのパールをどうしたらゴージャスに見えるようになるか?

しかもただ切らずにグルっと張るとは思えない・・・何故ならローラの口癖は面白味が無いですよね?・・・つまりわずかであっても、基本からずれる事を意味する訳で、王道へは行かない表現をするのね。つまりにっちもさっちも動けなくなる。それをどうして良いか判らない・・・。

と表現するのね。良く陥りがちな事で。実はそれはどうして良いか判らないのは、判らなくなる理由があるからなのね・・・ん・・じゃ例えば、キラキラしたガラスタイルがあったとしよう。後はそれをクラッシュね。いびつ角形に切って・・・何も考えずに。

こうすると恐らく理想になると思うのね。何故なら考えなくて良いし、クラッシュだし、キラキラしていて綺麗だし・・・全てご希望通りに当てはまるように感じるからなのね。しかし、しかしなのね。ガラスタイルを切る・・・当然、手を切って血を流す覚悟が必要なのね。


キウイは今日も手を切っていたのね・・・上手いから大丈夫じゃなくて、上手ければ深追いしたくなるから切る事も多々ある。

ではローラならどうだろうか?まだまだそんな事はしなくて良いし、家に戻ると赤ちゃんがいるような場合、絶対に使わせる事は出来ない。そんな危ない事は避けた方が良い。となると、タイルの中での話になる。そんな中、1cmタイルじゃ無いのはダメですか?となるのだけれど、何で?

勿論、言われれば見せるけれど、まぁ100%無いのね。見せるまでも無く、何故なら自分でゴージャスにしたいと表現したから。つまりゴージャスの持つ言葉の意味はキラキラやギラギラみたいな光っているものであって、マットの艶の無いタイルには、可愛い事はあっても、ゴージャス

に当てはまるものでは無いから。当然見せても無反応。つまりガラスタイルが使いたい事は判っていても見せられない理由があって、更に言えば当然、切る事もままならず、失敗する可能性が高い。しかも高価でもある。そうね、使わせられるようになるには、子供が大きくなってから

・・・とか、最低でもこの位のバックを幾何学模様のような形で全部統一感ある位、同じ事の繰り返しを何とかたどり着く根気が無いと、恐らくガラスタイルのバックなんて、挫ける前提で見届け無いとならなくなる・・・。勿論、たどり着かない事も考慮に入れて・・・。

話を戻して、つまり今出来る中でのゴージャスを探すべきなのね。けれど、今度は納得したとしても、またハードルがある。それは、結果が見えないからの不安・・・どうしたら良いのか?ってね。要するに1を決めないからなのね。既にゴージャスにする為のタイルは艶のあるパールの

白を自分で選んだのね。じゃ1列目、どうやってゴージャスに見せるか?になった時、考え無しでスタートするのなら、普通に張れば良いでしょ?何故なら考え無しでのスタートだから。つまり色に頼るだけ。ただそれは無いのね・・・何故ならローラは面白味が無いですよね・・・って、

言う人だから。全部自分自身なのね。けれど嫌な事は判る。けれど最善は判らない・・・心理の中に、キラキラした大きなタイルで余り時間の掛からなくて・・・とか、まだ何か捨て切れない気持ちが残るから。そしてここまで素敵になった作品をより良くしたいから・・・。

それこそがプレッシャーなのね。あら大変なのね・・・だって初めて向き合っているのだもの。自分と・・。俺とでは無いのね。俺はただ上げ足のようにローラの言った言葉を呪文のように唱えるだけ・・・それと向き合いなさい・・・と。つまりそこに間違いがあると、間違いのまま

連れて行かれるのね。だって表現のままなのだから。それなのに、嫌の事だけは判るから、それは違う、それは違う・・・そのやり方を消去法って言うんだけれど、残ったものがやりたかった事て゛それと向き合う俺も大変なのね・・・何故なら嫌がらせの人のように思われるから。

ただ言われた方向に連れて行こうとするだけなのに・・・。けれど、そこに無理って言う事がある。つまりゴージャスから外れた時。当然、外れたいのなら、外れる理由、外す根拠、それこそが説得であって、もっともと思われれば、OKを出せるが、何と無くでは無理。

つまりこの話でOKなのは、白パールが使いたい・・・ここだけ。それでどうする?なのね。考えないと・・・1列目。けれど、もうこの時間でヘトヘトになっているから、2人が助け船を出して寄って来たのね・・・こう言うのがベテランの間だろうね。ひと息とでも言うのかな。

じゃ折角来てくれたんだから、2人の眼を使おう・・・例えばどちらがゴージャスゲーム。これから2つを見比べて貰います。さてどちらがゴージャスに感じますか?・・・1つ目は普通に張る。2つ目は頂点を角に合わせて、斜めに張る。さてどっち?・・・するとローラまで2となる。

ほらね。単純にこんな事だけでも、色は同じなのに感じ方は違う。しかも満票。つまり俺の提案は通る事になる。創作って言うのは、こうして自分の言葉、表現したまま進めば良いだけなんだけれど、結果ばかりに気を取られる。そもそもがこうして向き合う事が初めてなのだから、

そんなに結果ばかり気を取られなくても良いのに、ここまでの出来栄えが良ければ良い程、失敗したく無いとか、もっと良くならないかな?と言う気持ちになる。その時に人に寄っては、失敗したく無い・・・って方向なら、もっと攻撃しろっ・・・ってチャレンジの葉っぱを掛ける事に

なり、逆にもっと良くならないかな?・・・と攻撃側に感じれば、もっと守れ・・・安全安心の側へ・・・ソロなんか無し。ずっと同じリズム、ずっと同じ振り付け、余計な事はすんな・・・味を変えんなっ・・・みたいな指導になる。全ては相手が何を言ったか?・・・となる。

所がもしゴージャス自体が表現の間違いだった場合、どうすれば良いのかな?・・・張ったものを剥がすかっ・・・俺のせいとして。って事で、最初から気紛れとか気の迷いなんて事があるから、全面的に信用なんかしないのね・・・俺は。あははは。そこで、そこでなのね。

仮にゴージャスでは無かったにせよ、いきなり可愛く・・・に全く逆にはならないだろうから、そこに近い表現なんだろうな・・・と振んで、本来なら安全安心なら、普通に張っとく?・・・で良いのに、何せ面白味欠ける・・・って事にならないように、何か変化を望むだろうし・・・

しかも、じゃいっそバンバン切りますかぁ・・・ってキウイやお母さんならそう言うが、やっとたどり着いた・・・って気持ちもあるだろうから、なるべく切らない方が良かろう・・・って気持ちもあって・・・そんな事を踏まえるとこうなるでしょ?って話。

それをこうしよう・・・って1列目から言ってしまっては、創作にならなくなる。何しろ自分きっかけでスタートしないと。もう娘さんの絵も無いし、照りや艶を望んで1cmの白パールに決めた。しかも面白味に欠けるのは嫌なんだから、今後普通に張る事は無い。そうなるとキャベツの

千切りしているんじゃないから、統一感の大きさ、幅を合わせるのは普通であって、その上、素敵に見える形を次々考えないとならず、しかも考えた上で、切るのは自分・・・結構向き合うのは大変なのね。ただそれなのに結果ばかり気にしても無駄なのね。まずは1列目に合う2列目。

そこだけを考えないと、4や5列目なんか考えられるのなら、全ての模様をデザインした下絵を描くべきで・・・そんな事は娘さんのように絵の得意な人のやるやり方。違う、違う、こっち側の人は、やりながら考えるのね。次の手を・・・。その繰り返し。1の次は2。2の次は3とね。

そしたら勝手に後から結果は付いて来るのね。それが例えプロのクリエーターだって、湯水のごとく溢れて、さっさと出来る訳じゃ無くて、しっかり考え抜いた結果なのね・・・。そんな考え方の基礎・・・そんな1日目だったのね。きっと大変だったと思うけれど、キウイとお母さんが

いたのは、ローラも俺もラッキーだったのね。そんなこんなのお母さんは・・・・外す事は無いのね。

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