katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

くじらとキウイの相席教室

2022-10-25 07:09:41 | モザイクタイル教室

今日はくじらとキウイの相席教室。そもそもくじらは俳句の人だから、モザイクがメインと言うよりも、作家katsuとの話の方が大事だったりして、更にキウイがいる事で、第三者がいる感じの面白さを楽しみにしている感じの人なのね。例えば、テニスを始めましたとする。

どんな感じ?で・・・となった時に、健康維持って感じの場合、打ったボールはポコーンって音がしそうでしょ?でも仮に、試合に勝ちたいから・・・って言うと、バシッとか、明らかに音が変わったような気がするでしょ?これがやる気の違いの説明だとすると、くじらは自分では、

健康維持のつもりでいるのね。ただそれをキウイから見たら、そんな事は無いって思うのね。何故なら、遊びで毎月ここまで来て、5年以上も掛かっている作品って・・・中々出来る事では無いから。所がそのキウイは倍以上掛かっているのね。だから、くじらからすれば、その人の前で、本気度が

違うから・・・とでも言いたくなるんだろうけど、じゃそのキウイはって言うと、割とひょうひょうとやっているのね。じゃ2人を更に第三者が見たとすると・・・ほぼ遊んでいるようにも見えると思うのね。それは楽しそうに見えるからなのね。でもそれは会話の部分であって、実際の作品だけを

見せたら、両方共に本気な作品に見えると思うのね。それはどうしてか?って言うと、簡単な話で、これこそが継続は力なりって事なのね。例えばこれが労作展のように強制力とタイムリミットがあれば、やらざる負えないって縛りがあるから、投げ出せないのね。所が大人には、それが一切無いのね。

つまり自分自身の問題になるのね。やるのか?やらないのか?ってね。でもそもそも初日から、やりたくないんですよね・・・って人はいないのね。つまり大なり小なり、やる気があるのね。って事で、どんな人でも各々の100%だとする。じゃ2回目は?5回目は?・・・って事になると、中だるみとか

あったりするかも知れないし、思っていたより進まないとか、思ったより上手くならないとか、思ったりすれば、100%だった時よりも、90%になったり、80%になったりするのね。そこに当初の環境とは違う事が起こったりすれば、更に時間を取りづらくなったとか、マイナス要素が加われば、

来られなくなる・・・なんて事になったりもするかも知れないのね。そんな事は誰もがあるのね。でも労作展には無いのね。だって宿題だし、辞めるって事は、代替えを用意しないとならないのだから、後戻りするのなら、続けた方が良くなるから。これが強制力の凄さなのね。

つまり大人の場合、この強制力に変わる何か?があれば良いだけなのね。そうすれば続けるって言う継続は力なりに該当する事になるのね。所がそんなに簡単には継続出来ないから、力になるって話であって、世界平和なんていちいち言うのは、そうじゃ無いからなのね。取り締まるのも、取り締まらないと変わらないって事だからなのね。

何も起きなければ、何も必要無いのね。つまり継続が難しいから継続が大事なんだよ・・・って先人の教えなのだから、継続さえすれば、何でも力になるものなのね。これが判ると、俳句と言うのは残酷な分野で、材料は買わなくて済むし、お風呂の中でも考える事が出来るのね。

つまりやる気があるだけで、誰にでも権利があるのね。これがモザイクのように、道具や材料が必要な場合、買わないとならなくなるから、ハードルが上がるのね。これを飼育って事にするのなら、誰でも出来るなら、アリの観察なら、拾ってくれば誰でも出来るのね。無料だし。所が犬って事に

なると、買わないとならないから、お金の問題になるでしょ?更にアリは場所を取らないが、犬は餌、飼育場所、散歩と、どんどんとハードルは上がるのね。これが音楽なら縦笛なら誰もが持っていたけど、ギターでもドラムでも、サックスでも楽器が高くなり、音も出るとなると、ほら同じ。

つまり俳句はお手軽に始められるのね。でもお手軽に始められるって事は、お手軽に辞められるって事なのね。常に良い事と悪い事は背中合わせなのね。それなのに続けられるって言うのは、当たり前の事なんだけれど、それこそがその人の姿勢として何でも出来る可能性があるって事なのね。

そんな姿勢でスタートする時に、まずはモチーフを自分の好きなものにする。そうするとモチーフが好きなものだけに、引き返せなくなれる。見えない強制力があるのね。しかもウチの鯉だから、見たままになるって事は、そっくりに真似をするって事になる。つまりレシピ通り、楽譜通り、図面通りにね。

だから一切考えなくて良いのね。見たままを遂行する。これが逆にキウイだと、

こんな鳥はいないから、想像力って言う目に見えないものを生み出さなきゃならないから、考える事がずっと続くのね。ここが大きな違いなのね。そうした違いがある中で、お互いに作りたいものを作っているのは一緒なんだけど、冒頭の作家katsuとの話って部分が、見えない事のやり取りなのね。

そこが想像力、洞察力、観察力であって、ここが考えるってスタイルの俳句の足しになる部分で使える事になるかも知れないが、そこを仮に1日分の時間の中で、80%使ったとすると、残りは20%なんだけれど、キウイとのお楽しみ部分の気楽な会話を10%取ったら、モザイクは10%になるのね。

凄くモザイクがぺらぺらになったでしょ?勿論、もっとあるかも知れないけれどね。つまりモザイクはオマケ的に考えると、会話の80%で元は取っているから・・・って考えれば、じゃついでに・・・って気楽な感じでモザイクをし続けていたとすると、ほら楽に続けられる・・・こんな仕組み。

所がこれで作品を小物として、気楽に終わる物を選び続けると、気楽な作品の山になるのね。つまり5年経ってもまだ出来ない1作品ってものと、毎月1個完成する小物を1年で12個、それを5年続ければ、60個の作品を作っていた事になるのね・・・。まっ、飽きるのね。しかも上達感も無いし。

だから気持ちが気楽で、しかも好きなモチーフ、時間は無制限・・・ほら長期に渡る労作展な雰囲気が出て来たし、しかも既に元も取っている。更に圧倒的に上手いキウイだから、ライバル感も生まれないし、続けられる要素はいっばいなのね。ここまで理解して貰えると、ここからが本題。

そんな気楽な気持ちのくじらの評価を、自分がすると、笑っちゃうほどへっぽこだし・・・みたいになるんだけれど、先生katsuもキウイもこの作品がそうは見えないのね。おかしいでしょ?実力者の評価は悪くないのに、本人の評価は以上に低い。これはさくらにも言えるのね。

つまりそう思わせる見えない圧力があるのね・・・これが良い事と悪い事は背中合わせ。つまりキウイと比べると・・・ってくじらは判断しているからなのね。だから、まだまだだと。でも10%でやっているとしたら?十分過ぎる話なのね。つまり気楽で力みが無い分、焦りも無いし、プレッシャーも

無いのね。しかも俳句が1番って人だから、ムキにはならなくて良いし・・・なのに、作品を見る眼だけは肥えてしまっているから、まぁまぁみたいな評価になってしまうのね。でもこちらからすると、余りに自己評価が低すぎるのね。では同じ評価を俳句でのくじらでは?って本人に聞いたとしたら?

ほらきっと大きく違うでしょ?・・・誰に教わったとか、誰と一緒にやっていたとか、環境ってのも実力を左右したりするものなのね。例えば、普通のプロの試合をし続けるのと、オリンピックや世界大会選抜ともなると、プレッシャーは大きく違って来るのね。誰もが上手く、各々のチームでは、

大きな存在であっても、選抜チームなら、いくらでもそんな人はいるのね。安心安全って言うのは予定調和として、気楽になるのね。日常とはそんなもん。ただ俳句ではきっと切磋琢磨だろうから、ここでは気楽な気分が丁度良いのね。ただ気楽な気分であるけれど、気楽な作品には見えない。

そこは折角お金と時間を使うんだからね・・・先生としては考えるのね。その人、その人のペースで進めば良いし、でも気楽作品ばかりでは、継続しても評価が低くなりがちになる。勿論、デイ・サービスのように、出来るだけで十分だと思われるような場合は別だけれど、5年やっていて、もし

デイ・サービスの小物を60個見せられても、継続期間が長くなればなるほど、1作くらいは、自分自身の評価に繋がる作品を持っていた方が、いろんな場面で報われるとは思うんだけどね・・・まぁ、一応そう思う程度にして置こうかね。ただ恐らくそうなるとは思うんだけれどね・・・。

つまりくじらの継続には、こんな環境が丁度良く、しかも気楽な気持ちで大作をしているから、気負いも無いし、時間制限も無い。中々有り得ない作り方だったりもするのね。昔、堀口養魚場の先代の親父さんに、ニッカで行ってたから、覚えられて、金魚好きか?って聞かれて、大好きですって、

答えたら、こっちに来いよ・・・って庭の池を見せて貰ったのね。その時に、金魚も飼えない奴は生き物を飼う資格が無い・・・って言われたのね。勿論、その時は、ただ好きなだけで、もっと言えば、何の知識も無いから、金魚自身の生命力だけで生きていただけなのね。だから買っただけ。

でも好きだったのね。でもそれがいつしか繁殖なんて事になると、判らないながら知識も増えて来ると、いろんな事を試して、でも死んじゃったりして・・・そんな事を繰り返すのね。死なないかな・・・大丈夫かなってね。もはや楽しみだったはずなのに、むしろ毎日不安だったりして・・・

でも、卵を産んだり、大きくなったり、人に凄いね・・・って言われたりすると、ちょっとだけ嬉しかったりして、また続いたりして・・・ただ楽しいって言うのは、なんにも知らなかった時だなのね。知識や経験ってものが増えると、楽しみだけじゃ続かなくなったりするものだからね・・・

いずれにせよ、この2人のお教室って言うのは、お楽しみあり、作品も良いって言う理想な環境だったりする。そんな教室の後は、ご新規さんの下地を説明と共に持って行く事になり・・・片道1時間ちょい。帰った頃には、そこそこな時間になっていて・・・でもちょっとだけ金魚の壁画。

 


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