今日は前半ちょこっと、さいたまスーパーアリーナのイベント下地について、かぐやと話し、頼まれていたカワウソを写して・・・その後は、久し振りに金魚の壁画。まっそうなると、特に広げる
話も無く・・・ただ進めるだけになる。だから何か進めるに当たって、今日、緑の部分終わらないかなぁ・・・なんて思ったりもして。ただやっている中、まだあるんじゃん・・・って、思う場所
が見つかり・・・終わらないなぁって。こんな事を思っていたりすると、とても時間が長く感じて、今日は何しろ1日が長く感じたのね。こんな気持ちの時は、えーまだこんな時間・・・って、
感じになるのは、焦っていたり、逆に調子が良いと、えーもうこんな時間・・・なんて事になる。例えば下地に追われていたりすれば、焦っている気持ちがそうさせるし、逆に思っていた事が、
この位出来たら良いな・・・の予定が、予定の枚数よりも進んでいたりすれば、気分が良い分、早く感じられるからね。つまり今日は長く感じたのだから、これだけなの?って進まなかった気分や
追われる事も無いのだから、良い意味でも悪い意味でも、呑気だ退屈だみたいな気分が、ダラダラと時間が過ぎたような気がしたんだろうね。この夏が今年も駆け足だったから。勿論、それと同時
に、大作の果てしなさってプレッシャーもあるだろうが、焦る気持ちは無い分、いくらでも時間が掛かっても良い事になると、やってればその内終わる・・・そんな気分は無くても、果てしなさ
って部分はあるだろうが、もっと上な気持ちで言えば、やっている事に物足りなさすら感じて、何かなぁ・・・って憂鬱なんて事になったりもする。ただね、終わってしまえば、これもkatsuの
代表作となる訳で・・・そうね、大作を作っている人って言うのは、こんな葛藤の中の制作なのね。最初は体験なんて事になると、数時間で楽しく終われる。だから気楽で楽しいのね。
ここで辞めれば、また次の分野、また次の分野と渡れば、気楽でまるで映画でも見るように、次々と色んな映画が見られる。しかも道具も材料も買わずに済むからお手軽簡単にね。
これが自宅でもやる・・・となると、道具や材料が少しつづ増えて、やる気に比例する。そうね、ただ映画を見るのでは無く、パンフレットやグッヅを買ったような感じにね。これがこだわり。
その内に、あれが良い、これが良いなんて事になると、簡単に作れるものは、簡単だから、あれこれと沢山作れたりする。しかも、面白いから・・・と、自分の時間の全てを使おうとする。
そりゃもう労作展の子供達と一緒なのね。ただ大きく違うのは、小物を数十点作るのでは無く、1つの作品を仕上げる。ここが大きな違いで、小物はその日で完成するから、気持ちに左右する事は
少ないのね。これが大作だと、ノリノリの日もあれば、落ち込んでいる日もある。それを片付ける事を考えると・・・って1時間じゃ何も出来ないな・・・とか、今日は乗らないから・・・と、
先延ばしにすれば、どんどんと面倒になるのね。それが期日が決まっている労作展では、強制力が働いているし、やらなきゃ・・・って気持ちが大きく違うのね。子供だからと侮れないのね。
そうやって刺激を受けて、最近ではフェルメールの方は、私にも出来ますか・・・って始めて、2年で終わろうとしているし、それを見た3年生の女の子も、ピカソの泣く女を始めだした。
この子だって、月に1回の2年くらいやれば、必ず手に入るし、労作展に出せるような大作になっているだろうね・・・きっと。つまり順調なら、5年生には労作展の腕になる・・・って事。
ただ当然、小物のようなお気楽では無いから、ん・・・進まないとか、楽しいばかりでは無いかも知れないけど、その作品こそが、その人の名刺になるのね。私はこの腕です・・・って。
だから凄いのね。勿論何百個の小物も続けていれば、凄くも見えるかも知れないが、良くも悪くもそこまで止まりになる。大作を逃げ切った人は、小物で楽しめるのは、大作に比べれば、
果てしなさにはやられる事は無いし、気持ちを強く持って制作出来るが、小物を何百の人は、いつも数時間で完結なんで、果てしなさに付いては来られないだろうね。進歩とか進化って言うのは、
新しい事にチャレンジしないと、中々得られないのね。それが刺激ってものなのね。ただその刺激ってものも、良い事と悪い事は背中合わせで、良い事は、人のを見て私も・・・って気持ちに、
なれるが、悪い事はつまづいた時に、立て直す事が出来ないのね。小物のように明日は別のもの・・・って言う、箸休めが無いから。そして果てしないし・・・しかも大人は宿題では無い。
良くも悪くも、やるもやらないも自分自身。つまり言い訳なのね。やらなかったでは無くて、出来なかったのね。権利が無いのね。残念ながら・・・。やるって決めるのも、やらないって決めるのも自分なのね。
そんな葛藤があるから大作は凄く見えるし、誰でも作れるんだけれど、誰もが作れるものでは無いのね。それは子供であろうと、どうしても欲しい・・・作りたい・・・って気持ちがあればなのね。
つまり何処まで行っても教えられないのが、やる気だ根気だ・・・って気の部分。結局、頑張れーしか無くて、その気持ちありきなら、いくらでも連れて行けるんだけれどね・・・。
そう言う点では、テクニックだセンスだって、一番くだらないのね。そんなもん、いくらでも教えられるし、そんなもん慣れれば、誰にでもある。病気は気が病なのね・・・。つまり気。
気が無いのでは、どんな優秀な先生でも無理だわ。ただやる気にさせるって言う事もあるだろうが、無理やり引っ張っても、先生にそう言われたから・・・って依存を引き起こすし、気の部分は
本人次第になる。そうね、こうした事をいちいち言うのも、俺もこうだよ・・・ってお話であって、結局どんな形であれ、完成まで行ければ、葛藤していただけで、弱音は当たり前で、泣き言
万歳だし、駄目なのは言い訳。それはアタックNo.1なら、だって女の子だもん・・・って言ってからもやるからNO1になれるのだし、あしたのジョーでは、だけどルルルルル・・・って。
泣き言を言葉では言わないけれど、だけど・・・なのね。でもやるからチャンピオンなのね。じゃ俺もやるしか無いかぁ・・・ってな話。これが新しい作家katsuの実力となるのだから。
腕の上書きだからね・・・。
話も無く・・・ただ進めるだけになる。だから何か進めるに当たって、今日、緑の部分終わらないかなぁ・・・なんて思ったりもして。ただやっている中、まだあるんじゃん・・・って、思う場所
が見つかり・・・終わらないなぁって。こんな事を思っていたりすると、とても時間が長く感じて、今日は何しろ1日が長く感じたのね。こんな気持ちの時は、えーまだこんな時間・・・って、
感じになるのは、焦っていたり、逆に調子が良いと、えーもうこんな時間・・・なんて事になる。例えば下地に追われていたりすれば、焦っている気持ちがそうさせるし、逆に思っていた事が、
この位出来たら良いな・・・の予定が、予定の枚数よりも進んでいたりすれば、気分が良い分、早く感じられるからね。つまり今日は長く感じたのだから、これだけなの?って進まなかった気分や
追われる事も無いのだから、良い意味でも悪い意味でも、呑気だ退屈だみたいな気分が、ダラダラと時間が過ぎたような気がしたんだろうね。この夏が今年も駆け足だったから。勿論、それと同時
に、大作の果てしなさってプレッシャーもあるだろうが、焦る気持ちは無い分、いくらでも時間が掛かっても良い事になると、やってればその内終わる・・・そんな気分は無くても、果てしなさ
って部分はあるだろうが、もっと上な気持ちで言えば、やっている事に物足りなさすら感じて、何かなぁ・・・って憂鬱なんて事になったりもする。ただね、終わってしまえば、これもkatsuの
代表作となる訳で・・・そうね、大作を作っている人って言うのは、こんな葛藤の中の制作なのね。最初は体験なんて事になると、数時間で楽しく終われる。だから気楽で楽しいのね。
ここで辞めれば、また次の分野、また次の分野と渡れば、気楽でまるで映画でも見るように、次々と色んな映画が見られる。しかも道具も材料も買わずに済むからお手軽簡単にね。
これが自宅でもやる・・・となると、道具や材料が少しつづ増えて、やる気に比例する。そうね、ただ映画を見るのでは無く、パンフレットやグッヅを買ったような感じにね。これがこだわり。
その内に、あれが良い、これが良いなんて事になると、簡単に作れるものは、簡単だから、あれこれと沢山作れたりする。しかも、面白いから・・・と、自分の時間の全てを使おうとする。
そりゃもう労作展の子供達と一緒なのね。ただ大きく違うのは、小物を数十点作るのでは無く、1つの作品を仕上げる。ここが大きな違いで、小物はその日で完成するから、気持ちに左右する事は
少ないのね。これが大作だと、ノリノリの日もあれば、落ち込んでいる日もある。それを片付ける事を考えると・・・って1時間じゃ何も出来ないな・・・とか、今日は乗らないから・・・と、
先延ばしにすれば、どんどんと面倒になるのね。それが期日が決まっている労作展では、強制力が働いているし、やらなきゃ・・・って気持ちが大きく違うのね。子供だからと侮れないのね。
そうやって刺激を受けて、最近ではフェルメールの方は、私にも出来ますか・・・って始めて、2年で終わろうとしているし、それを見た3年生の女の子も、ピカソの泣く女を始めだした。
この子だって、月に1回の2年くらいやれば、必ず手に入るし、労作展に出せるような大作になっているだろうね・・・きっと。つまり順調なら、5年生には労作展の腕になる・・・って事。
ただ当然、小物のようなお気楽では無いから、ん・・・進まないとか、楽しいばかりでは無いかも知れないけど、その作品こそが、その人の名刺になるのね。私はこの腕です・・・って。
だから凄いのね。勿論何百個の小物も続けていれば、凄くも見えるかも知れないが、良くも悪くもそこまで止まりになる。大作を逃げ切った人は、小物で楽しめるのは、大作に比べれば、
果てしなさにはやられる事は無いし、気持ちを強く持って制作出来るが、小物を何百の人は、いつも数時間で完結なんで、果てしなさに付いては来られないだろうね。進歩とか進化って言うのは、
新しい事にチャレンジしないと、中々得られないのね。それが刺激ってものなのね。ただその刺激ってものも、良い事と悪い事は背中合わせで、良い事は、人のを見て私も・・・って気持ちに、
なれるが、悪い事はつまづいた時に、立て直す事が出来ないのね。小物のように明日は別のもの・・・って言う、箸休めが無いから。そして果てしないし・・・しかも大人は宿題では無い。
良くも悪くも、やるもやらないも自分自身。つまり言い訳なのね。やらなかったでは無くて、出来なかったのね。権利が無いのね。残念ながら・・・。やるって決めるのも、やらないって決めるのも自分なのね。
そんな葛藤があるから大作は凄く見えるし、誰でも作れるんだけれど、誰もが作れるものでは無いのね。それは子供であろうと、どうしても欲しい・・・作りたい・・・って気持ちがあればなのね。
つまり何処まで行っても教えられないのが、やる気だ根気だ・・・って気の部分。結局、頑張れーしか無くて、その気持ちありきなら、いくらでも連れて行けるんだけれどね・・・。
そう言う点では、テクニックだセンスだって、一番くだらないのね。そんなもん、いくらでも教えられるし、そんなもん慣れれば、誰にでもある。病気は気が病なのね・・・。つまり気。
気が無いのでは、どんな優秀な先生でも無理だわ。ただやる気にさせるって言う事もあるだろうが、無理やり引っ張っても、先生にそう言われたから・・・って依存を引き起こすし、気の部分は
本人次第になる。そうね、こうした事をいちいち言うのも、俺もこうだよ・・・ってお話であって、結局どんな形であれ、完成まで行ければ、葛藤していただけで、弱音は当たり前で、泣き言
万歳だし、駄目なのは言い訳。それはアタックNo.1なら、だって女の子だもん・・・って言ってからもやるからNO1になれるのだし、あしたのジョーでは、だけどルルルルル・・・って。
泣き言を言葉では言わないけれど、だけど・・・なのね。でもやるからチャンピオンなのね。じゃ俺もやるしか無いかぁ・・・ってな話。これが新しい作家katsuの実力となるのだから。
腕の上書きだからね・・・。