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今日はまずkameyaさんの出張教室。ではまずラパンさんから。そうね、まずこれを見た時にどう感じるか?・・・それは音楽を目指さなくても、サザンを聴いてどう思う?みたいな話とか、料理を作らなくても、このラーメンどう?って
感覚の話ね。だから誰でも感じるって権利があるのね。その時に単なる好みで答える癖が付いていて、そのまま押し通すような人の場合なら、そのままで
どうぞ・・・なのね。ただお教室として習う場合なら、もう所作として駄目なのね。だって好きか嫌いか、趣味か趣味じゃ無いか?だけなら、馬鹿か利口か、
下手か上手いか、綺麗か汚いか、・・・って言うだけの表現しか出来ないって言っているようなものなのね。つまり自分の好みで、好きじゃないと表現すら
出来ない・・・いくら長く習い続けても・・・これではただ技術のみを習うだけなんで、絶対にある一定線までしか伸びしろが無いのね。やる前から見えているのね。
しかも、更に心技体となると、続ければ続ける程、大きく差が出るのね。だって習うのは技術だけで、全部自分の好みで自分が決める以上、受け入れる姿勢の
許容範囲を恐ろしく狭くする・・・そう言う考え方である。って言う姿勢である・・・って言われているようなものなのね。つまり岩石のような頑固な人、
それで技術だけ教えて・・・お金は払うから、一ヶ月に一回数時間だけやるから・・・これで何回やると上手くなる?って話なのね。所がラパンさんは、
カルチャーから始まった人なのね。だから、月に1回でも結構やっている人になるし、もっと前から他でモザイクを習った事のあるとなると、モザイク歴は
もっと長くなる。そう考えた時に、この始まったばかりの大作をどう感じる?と見た時、出来る出来ないだけなら、出来たら凄いだろうなぁ・・・位は、子供
でも感じるのね。じゃ何で凄いと思えるか?それは額として俺が作った下地のポイントがオリジナルとして立派に見えるからなのね。だってまだタイルはそんなに張られていないのに、凄く見えるはずが無いし、習っているなら切ったパーツ
を見て、技術を理解出来ても、やった事が無ければそんな事判るはずは無いのね。つまり今は俺の下地ポイントで上手く見えるのなら、これから自分の
モザイクでポイントを稼ぎ、いつか張り終わった時に、凄いよね・・・このリース・・・下地も・・って、俺の下地を上回る事が出来れば、より凄い作品に
変化させる、見た人にそう表現して貰えるようにすれば良いのね。って話になるのね。じゃどうしたらそう見えるのか?と掘り下げて行けば、出来るかどうか
は別にして、方法論を考える事が出来る。そう考える事に繋がる。では具体的にどうするか?・・・
この落書きは花の一部のパーツの解説に使ったんだけれど、全て同じパーツの説明なんだけれど、一番下だけロボットっぽく見えないかな?これが感じる
一歩目なのね。では何故そう見えるのか?それは直線だから。要するに花を作るに当たって、柔らかいラインが必要なのに、カチンってタイルを切れば、硬い
タイルをカチン・・・では真っ直ぐにしか切れない。つまり直線だけで柔らかい線を出すなんて事になる・・・まず不可能だね。それを切ったって言うかな?
それが始めたばからなら、良いけれどキャリアを積めば積むほど、上手くは見えないのね。何故なら算数のままで、数学にならないから。簡単のままのキャリアになるから。ピアノを習って何十年、咲いたぁ〜咲いたぁ〜って、単音を
弾けますぅって言われてもね・・・つまりそのまま続けるのなら、オリジナルの作曲をするのなら、いつか校歌くらい作れるかもね。ありゃ軍歌とか、行進曲だから、タンタンタンタンだから。それをタタ、タンとか、タッタタンとか、
この変化のリズムを刻まないとならないから、タイミングを問われるし、それをダンスとするのなら、いちにっさん、にぃにぃさんみたいになると、ワルツ
になるし、いち・・・いちにっさん、にー・・・にぃにぃにっさん。ってダンスなら、切れの良い動きになる。それをタンタンタンタンなら、行進。
ただ小学生も行進だが、軍隊も行進。質が違うのはやる気とキレ。こうやって自分はどうする?・・・これが意識。どうしたい?学校もそう。何処でも良い・・・もはや馬鹿でーす。って言っているようなもの。やる気を感じ無い。
頑張りますー・・・これもほぼ同じ。頑張らなくて良い。続けられればその内に上手くなるから・・・そして続けながら意識を変える。意識が変われば行動
が変わるから。簡単な話なのね。ただこの意識を変える事が、先生として難しいのね。何故なら人は簡単には変わらないし、簡単にも心変わりするから。
気紛れなんてのもある。気だね・・・。ここも。って理屈は判っても、俺は瀬戸内寂聴さんじゃ無いからね・・・ただそう見える人もいるんだけどね。あはは
では心は別にして、テクニックって簡単な説明ね。カチンではドーってピアノの鍵盤を叩いて音がしたとか、ザクッとじゃがいもを切った・・・こんな感じ。
それを優しくとか、悲しくとか、楽しくとか、意識して・・・って言っても、わかんなーいって人は、考えてないのね。でも、優しく背中を踏んで・・・も、
親の仇で踏んで・・・でも一緒な感性なら、いちいち踏み方教えないと判らない?違うよね、自分ならこんな感じ・・・って想像するでしょ?それそれ。
それで弾く、それで切る・・・ただそれだけ。その意識があれば、カチンでは真っすぐにしか切れないから、形がゴツゴツする。だからユルっと見せるには
どうしたら良いのか?って意識になる。その意識で切ろうとするが、技術が無いから切れない・・・そう意識が整えば、その気持ちで技術が無いのなら、それはこうするんだよ・・・に繋がるが、そんなの関係ねーって心持ちなのに、
いくら技術を教えても、面倒臭いな・・・って思っているでしょ?って話。きっとラパンさんは今日、本気で花を作ろうとしていたのね。曲げようと・・・
そんな人は、確実に花を作ろうとするのね。ただ色を選んでタイルを切ろうとはしない。花びらを作ろうとする。そんな意識に変わる。そんな中、棟梁はカットTBの動物のキツネ。
本当なら棟梁の腕を持ってしたら、その技術で徹底的にフサフサを作りたいと思うのね。でももしそうしたら?あぁ隣のりょうさんに思い切り差を付けて、我ここにあり・・・では無いのね。例えば、この作品に関してどう思うか?
それを頑張ろうとか、一生懸命とか、参加する心構えとして日本語としては合っているのね。でもそれ本当に?・・・なのね。まぁ他でならそれで良いけど、
俺の所ではそんなの要らないのね。まずはやるって参加を決めたのなら、終わらせる・・・って覚悟ね。つまり質の前第一は終る事。大体の時間内に。
つまりいつもの自分の作品とは全く違うのね。では何がそんなに違うのか?それが棟梁がいつものように、いくらでも時間を掛け、テクニックを屈指し、タイルもあれこれ使い、徹底的に切ったのなら、他の人達と比較した時、どう写る?
そりゃ隣に作る人はプレッシャー掛かるだろうね。だからかぐやは下部にしたのね。しかも隣が居ないように全部ってね。この場合、下部全部かぐやだから
比較する為には全体を見渡す程、離れないとならない。つまりバス通りの二車線分離れる事になると、繊細さまでは見られない。つまり比較出来ないのね。
しかし隣では、横だから目に入る。比較しやすい。でもみんなで作るって一歩目の段階なのね。だから全力で一生懸命で上手さの追求なんて自分の作品で
やるべきなのね。この作品は約束を守る・・・ただそれだけ。それはなるべく切らないで、目地幅を統一して、画像を良く見て・・・そして2回分くらいで。
でもね、棟梁のきつねは結構大きいのね。でも同じ教室2回分くらいで・・・って事にすると、キャリアの未熟な人へのハンデになるでしょ?それが練習。
しかもりょうさんが隣にしてあるから、きっと一緒にやるだろうね・・・。
ちなみにりょうさんはラクダね。まぁここまで来れば楽だね。あははは。要するに切る事や技術がある棟梁には、大きくて切らないモチーフのキツネで、みんなと同じ時間でりょうさんの面倒も見つつ・・・ってハードルが
プレッシャーになるのね。ただそれも踏まえてトップにしたはずだったのに、まさかのインフルで、最後に始めるのは予定外だったのね。まぁそれでもこれを見れば、心配無し・・・後は任せたよとなる。では戻って健さん教室。
と言っても、アライグマね。結果としては、今日は7時間・・・結構掛かっちゃったのね。これは健さんのせいでは無く、俺の見積もりが甘かったのね。
ある意味、明日の杏さんのキリンも同じ事が起きる可能性が高くなったとも言えるが、何しろ目標としてある程度の時間で完成させる・・・であって、
無理やり終わらせる事が望ましい訳では無いから、終わらなそうならアシストはする。まぁとは言え、また1人完成したのね。何かこうして次々終わると、
取り付けがとても楽しみになって来たのね・・・ちょっとワクワクもする。ただ逆に、これがターニングポイントの作品なのかぁ・・・となると、ホントかよ
・・・って気持ちもあるのも確かなのね。確かにもっと自信のある作品はあるだろうから・・・。ただね、ただ、世の中に見つかる作品としては丁度良いって
話なんだろうから・・・。ひとまず今日はおしまい。