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今日は午後と夕方二組の中学生教室。宿題次第で次回完成か?はたまたもう一回なのか?
そんな中、やってあって、いよいよ今回教えたら、後は自宅で張り上げて来て、目地埋めして完成と言う運びになるのね。
そうね、今回は本人が作品が重くなったって感じたらしく、それが終わりの合図と教えてあったから、判ったみたいなのね。
これは簡単な仕組みで、花粉症の説明に使われるビーカーの話のようなもので、例えば、コースターや鍋敷きは一回で終わるし、
完成しても重いと思う重さじゃないから、気が付かないのね。それは容器がおちょこのようなものだからなのね。
それが大作って言うのはバケツみたいなのね。そこに花粉が入って来る。それが容器が小さい人はすぐに反応して症状が出る。
しかし、バケツは同じ量を加えても何も無かったように過ごせる。しかしながら、ある一定量を超えた時に症状が出る。こんな感じ。
それを予期する感覚で言うのなら、ある時突然作品が重く感じる時に、終わりが来る合図とすると、鼻水が出たとか、くしゃみが出たとか、
症状が出るみたいになるみたいな話。それでお医者さんに行くと発症みたいになる。
作品の場合は、それが終わりの始まりなのね。果てしなさからの開放とか。ただ常に良い事と悪い事は背中合わせ。
良い事は、やっと終わると安心出来るのね。ではその反対は?達成感とともに空虚感みたいなものがあったりするのね。
例えば、非日常の夏休みが終わるのね。間に合う安心は実に良い。でも続けて来た習慣が無くなるのね。
あっ、もうやらなくて良いんだってね。これが何とかロスみたいな話で、大舞台をやり遂げた後の空虚感に繋がったりもする。
まぁそれについては、もう少し先にしようかな。そんな後、夕方に仁科さんがボンドを持って来てくれてね、わざわざ。
もう有り難いやら、恐縮だわ。そんなこんなで入れ替わるように次の中学生。
宿題はやってあって、さっきと同じ説明になるんだけど、大きく違うのは、さっきの子は
恐らく今までの中でのパーツと比べても、難易度はあまり変わらないものだから、今まで通りの姿勢で良いのね。だから時間が解決する。
でも彼は、恐らくこの作品の中で一番難しい所になるのね。そうね、綿棒をハンコにした丸位のパーツを沢山切る感じ。
つまり失敗する確率が高くなるのね。クラッシュってランダムの形って言うのは、ほぼ全てが成功パーツなのね。だから精神的に大きな違いがあるのね。
同じラストでも難易度は、大きな違いがあるから、逃げって来られるか?みたいな話。
いよいよ中学生達もラストスパートになるって事は、俺の夏も終わるって事なのね。