今日は午後からとんかつのモザイクの方のお教室。それまでは今月末のコープみらいさいたまのスーパーアリーナでのイベントの下地の準備。
そんなこんなでお教室は、ブログを見ていて自分の分あるかなぁ・・・って楽しみにしてくれていたようで、ありますよ・・・ってスタート。
そうね、きっとやった人って言うのは、やらなかった人とは全く違う事になると思うのね。それはレギュラーになるも、補欠になるも、入部しないと何も起きない。
つまり踊る阿呆に見る阿呆・・・ってあれで、踊らにゃソンソン。ここにいるって事が入部と言うのなら、自分の作品は家でもやる気なら出来るし、この機会って言うのは今だけ。
勿論、当然またの機会って言うのは、俺が辞めないのと同時に、生徒さんも・・・って同じようで無いと、またの機会があったとしても、いつ?って保証は無いのね。
しかも経験値って言うのは、あればあっただけ痛い目にも合うかも知れないが、当然自信にも繋がるのね。やった、出来た・・・ってね。それを初めから
100点でも目指すつもりの意気込みなんて人は、当然それ以下になる。だって初めてなんだから・・・そりゃ逆に図々しいでしょ。つまり謙虚な気持ちなら、
一生懸命とか全力で・・・頑張るって程度であって、技術うんぬんなんて、どーでも良いのね。まずはやる気になる。参加する。ここのチャレンジする姿勢。
まずは初めての事なんだからね。これが初歩の初歩。だから、弾けた、打てた、書けた、出来た・・・なのね。それが例えば棟梁くらいの人だと、以前、
ローマ大学の時は金魚を作って貰ったが、そんなまだ未熟だった頃に、ほぼみんな同じ大きさの金魚をやった・・・そんな経験がある人が、小4の子と同じ
バック・・・って。いかにビビっていたか?判るのね。あれだけの腕があるのにね。逆に言い方を変えれば、出来て当たり前で、本来ならとんかつの方のように、
やりたい・・・って言ってくれたのなら、キャラを考えたと思うのね。こうしてどんな形でも参加した事が、またやりたい・・・と思うか、もう結構って思うか?であって、
参加しないって言うのは、そのどちらの経験も出来ないのね。やれば上手くなる。でも自分の作品だけでは限界があるのね。勿論、もっと・・・って気持ちが無いのなら、
そんな事は要らないだろうけど、継続するって言うのは、5年、10年となった時、自分の好きなモチーフ、欲しいもの、どれもが自分の枠の中になる。
モチーフだって被るだろうし、もっと言えば、その姿勢では一切チャレンジはしないだろうから、手元には同じ様な大きさの同じようなものばかりになる。
そうね、元タイル屋の目線で言うのなら、そもそも20年やっていたが、4年経つと職人の称号は頂けるが、果たして腕はどうかな?4年も20年も変わらないかな?
違うのね、そんな4年の奴に経験を踏ませないと、ベテランにはならないのね。つまり仕事って言うのは、出来ません・・・って言うのでは無くて、その判断は
上の人にあるのね。自分で自分の力量なんて図れるはずが無いのね。だって甘えるし、思い上がるから。勿論仕事の話ね。ただそこまででは無いにしろ、どの程度なら
満足をして、どの程度なら継続して行かれるか?って事になるのね。だって人それぞれだから。しかもその人の考える上手さなんて、本人すら判らない。
ただね、判らないか?って言うと、世の中は残酷だから、簡単に判っちゃうのね。それが比較。良くそれを曖昧な表現をして、丸く収めようとする人がいるが、
それはいつまでも続かないものなのね・・・これからきっとモザイクを目にする機会は多くなるのね。きっとね、きっと。比較するつもりは無くても無意識に
するのね・・・年齢、性別、プロ・アマ問わず、もし販売金額なんかがあれば、更にね・・・そりゃ残酷にね。流行るって言うのは、何らかのきっかけで
今まで知らなかった人が知る事になる。そして簡単そうだから、自分でもやって見る・・・なんて事になったり、購入なんて事になる。その地域や小さな
くくりの中でなら、街の小さなパン屋さん・・・で穏やかに済むだろうが、今は見つかるって言うのは、遠方からも来るって事になる。つまり今までとは違う環境になるんだろうね・・・。
要するに環境って言うのは常に変わるものだから、そこに慣れて行かないと、ただ居心地が悪くなるだけなのね。まぁいずれにしても、その経験値を得た人がまた1人増えたって事。