katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

杏さんと中学生教室

2024-06-03 01:03:03 | モザイクタイル教室
今日は杏さんと中学生の二組。では午前の杏さんから。そうね、丁度そんな時期って話になるんだけれど、まず大作って言うのは、果てしなく、イメージとしてはマラソンだとすると、鍋敷きや

コースターって言うのは100m走って感じね。だとすると、何も練習しなくても、ゴールの見えている100m走なら、俺にも走り切れるのね。しかも世界で一番早い人と比べても何分も変わらずに。

所がマラソンは?と言うと、聞くまでも無く無理なのね。こんな話をベースに、マラソンを始めた事になり、それが犬はほぼ終わっていて、ネモフィラも結構終わって来たのね。

これを具体的に説明すると、最初の不安から犬をこのグレードで走り切り、それを引き継ぐようにまたネモフィラに見えるだろうか?・・・って不安もグレードもまずまずに3分の1くらいまで来た

って感じかな?そうなると、ほぼ時間が解決って感じなんだけれど、安心安全な気分って言うのは、退屈とか、余裕とか、不安の解消って事から言うと、全く逆の事になったりもするのね。

そうかと思えば、同じ事の繰り返しになり、そんな気分から、いつ終わるんだろうか?みたいに果てしなさを感じてしまう・・・。例えば折り返したランナーの気分はどうだろうか?

それをやっと半分来た・・・後半分って気分なのか?それとも反対に、まだ半分かよっ・・・なのか?それは取り方次第なのね。しかもそこに気分って言うのを左右するのに、例えば杏さんの犬は

亡くなってしまっているから、違うんだけれど、生きている間に・・・となると、焦りに繋がったりもするし、プレゼントのように期限が迫ったり、時間に追われるって言うのは、緊張感も走る。

ただそれに寄っておしりに火が付くって効果が、労作展の子供達なのね。所が逆に期限なしって言うのは、慣れると焦りが無い分、呑気にもなるし、退屈になったりもする。果てしなさを改めて

確認する事もあったり・・・常に良い事と悪い事は背中合わせなのね。いずれにせよ、今日は少しナーバスな気持ちになっていたようなのね。まぁそれについては、もしもしなのね、出来るなら

是正はあるのね。例えば昔は自宅でも仕込みパーツを切るなんて事も多々あったのね。ただあの頃とは状況や環境が違うんで難しい。しかしながら、もし切る事が無理でも、下絵を描き込んで

あったとしたら?・・・今は見ての通りに描き込みが少なく、その都度になったりすると、その分、ロスが出るのね。描き込みがあるって言うのは、楽譜がある感じだが、何も無いって事だと、

楽譜にソロって感じで、いきなりやるとアドリブでやっている感じになるのと、しっかり描き込んであると、しっかりその通りに切るだけになり、その都度考える事は無くなるから、昨日の棟梁や

りょうさんの話と同じになるのね。しかも描くだけなら、切るのと違って掃除も楽だし、時間短縮にはなるのね。ただそれだって大変って言えば大変なんだけれど・・・ね。

そんな後は、夕方からなんで、蛸の椅子。

吸盤の量産。まぁ吸盤だけなのに、そこそこ雰囲気が出て来たのね。そんなこんなで中学生教室。何だか急に雨が強く降り出した中・・・

前回に引き続き立体の下地の切り出し。2年連続で賞は取ったけれど、それは平面のモザイクで・・・であって、立体の下地の切り出しなんて、何の実績も無い事なのね。だから素人・・・

しかも彫刻チックだから、平面の下絵から、ここが高い・・・ここはこっちよりも低いみたいに、読み取らないとならないのね。ただその理屈が判ると、ある意味クラブ活動にも使えるのね。

例えば組み立てみたいな話だから、ここにこうして、こうなったらこうして・・・みたいに先読みが出来ると、相手の様子から伺い知れる事が出来るかもね・・・。

いずれにしても、手慣れない事をしているのだから、何とか逃げ切る事であって、上手く行く前提では無いのね。あくまで初めてな事なんだから、謙虚に取り組む事なのね。そして何とか逃げ切る

事で、モザイクになれば、2年連続の実力が発揮されると思うのね。

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