katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

中学生教室と下地の追い込み・・・

2023-07-21 06:43:32 | 労作展

今日は中学生教室から。ちょっと出遅れている感じがする彼が、一番最後に来たんだけれど、去年もやっているんで、時間が掛かる事も知っているし、経験値があるから余り心配はしていないけれど、今日から張り出しなんで、様子が判るし・・・さてって感じだったのね。

前回宿題としてパーツ切りをして貰っている間に下地を作成をする・・・ってそう言う訳だから、今日はひたすら張るのみ。ただ張るって言うのは勘違いし  

やすいんだけれど、大抵の人は切る事は技術の意識を持てるが、張るって言うのは、技術と思いにくいのね。それが証拠に、後は張れば良い・・・って言う

人がいても、後は切れば良いんですよね・・・とは、中々聞かないのね。つまり切る意識を持てても、張るって言うのは、他の分野でもやった事はあるだろうから、ボンドを付けて張るだけですよね・・・って良いやすいのね。

所がタイルは切った事が無いし、普通はニッパーも持った事は無いのね。だから無い無い尽くしになるから、初めて感が強いし、切るって言葉が、危ないとか、用心する意識を持ちやすいから、出来ないんじゃ無いか・・・みたいになり、出来た事の満足感や達成感を感じやすかったりするのね。

所が張る事は、さっきの説明のように、意識は低く、しかも出来るって意識を持っていたとするのなら、難しい・・・と感じた瞬間のダメージは大きいし、出来ると思っている時点で、そこそこの結果になるまで思い込んでいるから、結果が伴わない気持ちに、焦りすら感じだりするのね。

簡単な話で、初めてやる事は全て上手く行くとは限らないのね。例えば守備が上手く行ったからと行って、打てるか?となると別の話だし、歌詞が書けたとしても曲が書けるとは限らないし、大根を上手く切れたとしても、味が良いものが作れるとも限らないのね。つまり別の技術と言う事になる。

ただこの話は彼には当てはまらないのね。それは1cmタイルを去年使っているから、大変さは良く知っているのね。ただ、諸注意としては、例えば同じパーツを繰り返しひたすら切るような模様の場合、楽譜やレシピに図面の感覚で、繰り返す訳だから、切れさえすれば反復で上手くなるのね。

それは漢字の書き取りや、カスタネットのリズムだったり、キャベツの千切りのような感じになるのね。それらは一度覚えたら繰り返しになるから、やればやるほど上手くなって行くもので・・・ただ良い事と悪い事は背中合わせで、慣れるって事は意識が薄くなれば、退屈感が出たりもする。

ではそれだけの切る技術を持ったとして、では海を切って・・・空を切って・・・って、正解の無いものを切るとなると、海も空も色が青ければ一緒なの?って事になると、考えないとならないのね。いちいち・・・その考えるって事が、悩みの種になり、えっと・・・とか、う〜んって言えば、

その分だけ時間は過ぎて行くのね。つまり果てしなさの原因の大半はこの仕組なのね。それを色だけ変えれば良いじゃん・・・って意識の低い事を言う人は、意識の低い分、繊細さに欠けるのね。つまりここの学校に行きたいと言えば、意識は高いが、何処でも良い・・・では意識は低い。

しかも教える側としても、意識が高い人には、特訓じみた事も言えるから、ノックのように、立て立てってな事だったり、夏期講習のような来る日も来る日も・・・なんて事になったりする。ただ目標が高い分、乗り切ろうとする気迫や気持ちがあるから、結果は後から付いて来るもので・・・。

所が意識が低いと、早く終わりたい・・・面倒臭い・・・1枚で出来ない・・・とか、諦める方向になるのが早かったり、身の丈身の程なんて言う事ばかりを意識する場合、やる前から諦めたりもするのね。その上、センスなんて言葉を出来ない理由にしようとしたり・・・。

こんな場合が一番難しいのね・・・何しろ心技体なんて言葉を知っているようで、ほとんどの人がその意味が判らなかったりするのね。ただ判らないながらも、体は健康とか、技は技術みたいに答えても、心って何?となると、曖昧になったりするのね。

勿論、俺とて探している最中だから、これが正しいって言うには、成功したって証でも無い限り中々言いずらいが、心なんてものは目に見えない事だったりする。そしてどれもが鍛えるものなら、体を鍛える、技を鍛える、とくれば、心を鍛えるって事になるでしょ?つまり見えないものを鍛える事に

なるはずなのね。こんな風に掘り下げた人は、そうなるには?って常に考えているはずなのね。そして何度も失敗をする。そしてその失敗から、なせ失敗したか?を掘り下げ、また次の失敗を手に入れる。その繰り返しで、失敗の是正をするから、成功に近づいて行くもので、成功を狙いに行く感覚では

無いと思うのね。勿論、この考え方は俺のように、ディフェンダー側の性格だったり、貧乏や卑屈、身の丈身の程だったり、やる前から諦めたり、こんな事側の人の指導には役立つけれど、フォワードや4番バッターや、お金持ち側だと、何で?そんな風に思うの?って言う気持ちになるだろうね。

まぁ簡単な話で、お金があれば塾には行けて、無ければ学校だけの自主的になる。塾なら強制力もあるが、自主的な場合、余程の精神力でも無い限り、つまづいたら立て直せなくなったりもする。心とはそんなものだったりするのね。いくら技術が身に付いても、心1つで簡単に折れる。

だから心を支えるって言うのは、中々難しいもので・・・一番大切なのは、そこを立て直せるか?が教える側で一番難しいと思うのね。そもそもやる気ってものが前を向かせられるが、気なんてものは、気分なんて言う事になると、いくらでも心変わりするものなのね。しかも大作・・・。

時間の長い中、気分や心変わりなんて、長い時間では、コロコロと変われるのね。しかも後半は時間との戦いになる。何せ期限があるから。理想と現実を知る時間帯になる。更に言えばコロナは5類になり、旅行などの娯楽の時間が爆発しやすい・・・当然体調も壊す可能性もあるし、怪我も考えられる。

後半そんな事が起こるかもって、今年は特にそんな事を意識するのね。ただそれは、何も起こらなければ、ただの老婆心で、そうならないようにと願い、

そうなったかぁ~と憂いてリカバリーを用意する。いつでもただ準備を怠らなければ、結果はそれに付いて来るものなのね。何でもこの繰り返し。

そんなこんな後に、見知らぬ電話。ご新規かな?と思ったら、昔駆け出しの頃に知り合ったタイル屋さんで、今もモザイクをしていて、タイルの本を通じて、お話しを

した事があるのね。更に最近インスタでお互いにフォローし合ったんだけど、まさかの電話が来るとはね。しばらく振りに話すと、結構感激してくれてね、

彼はモザイクに関して影響を受けたと言ってくれて、長々と話をしたのね。ただ昔話に花を咲かせる気は全く無いし、ただ当然今の俺に興味がある人

なんて、お金儲けになるとは思っていないだろうし、この文章を読めば、面倒臭い奴だな~って、嫌われる事はあっても、好かれる事は少ない。ただ、それを尊敬しているって、

言ってくれるような職人であり、男性であり、モザイクをしていて、知り合い位で何度も話した事の無いのに、そんな有難く恐縮する言葉は、嬉しくも

あり、そう感じてくれているのなら、そう言うkatsuでありたいと思うのね。ただ向こうも努力をしているだろうから、会えば話せば吸収される。

つまり思わぬ速度でやって来る訳なのね。その時に追い付かれる割合いが多ければ、出がらしkatsuになるし、こっちも吸収すれば、切磋琢磨って事になる。

しかも尊敬しているなんて言う人は、恐ろしく聞く耳があるし、どんな話であっても、覚えていたりする。更に言えば、技術の話も出来るから、理解も早い。

タイル屋さんには珍しい存在だろうね。そんな中、会いたいって言われてんだけれど、流石に今月は下地強化月間なんで、来月って事にして貰ったのね。

昔話では無くて、明日の話が出来る男の人かぁ~、興味あるね~。さて何を話せるのかな?本気出して良いのかな?男の人だから、遠慮は要らないし、

言葉遣いも20年前に戻れるのかな?容赦無く対等かぁ~、ドキドキするなぁ。未来永劫の話でもすっかな。そんな後、意地でもこの話の後はやらなきゃならないでしょ?これでおしまいって帰れない。

塗料を塗ってから、

カワウソのパーツを仕込んで終了。意地張ったわ。


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 高洲のサークルと中学生教室 | トップ | 母の病院と闘牛士のリピータ... »
最新の画像もっと見る