katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

あれこれ下地彫り

2021-12-17 07:39:48 | 出張教室

今日は急きょ母の眼科に送迎する事になったが、何しろ色々と下地が重なっていて、終わらせないとならず、戻ってからはしばらく振りに遅くまでコーナン。まずは昨日の1回彫りを完成させないとならないのと、コープみらいの埼玉さんの下地。

正直、色々考えたが昨日は断念した・・・しかも今日は急きょ送迎・・・この先延ばした所で、良いアイデアが浮かぶとは限らない・・・って追い込まれ感はあったんだけれど、こう言う時って良く思い出されるのはM-1のような話なのね・・・

お笑いの大会なんだけれど、良くあると思うのはこんな話・・・キャリアを重ねた若手でもベテランでも無いような人達が、ラストチャンスに掛ける・・・そんな話。相方にこれで辞めようと思う・・・なんて話を切り出され、もう少しって

引き留めるも、家族なんかを引き合いに出されたりして、それじゃ最後に・・・と言うような展開。普通は何も起こらずにおしまい・・・って言うモノだけれど、例えばこんな人達は、劇場に上がっても何と無くファンもいたりして、萎縮する

先輩って言うのは明らかに有名な人達で、売れない側・・・つまり二軍でのキャリア選手的な扱い。だから二軍の試合では、新人を下に見て飲まれる事無く、萎縮させる事も出来たりすると、相手にプレッシャーをも掛けられる。

そこで結果が出て、昇格となるが、そこは海千山千の連中がごまんといて、今度は逆にプレッシャーを掛けられる展開になる。しかも数少ないチャンスをものにしようとするけれど、空回りなんて事になると、結果を残せず爪痕も残せず・・・

こんな事を数年やれば、新しい人達に抜かれて行く。そんな中のラストチャンス・・・どんな気持ち?そりゃやるしか無いのはいつも通りなんだけれど、気迫が違うのね。そうすると同じネタでも、声も張るし、熱量も変わって来る。

しかも時より呼ばれた時は、ネタらしい事は見せられず、ちょっとした絡みしか無いだろうし、しかも緊張の中。勿論、そんな舞台で緊張しない事は無いが、何しろラスト・・・全力でやろうって誓っているはず。

更に演者側で無く、見る側としては、売れていない芸人のネタなんて、恐らく初めて見るもの。つまり新鮮なのね。しかも必死感も伝わって来る・・・そりゃラストなのだから。それが合致した時、今までとは違う結果に繋がった・・・

こんなのはスポーツだって一緒。その上、対人として先輩からも圧が掛かるのだから、同じベンチに座って対等なんて萎縮すれば出来る訳も無いし、嫌がらせなんてのも無い訳が無い。常に勝ち取るって事はそう言うもんだったりする。

とか、とある演歌歌手が、頑張って来たけれど30歳・・・女として生きる道もあるんじゃないか?って周囲の人達からも言われて、今年が最後・・・これもまた同じような展開。こんな人が言うセリフは、最後だから楽しもう・・・なんて事があったりする。

ここが難しい所で、お笑いって言うのは、笑うって文字通り、ふざけた感じにも思える。だからこそ必死感過ぎると、笑えなくなるし、逆にふざけ過ぎると学芸会チックにもなる。でもこなれた感はもっと悪い。二軍のこなれた感を一軍で披露ってね。

どう考えても結果が出るとは思えない。ただネタの場合は、何度も何度も色んな所で掛けて来た。ただこなれた感が笑いを誘わないんだろうね。つまりここに緊張の必死感・・・ラストだからって言う、今までにないものが乗っかって、更に

テレビの大舞台でのネタの披露だから、知らない人が新鮮で笑った・・・こうなれば、実力が開花しても不思議じゃ無いのね。でも女性演歌歌手の場合だと、きっと必死のキャンペーン周りを毎日やっていたと思うのね。

きっとまた来た・・・なんて事を何年も。歌だって下手な訳も無い。空振りすれば、今度こそ・・・なんて必死になる。けど、その必死さ加減って、もはやドブ板選挙的になるでしょ?・・・場合に寄っては可哀想だなんてね。

そんな時にラストイヤーとなった時、楽しもう・・・って思ったらしいのね。さっきのお笑いは必死さ加減、今度は楽しもう・・・逆なのね。ただ必死さは取れた分、笑顔で楽しそう・・・もし演歌を歌い終わったりしたMCの時に、

必死のままと、それでは皆さん・・・って笑顔で楽しそうだとしたら?頑張ってね・・・のお客さん側は、明らかに態度は変わると思うのね。つまり両者共に、売れるだけの実力は持っていた上で、足りなかったものはそんな事だったりしたら?

こんな事を常に思うと、必死に考えはするが、どんな提案する?って事になると、昨日もずっと考えていたのに・・・そんな中、昨日のサークルで頂いたお菓子の中にナプキンが入っていて、それがドーナツの絵だったのね。

それをかぐやに言うと、以前私が言ったんですけど・・・また聞いて無いんですね・・・って言うのね。そこでこんな話をしたのね。仮にそうだったとしたら、全部かぐやが考えて、かぐやが先頭切れば良いと思うのね。

クリエーターとしては、それを自力で考えないとならず、だからこそオリジナルなのね。こう言うと、じゃ何言っても無駄じゃ無いですか?ってのも良く聞く話で・・・。違うのね、人の脳ってのはそんなに簡単なものじゃ無いのね。

俺はこう思うのね。仮にかぐやが言ったとしても、その時は必死で見つけている最中。ここはアイデアが欲しいんでは無くて、俺が女の人に男で提案しないとならないから、どんなものが必要?って部分であって、デザインの話じゃ無いのね。

だからそこはスルーしちゃうんだろうね。でもね、聞いたって事は俺には残らないけれど、脳には残っているのね。何しろ一緒に考えてくれた人の話・・・そんな事を無視するはずは無い。大事なんじゃ無いのかな?とすり込まれる。

そう無意識に。ただ意識的にスルーした分、覚えていない。そして自分だけで考えて行くんだけれど、時間も無くなるし、今日のようにイレギュラーな事が益々追い込まれる事になる。その切羽詰まった感じの時に、見逃さなかった・・・

ナプキンの紙・・・カフェトレイに置くものとしてのドーナツ。以前、コーナンの社員さんに、coffeeと彫ろうとしたら、cafeじゃないか?って言われた時に、なるほどね・・・と変更した感じで、よりイメージにあったものとしては、そっち

かな・・・とも思ったのね。こんな事をたった一言で変更するのだから、かぐやの話を聞かないはずも無く、ただ必死に考えて、追い込まれた時に、ナプキンの紙を見て思い出すんだろうね・・・脳が記憶の引き出しの中を。

つまり自分で考えた・・・って言う行為は続けた上で、ひらめき、気付きみたいな行為は、発見的なモノであって、良く言う事だけど、発見した・・・なんて学者さんってこんな事をしていたんだろうな・・・ってのは想像出来るのね。

毎日実験の繰り返し。こうしたらどうかな?違った・・・じゃこうしたら?って繰り返す。常識の元ね。当然学校を出て頭が良いから、最高級の常識を持っているはず。それを持ってしての、非常識って言うのが実験だと思うのね。

でも最高級の常識を持って・・・これが邪魔をする。だって常識を持っているから。新しいものって言うのは、常に有り得ない事なんだから。そんな中、何千回もの失敗をし続ける。ありとあらゆる失敗を知っている。

恐らくそんな時に、有り得ない失敗をするんじゃ無いのかな?何か容器を間違えたとか、諦めかけた失敗を覗いたとか、非常識な事をしたと思うのね・・・常識では廃棄なものだったりするものを・・・。

そこに気が付いた人だと思うのね。今までの失敗事例に無い事に・・・。これ何だ?って。ひらめきに気付きってこんなセットは誰にでもある事なんだけれど、それを偶然に何度も出来たら天才なんだろうが、俺はそれを仕組みとして考える。

まぁ確率を上げるって事になると、偶然よりも必然だし、必然にするにはそう言う環境や状況を見逃さなければ、こんな展開の時に、ナプキン1枚でも見逃さない五感が必要なのね。昔、素浪人なら、寝ていても物音1つで戦う状況になれた。

それは常に五感が働いていたからであって、安心安全に身を置くと、五感は研ぎ澄まされる事は無くなる。ある意味、危機管理能力だから。でもそればかりでは、休まる事は無いから、接する側は疲れる。逆に緩い感じは安心感に繋がる。

良い事と悪い事は常に背中合わせ。そんなこんなでドーナツの下地は、こんな中ほぼ完成。他のは・・・

まぁ凄いのは、今diybaseはリピーターさんが3人の予定なんだけれど、3人共に違う下地なのね。しかもサンプルと同じものが1つも無し・・・何とも豪華な事になったのね。

そんなこんなでコーナンからの帰りに違うホームセンターに寄って、コーナンに無いものを買って、トラの絵馬や他の下地のオイル塗り。もう1回塗らないとダメかなぁ・・・。まぁ何とかかんとか形にはなったのね。


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