katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

お待たせしました。カサブランカの壁画完成

2021-03-11 01:38:06 | モザイク作家

ネタ無しだったんだけれど、カサブランカの完成画像が来たので総評も兼ねて、ようやくアップとなったのね。まずこの仕事が決まって、こう言う仕上がりにするには理由があったのね。まずおかみさんは生徒である事。そしてかぐやが弟子で

あって、俺は先生でも作家でもある事。つまり2人は生徒や弟子で片側の立ち位置のみだけれど、俺は2つを持っての制作になる。こんな事を踏まえて見て貰うと、俺のカサブランカがスペースが一番大きく、弟子のかぐやの鳥が一番小さい。

そんな中で、まずは先生として考えると、おかみさんの作品は先生としてアイデアや指導も入った作品であるので、このグレードになっている。しかしながら、かぐやの鳥は青くして、模様で・・とだけ伝えて1人で作ったオリジナル作品。

この時点で全く違うのね。相談は無いのだから。1人で作ったものなのね。ただセッションって言うのなら、青い鳥を模様で・・・と言ったら、かぐやの実力やアイデアやデザインは、こう来るだろうと思っていた通りに仕上がって来たのね。

つまり予定調和。更に言えば先生katsuと完成させたおかみさんは、予定調和オブ予定調和であり、おかみさんの趣味趣向が入った作品の横に並ぶとなると、このかぐやの作品は模様で繫がりを見せる事になっていたのね。

そしてお互いに無いものをカバーし合う事になるのね。それが可愛さ。おかみさんの看板は表現として色使いとしてもシンプルで、元から付いている看板のデザインや色合いなんで、オリジナル感としてはバックの模様のデザインとなる。

しかし色は白をベースで一見主張しなそうだけれど、壁が重々しい分、このスペースでも十分に威力はある。しかしながら看板としては成立するが、大人チックであり子供向けで無い分、可愛さは無い。ただおかみさんの趣味としても、看板

としても幼稚園では無いのでいらないとも言えるが、今回の趣旨の中にインパクトって言うワードがあり、看板の持つ営業色も必要だけれど、みんなに見て貰う・・・って言うものがあり、可愛さの担当をかぐやにしたのね。

では可愛いとは何?となった時、わー可愛い子供ぉぉ2mもあるんだぁ・・・なんて表現あるかな?となるとそんな事は無いのね。つまり可愛いの持つイメージは小さい事なのね。ただ小鳥と言っても、この壁の重みや俺の作品とおかみさんのを

踏まえた大きさも考えると、30cm程度になったのね。更に話を進めると、これをモザイクをやっている人と、かぐやの実力を知っている人と、単なる通行人としよう。三者三様なのね。まず俺じゃ無い先生に習っている場合、これらを見て

俺の作品を先生だと判ったとしても、果たして弟子のかぐやと生徒のおかみさんの違いを理解出来るだろうか?となると、恐らく無理だろうね。それは既に鳥の輪郭はフェイクのように可愛い形の俺のデザインで決まっていて、いくらかぐやが

模様としてお洒落にしても、可愛さが残るのね。しかしながら、おかみさんの作品は大人チック・・・場合に寄っては、同じ人の制作?なんて事にも思えてしまうだろうね。所がかぐやを知っている人は、これ以外のかぐや作品を知っているから、

それをも踏まえた評価になり、やっぱり凄いな・・・と思ったりする。じゃ何が凄いか?となると、先生katsuの風味が入ったおかみさんの作品と作家katsuに挟まれて、1人弟子として存在感を出す・・・これは中々の勇気や実力が問われる。

では通行人は?となると、そんなの関係ねぇ・・・と小島よしおさんな感じ。つまり見たままなのね。恐らく全部ひっくるめて凄いとかになったり、小鳥可愛いとか、看板だけの時より、カサブランカや鳥の判りやすいモチーフが目を引いたり

したりするだろうね。と言う訳でそんな2人の作品を踏まえて、俺は?となるのだけれど、じゃ先生katsuから視点で考えると、弟子のかぐやですら、場合に寄っては同等扱いになる可能性があるが、それを可愛いって寄りにする事で、お洒落で

被り戦わせないようにした配慮の元、模様繫がりで関連性をも考えたのなら、同じ模様繫がりのバックを・・・と考えても不思議じゃ無いのね。所がそうしない理由があったのね。その解説がこれ。

白いタイルやガラスタイルが多い中、目地幅を一定に取り、外壁でありながら白っぽい目地をしたのね。これによって得られる効果は、離れた画像で見ると、オレンジや青や黒の部分が見やすくなる。つまり全体が離れると白い部分が同化し

、そうじゃ無い部分を引き立たせているのね。これが目地の威力なのね。ではかぐやの鳥。2匹いるから違いを好みでは無く、比べて見てね。その前に目地無し画像を・・・。

こんな感じね。それを水色の目地をすると・・・

まずは薄い方ね。今のアップでも水色の多い中、水色の目地で目地が見えずに、1枚物のようにも見えるのね。

今度は濃い方。こっちは目地が薄く見えて1粒1粒がはっきりして、馴染む事は無く、言い方は悪いが目地幅の不安定さが出てしまったり、目地の色が大きく影響している。方や馴染んで、方やはっきりさせている。良くも悪くもね。

つまりもし俺のバックをかぐやのように模様でやっていたら?濃い部分は目立ち、薄い部分は馴染む事になると、あくまでバックの話だから、カサブランカの邪魔をする場所と馴染んでカサブランカを見やすくする2通りになる事になるのね。

それは頂けないのと、大きいスペースで迫力も出てしまうと、生徒や弟子と同じ模様で比較した時には大人げない結果になると、立場としては面白く無いのね。あくまで生徒の指導した側の先生であり、師匠としての弟子なのだから、

ただ単純に下になられるのは、苛立ちにも繋がる。だからそんな事を踏まえると、同じ模様で比較されるのも嫌だし、各々の違いを楽しんで貰いたい気持ちになる。これが先生katsu側の気持ちなのね。所が一転、作家katsu側になると鬼畜なのね。

言葉も粗くなり、一緒にされたら困るんだよっ。こっちは腐ってもプロなんだよ。ぶっちぎらないでどうする。って具合で別人になる。つまり圧倒的にならないと。そうなると同じ事でやって、もしも大きさで凄いなんて事になると、完全さ

が出ない。だから・・・となるとついつい色々やりたくなるんだけれど、ガラスタイルは目地に影響されやすいので、当然目地幅を狭くしたくなる。しかも2人のような模様は繫がりはあるものの、2人がやっている事で、先生や師匠としての

実力が無くても、この位なら作れる・・・なんて事になったり、場合に寄っては、これもおかみさんが作ったの?って事になるのは冗談でも困る。ただ少なくともかぐやの作品は必ずそんな声を聞く事もあるはず。それは可愛い形だから。

これが比較されると・・・の説明。そんな事を踏まえると、先生katsuと作家katsuの立場の違いもあっての判断は、生徒や弟子と被らず、しかもぶっちぎり・・・となると、主張して、主張せず・・・とまるで鬼滅の炭治郎になる。

単に鬼殺しすれば良いのか?なら妹も殺せになる。その葛藤ありきだから主役なのね。ただ強いだけの柱の代わりなら次々出て来る。そこで一見シンプルに見えそうな、レロレロって流れで全部切ってあるパーツは単純に見え、張ってあるだけ

・・・って具合に通行人には見えるだろうね。つまりその技術が判る人だけに判るものであり、技術の判らない人には、模様の形に切った方が上手くも見えるとなれば、きちんと判る人には判るし、比較されてもお互い傷付かずに済む。

これが見たままの解説。では内容は?となると、普通カサブランカって言うのは下から順番に花が咲くのね。でもこれは上に咲きそうな白いつぼみがあって、下に緑のつぼみがあるのね。それは若い衆の成長を意味しているのね。

下から入って来て、花が咲くまで紆余曲折あり、モヤモヤした気持ちがバックなのね。そこまで残れば一番上のカサブランカには金が入っていて、ここに残るのなら金のカサブランカで、世話役としてこのコバケンの偉い人になる。

ただその枠から青い鳥として独立しても、重々しい壁にひよっこの鳥・・・守られていた場所を離れる・・・そんなストーリー。そんな中で浮かんだのが、水色のバックって事なんで、水中花・・・なんて浮かび、愛の水中花になる。

これも愛、あれも愛、たぶん愛、きっと愛・・・生徒と先生、弟子と師匠、若い衆と親方・・・そしておかみさん。どの関係性もひとそれぞれだけれど、嫌がらせじゃ無くて老婆心だったりすると、人それぞれの考え方は違って当然。

でも押し付けの愛情もあれば、受け入れる愛情もあったりする。老婆心の愛情もあれば・・・結局、何が正しいなんて無くて、受ける側の問題になる。どう感じるか?だったりすると、マニュアルが無い限り1つには中々ならない。

同じく育てても残る奴もいれば、辞める奴もいる。明日があるさ・・・なんて歌の歌詞も、会社に残る奴がいて、辞める奴もいるなんて言うように、辞めて転職する奴もいるし、独立して成功する奴もいる。昔からある話。

その心の中に教わった何か残っているのなら・・・これも愛、あれも愛、たぶん愛、きっと愛・・・なんだろうね。それとて、五木寛之さんの歌詞は、あれもこれも、たぶん・・・きっと・・・と変化して不安になって、でもきっとになる。

そんな事を踏まえたら、こんな仕上がりになったのね。また生徒さんの中に、下絵の時にこんなバックになるとは思わなかった・・・って人がいたんだけれど、それこそが個性だと思うのね。予想させなかったのだから。良くも悪くも。

予定調和なら、模様の形で水色だったろうが。たださっきの理由から回避したって言うのが本音であり、消去法って感じであって、こうしよう・・・って狙いでは無いのね。俺らしいと言えばらしいんだけれど・・・。

それと、もしレロレロと切らずに色は変えずにクラッシュだったとしても、雰囲気はあったと思うのね。ただクラッシュなら俺に習っている人なら、そんな事も考えるだろうし、弟子のかぐやのように技術をプロ並みに持っている奴を

満足させるには、そいつが上手くなればなるほど、俺のやる事すらも予測や予期出来るだろう。それは俺がかぐやの腕を知っているようにね。ただもしかぐやとの差って言う事があるのなら、それは情緒って言う、その作品制作の思いって部分だと常々思っているのね。

鬼滅の刃に出て来る柱のように、鬼を殺すのみだけを掲げるものは強さのみの追及。それでは主役にはなれない。主役は鬼になった妹を背負ってその悲しみをも一緒に切る・・・その違いが主役か主役じゃ無いか?に繋がると思うのね。

何しろ上手くなればなるほど、その人の意見の威力は大きい。かぐやにもそろそろそれが判ると良いと思っているのね。それとおかみさん位になると、教えたとは言え、ここまでの作品を作れる腕があるのね。

その腕の人の眼を満足させるって言うのは、それだけハードルが上がるのね。当然廻りの人達に認知されているのなら、奥さんが作ったって話になっているのね。そんな後に出来るもので、その先生が作ってくれるって事になれば、当然期待は広がるし、そこへ似たようなものを作れば、冗談でも奥さんも作れそう・・・なんて声を聞かせてはならない。

期待と言うのは、想像を超えるものを要求されるもので・・・想像の範囲内なんて言うのは単なる安定であり、つまり今回が安定バックだったら、クラッシュだったろうが、あえて攻めたのね。当然時間が掛かってしまうだろうし、難しさが

伝わりづらい事なんだけれど、判る人は見付ける事が出来るし・・・目ざといなんて言うのは通な人へのメッセージ。これはどう?ってね。ただそれに決まる過程が、職人になる為に紆余曲折ある・・・って荒波みたいなものの表現の為って、

意味があっての事。横に作らずに縦にしたのも、横で荒波では呑まれておしまい。あぶくもそんな意味で、そんな野望が泡と消えない様に・・・つまり独立を意味する。色々と葛藤があるものなのね。俺もタイル屋20年やったし独立もした。

上下に縁取りを回さないのも理由は、入り口も出口も自由だよ・・・そんな親方に思えたから。全てに理由はある。何をしても時間が掛かるし、手間が掛かる。意味も無くやってはいられない。勿論その意味がある事が芸術と言うのなら。

これが模様の繰り返しなら、下絵が終われば迷う事無く、とんかつのキャベツのようにひたすら切っていただろうね。それなら工芸になる。単純に工芸なら拝む事も無く、そこで泣く事も無いだろう。がしかし、もしそこに意味があり、それを知った時に、何か感じ取って頂いた時に、感情を揺さぶる事が出来たのなら、上手いとか凄いとかだけで無く、何か

他の感情が生まれるはずなのね・・・俺はそう信じているし、何度か俺の作品に手を合わせていた人を見た事がある。ただ拝まなくても良いが、近くで見たい・・・と寄ってくれさえすれば、話す機会が生まれるはずであり、それこそが口コミになる。いつかカサブランカの家って言えば世界で判るようになりたい・・・。


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今日も野暮用

2021-03-09 22:11:00 | 野暮用

明日も野暮用ありなんで、パッとしない話しか無いと思うんだけど・・・。


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確定申告の準備

2021-03-09 22:00:21 | 野暮用

地味に確定申告の準備。後は野暮用があって・・・


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デイ・サービスの準備

2021-03-08 08:38:06 | モザイク教室

今日はデイ・サービスの下地作りと来月のサンプル作り。今回の下地は卓上カレンダーなんだけれど、えっ?って思われそうだけど、12月は絵馬をやるから、そうなると中々機会が無かったが、4月スタートって言うカレンダーを見て、アリかなと。

そんなこんなで作る事になったが、何しろ組み立てが苦手なんで、正直モタモタ感が強いのね。ただ既に材料は揃えてあったから、準備から・・・では無いのでいきなりスタートとなるんだけれど、何しろサンプルは先月作って置いて来るから、

図面を書いとかないと、1か月前のサンプルなんて忘れちゃうから、いちいち思い出しながら作るとなると、時間が掛かるのね。そこでザックリでも寸法を残す癖も付けて・・・そんなこんなで何とかかんとか10個作って、後は来月分のサンプル。

ただここの所、切らないスタイルばかりだったし、切らなきゃいくらか楽かな?と思ったものの、前回リップルを使ったタオル掛けが余りにも時間が掛かった事を考えると、切って入れてね・・・は考えずに進めるから良いのかもと思って・・・。

ただそうなると来月10個彫らないとならないリスクはあるんだけれど・・・。ここの所、下地は楽させて貰ったし・・・今の所、気忙しい予定も入っていないし・・・って事もあり、彫る下地にしたのね。

まぁ何とかかんとか目地残しで終れた・・・。それと最近のお教室の一部を紹介。


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今日もお教室

2021-03-07 08:29:51 | モザイク教室

今日もお教室あり。そうね、今日もやはり文字のみで、何がどう上手くなって行くか・・・って話を広げて見る。まっ普通、画像が無くては何をどう説明するつもり?って具合になると思うのね。でもちゃんと伝わるのね・・・想像力でね。

例えば昨日の、後はバック・・・って言葉を初心者が使ったのと、上級者が使ったのと比べると雰囲気が伝わると思うのね。まず初心者が、メインは終わったから後はバック・・・この文章で読み取ると、1つは、これから油断しますって感じ

に聞こえるのね。例えばメインディッシュを食べちゃったら、後はアイスやドリンク・・・って聞こえれば、残りのモノ的な感じもする。つまりメインと比較したら、見劣りする感覚があるようにも聞こえるのね。

つまりそれが油断に繋がるって事になる。逆にお腹一杯な感じの人なら、やっとここまで来たぁ・・・もう入らないぃぃ。でも後は流し込めるものだぁ・・・って感じなら、もうちょっと・・・と奮い立たせるようにも聞こえるのね。

だから実際にどんな表現の仕方だったか?を見ないと判らないけれど、同じ文章でも全く反対な様子が想像出来るのね。つまり実際にその場にいたら、どっち寄りの表現か?で、指導が変わって来るのね。更に逆に上級者の場合、もう既に言葉の中に

うえ・・・なんて言葉が付いているように、一般の人よりも上な人なのね。つまりさっきの表現に上って字を付ければ良いだけで、よりそうなるって事なのね。ただそれは単純な話で、実際はもっと凄い差になるものなのね。

例えば子供にすると、初心者で子供・・・もはや出来ただけで凄いじゃん・・・の評価になる。所が子供でも小学生が中学生や高校生に変わると、子供扱いでは無くなるのね。だから食べ放題の料金が変わって来るみたいなね。

つまり大学生を幼稚園の料金と同じ子供扱いには出来ないように、同じ子供のくくりであっても、人の評価では同じ評価には扱われない事になる。無意識にね。だから、年齢が低ければ低い程、上手に出来たね・・・の評価でくくるから、

結果として差が出にくいのね。所が中学生くらいから、結果がある程度問われて来るもので、もしただ小学生と比較した時、全力で力の差を見せつけたら、大人げない・・・なんて言われそうだし、ニュアンスとして、小さい子頑張れ的に、

弱いものの応援なんて事もあったりする。所がそれを40歳と50歳だとしたら?老人相手じゃ無い限り、どっちだって良いじゃん・・・みたいに応援に差は無くなって来る。こうした無意識の比較みたいな感覚が人にはあって、でもこうして説明

すると、そう感じる事って多々あったりするのね。その無意識な事を意識出来ると、実は自分の心の中では意識があるのに、自分自身が気が付いていないだけの事なのね。だからそれを意識しない人が、気が付かなかった・・・って連呼するようになると、そんな事が心持ち的な話になるのね。

こんな事を踏まえて考えれば、今の例の、後はバック・・・って言葉の持つ意味が、初心者が使った場合と上級者が使った場合とでは大きな差があり、初心者なら許される事もあるだろうけど、上級者の場合、より高みを目指すなら、その

心持ちが直せる事が高みへの1歩になるのね。そこが直らないと、ただ腕の人になる。技術だけの人になる。ただね、そう言う心持ちやら意識なんて事がスムーズに出来るようになるって事は、作り手としては上手くなる秘訣なんだけれど、

良い事と悪い事は背中合わせで、常に意識をするのは、より繊細って事に繋がるんだけれど、逆に何でも敏感になるから痛みを覚えちゃうもので・・・無意識なら肉を食べられるけど、意識をし過ぎれば、牛や豚を食べている事になる。

聞いた話だけれど、養豚場的な所では名前を付ける事を禁止していて、そんな事をすると出荷の時のダメージが大きくなる事を防ぐ為でもあるらしいのね。つまりつい無意識にペットのような事をすると、殺す前提なのだから・・・。

だから逆に付けない意識を持たないといけない事になる。実は進撃の巨人も鬼滅の刃も話の内容は一緒で、主人公が相手と戦う姿勢って言うのは、その心持ちでもそれでも戦う・・・であって、むやみやたらにでは無いから主役なのね。

つまり上になるって事は、自分だけの上達なら、自分だけの会得で良いが、上手くなるって事は、比較対象物があっての事だから、戦場では無いスポーツの場合、戦っている時は敵ではあっても、競う相手あっての事なので、終わると敬意。

ただサッカーのように手は使わないと言いつつ、勝つ為には手も使うし、ペナルティと引き換えに足も削るし、理解し難いものもある。逆に紳士なスポーツとされるラグビーとなると、ノーサイドと言う敵味方無く称えるって精神は、心持ち

って話に繋がるし、だからこそ結果が偶然では無く必然になってしまうのは当然の事で、弱いモノが勝つなんて言うのは、卑怯な手を使わないと結果を変えるって言うのは中々難しいもので・・・。だからラグビーにまぐれは無いって話。

まともにやって偶然など、そう起きるはずも無く・・・。その中で武道って言う道なんて付く日本のモノは、柔道、剣道、茶道、華道・・・何でも良いが、全てが技術だけでなく、その心を持ち・・・なんて教えでスタートするのね。

そこがスポーツでは無い所なのね。勝てば良いんじゃ無いってね。その心が無いと、強くても上手くてもそこまで止まりになる。本当に凄いとか上手いとか言われる人は、そんな心も持っているもので・・・とは言え、眼に見えないモノの指導って言うのは、教える側も教わる側も同じ気持ちじゃ無いと、伝わりづらいモノで・・・。中々難しいし、こっちも、

まだ作家として一流として認められているとは思えない立ち位置。つまり勉強中であるから、そうだ・・・って言う教え方は出来ないが、最高は教えられなくても、最低限の引き上げは教えられているとは思うのね・・・。

ただいずれにせよ、向上って言うのを進級とか昇進のような試験での判断基準では無く、えっ・・・って言わせられる作品で、上手くなった・・・と思わせる事が出来たのなら、そんな事が上手くなった自信にも繋がるかもね・・・。

だからある程度の腕になったら、心持ちなんて目に見えない事を鍛えると、それこそが実は想像力なんて力に繋がって行くものだったりするのね。


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今日もお教室あり

2021-03-06 09:28:01 | モザイク教室

今日もお教室あり。画像無しで指導的な説明って細かいニュアンスは伝えずらいけど、簡単に言えば言葉通りなものなのね・・人の考えって言うのは。所が問題はそこに気が付かない自分がいると、本末転倒になる。そんな話なのね。

例えば縁取りだの輪郭は、モチーフの形としての生命線になる。例えば人の顔を作ったとする。その輪郭がずれて大きくなれば、太っちょになる。勿論、太っちょ好きならそれも良い。逆に反対ならやせ細る。

ただこの場合の2つはどちらの輪郭も左右対称的に両ほほが太っちょとやせ細りだからバランスは良いが、もし片方太っちょで片方はやせ細りとか、途中から太っちょとかだったりしたら?もはや見るに堪えない事になるでしょ?

こんな事を踏まえて、じゃどうすれば良いか?となった時、言葉にして見て。・・・多分きちんと・・・って言葉を使うと思うのね。じゃ腕前はともかく、その人の全力できちんと輪郭は出来たとする。

これで塗り絵の輪郭線が自分なりに出来た事になる。じゃ中身を切って色を付けて貰おうかな・・・好きな色で。もしこう言ったら、好きな色を選んで・・・どうする?恐らく初めての人になら、後はお好きに切って入れるだけ・・・。って。

そう言うだろうね、俺は。これで簡単になる。だけ・・・何とも都合の良い励まし方なのね。非常に楽になれる。もっと言えば、後は・・・なんて付けると、増々良い感じになる。所が世の中って、段階とか進級とか、甲乙丙丁とかあるのね。

松竹梅・・・差が好きなのね。あからさまのね。初級、中級、上級って。じゃその違いを言葉で説明して。チコちゃんじゃ無いけれど、えっ?ってなりそうになるのね。でも、説明すると当たり前の事なのね。

要するに初心者であっても、なるべく質を上げたいと考えたりもする。だから1つだけ輪郭線の時に、全ての時間を使う位の緊張感で、ずれたらヤバイ・・・とあおる。そしたら次は、後は好きな色を入れるだけ・・・この文章が全て。

好きな色を選ぶ事に不満のある人はいないのね。そして、だけ。さっきよりも優しい表現に聞こえる。楽になった気がする。これがお笑いの緊張と緩和みたいな仕組み。つまりリラックス的になるし、緊張していた輪郭線で向き合った分、

リラックスして好きな色を選んで、何でも良い・・・となると自由が得意な人には最高な気分になる。そんな人ならそれで指導は何もいらないのね。所が自由が不自由になってしまう人もいる。どんな色が良いですか?とか、どんな形に切れば

良いですか?とか、レシピや図面、楽譜は無いんですか?ってね。そう普通はサンプル通り教室が普通だから。その質問も悪くは無いのね。ただもしオリジナル作品だとしたら?・・・サンプルなんて最初からある訳が無いのね。

つまり質問する前に、俺の質問に答えないとならない事になるのね。これがもし旦那さんに、何食べる?って聞いたのに、何でも良いよ・・・と返され、じゃ・・・とスパゲッティを作ったら、うどんのが良かったな・・・と言われたら?

トドメ刺したろうかっ・・・にならない?つまり、どうしたいの・・・どう見せたいの?なのね。せめて中華、洋風、和風と決めてくれれば、その中でじゃ和風・・・って言ってくれたのなら、うどん、そば、きしめん・・・みたいな質問になり、

大外しはしなくて済むから、作り手に大きなダメージにならずに済む。でも旦那さんの気持ちも判らないまでも無いのね。パスタを見て、それなら・・・と言ったまでの事で、作らなければ浮かばないし、仮に言った事が面倒な料理なら

却下になるし、冷蔵庫に具材が無いかも知れない。しかもそのやり取りを何百回もやっていたら、任せるよ的になるし、ただ問題なのは、出て来たものに、いちゃもん的に聞こえる表現をした事なのね。でもやりがちなのね・・・。みんな。

さて話を戻して、つまり自分の作品なのだから、せめて、和風に・・・とか、可愛くとか、シックにとか、何らかの手掛かりになる言葉を言ってくれれば、協力しやすくなるのね。例えばシックにしたいんです・・・だとしよう。

ここにも隠されている意味があって、シックって良い言葉、それとも悪い言葉?そこで感じて貰う為の文章として、その服シックね・・・って言われたとする。そう聞いて殺したろうかっって思う?逆に褒められた感じがしないかな?

じゃそれを地味ね・・・に変えると、その服地味ね・・・完全に殺す・・・に変えられるでしょ?言葉の持つ意味があるのね。それを無意識に感じるモノなのね。つまり相手がどう感じているのか?想像がある程度出来るって話。

そんな事を踏まえたら、シックにしたい・・・そうか、派手になりたくないって事なのね・・・と教えたくなるのね。これが最高は判らないけれど、最低は防ぎたいって感覚。そもそも最高が判るのなら聞くまでも無く好きに選べば良い。

でもそこを聞きたいのだから、こちらとしても消去法を使って、最善を見つけたいのね。その時にその人の心理を読み解くに、この人のシックの許容範囲を知りたい。つまりここからはシックでは無く地味に見えるって境目。

そこを気付かせてあげる事が出来たのなら、思い込みの幅が狭かった事になり、広がった分、バリエーションが増えるって話になるのね。つまり指導って言うのは、単純に2通りあって、漫才の2人でも役割があるように、例えば同じ漫才師でも、

ネタを作る人と演じるだけの人って判れる。同じように歌うだけの人と、作詞作曲もする人って具合にね。つまり作る人側教室なら、想像力、洞察力、観察力的なものが大事になり、それを屈指して生み出さなければならないのね。

だから新曲、新車、創作料理、新作落語みたいな側教室は、タイルを切る張る技術だけで無く、感じる事を表現するってやり方をも教えないとならないのね。逆にモザイク教室って言うのは判りやすく簡単で技術のみを教えるのね。

つまり、眼に見える技術と、眼に見えない技術って差があるのね。だから、生徒さんが何を求めるか?で教え方は大きく変わるのね、だからもしこれを作りたい・・・って真似るようなものなら、似てるようになる教え方になる。

でももしオリジナルなら・・・そりゃモンタージュ作るような話になる。その時にご理解が無いと、モザイク教室に来ているのに、訳の判らない話ばっかり・・・なんて思われるするだろうし、ビンゴって感じなら、思った以上の出来栄えに

ご満足されたりもする。まっ他の先生はともかく、俺に対する評価って言うのは、こんな事が原因だからある程度、こちらとしても理解した上なのね。だから、先生と合わなかったとか、合ったとかの表現って言うのは、少なくとも俺の場合

は、どっち先生を選んだのか?なのね。今日はそんな訳で、オリジナル側の先生でやらせて貰ったのね。

 


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今日もお教室

2021-03-05 08:25:01 | モザイク教室

今日も引き続きお教室あり。ここでは珍しいタイルクラフト教室だったのね。ティッシュボックスのような蓋の上に張るスタイルが2つ。下地は持ち込みで。ただ事前に伺っていたんだけれど、アクリルなのね・・・。

そうなるといつものボンドと違い変わって来るのね。しかも当然、今日完成して持ち帰りたいって事だろうし・・・。これが張るだけで次回目地って事で置いて行かれるのなら、リピータ―さんの外用流しを作っている方や、先日のタイルonタイルで使っていたボンドで良いのだけれど、当日持ち帰りとなると・・・ボンドが限定されて来るのね。

ここでもいつものような話で、良い事と悪い事は背中合わせ・・・って話で、良い事は速乾性があり、すぐ固まってくれるから、張り終わったらすぐ目地も出来るし、持ち帰りに壊れる事も無いのね。ただ当然悪い事も付いて来るのね。

それは速乾性があるって事は、塗ったら早く張れ・・・みたいにオープンタイムって言う放置して置く時間が短いのね。つまりボンドを塗ったらモタモタすんな・・・って話になるから、気忙しくなり、慌てるから手やピンセットやタイルにくっ付いてしまったりする。

そんな時いつものボンドなら、ほっといて後で水でも落ちるし、手なんか擦ればポロポロと落ちたりもする。だから使い勝手が良いんだけれど、アクリルやらガラスのように吸収しない素材には使えないのね。そこで外用のボンドって事になるんだけれど、それは建築用なんで、オープンタイムが長いのね。しばらく固まらないって話ね。

出しっ放しの時間が長いって事は、例えば1mくらい塗ったとしてもタイルをゆっくり張る事が出来るし、張った所を確認して、曲がっているような所をしばらく経っても直す事が出来るのね。所が、って事はいつまでも固まらないのね。

だから張ってすぐ目地って訳には行かないのね。そこでオープンタイムの短い速乾性のボンドとなるのね。しかもゲスな話で言う金額となると、いつものボンドなら20キロ缶で1万円はしない感じ。それが外用ボンドになると、2キロ2000円位から5.6000円位まであるかな・・・

それに対して、速乾性のボンドは歯磨き程度の量で、2000円弱となるから、中々高価なボンドなのね。こうして用途によって、ボンドの値段が大きく変わって来るのね。こうして材料代に変化が生まれるから、持ち込みの下地の場合は、

詳しく聞かないと判らないのね。そんなこんな中でスタートになるんだけれど、2つ作るって事で、3時間では無くて丸1日って前提なのね。さてそれでは素材選び・・・ここでお話し最中にあんまり切らない・・・ってワードが出て・・・。

あぁそれなら1cmタイルが都合良いのね。例えばガラスタイルのような2cmもある場合、テッシュボックスなんて真ん中に穴が開いていて、1枚張ってすぐ切るとなるよりも、目地幅調整でもしかすると切らずに済むかも知れないから。

そんな訳で様子を見る為に1cmタイルを取ろうとしたら、先日のカサブランカで使った窯変の金みたいなタイルがあったんで、それを使って寸法のアタリを見ていると、そのタイル良いですね・・・と言うのね。じゃ決定。

そもそも窯変のタイルって個性が強く、普通単色なものが多い1cmタイルの中で、ひと際変わったモヤモヤって柄のタイルなのね。だから普通のタイルと合わせずらいもので・・・だもんで、窯変シリーズの4つをお見せするがピンと来た

表情が無いので、他のタイルは・・?と考えると、9mmのクローバーに、いぶしっぽいシリーズがあったのを思い出し、お見せすると、窯変を見た時の表情が見えたんで、じゃこれで素材は決定となる。

この時点で本人は好きな色を選ぶ事になったのだけど、教える側としては、まず窯変の金に見えるようなタイルに食いついた事。こんなに数ある1cmの中で迷わずこれ・・・って言うのだから、相当気に入ったんだろうね。

その時に何に食いついたか?なのね。これが赤とか青とか単色なら、窯変なんかを提案はしないし、ならもっと透き通って見えるピュアなんかは?みたいな提案になったりする。一緒に・・・つまり趣味趣向探しなのね。

お客さんはタイルの素材がどんなのがあるか判らない。俺は素材に詳しいけれど、ご趣味が判らない。それをすり合わせるには、お客さんから趣味趣向を聴き出さなければならないけれど、簡単なのは何色好きですか?って直接表現。

仮に赤なんて言えば、タイルの赤なんて1.2種類だから、はいこれ・・・って事になる。まぁ詰まんない話なのね。これが化粧品で口紅だったら、お店の端から端まで赤だったりして、どうしようかな・・・と選び放題になる。

勿論気に入れば良いけれど、そうで無い場合、じゃ赤は辞めて・・・なんて事になると、このやり取りを何度やれば見つかるの?になる。そこで傾向と対策になり、可愛いとかシックとか、大人っぽいとか、何らかの探るワードを示して、

勿論服装とか、趣味とかから、スポーティだったり、斬新な色合いだったり、持ち物などから、話を広げたりする。その時に何かきっかけになる1色を選び出すのね。勿論、これが・・・って自分が決め打ちしてくれるなら、お任せなのね。

例えば料理だとして、何でも良いです・・・これじゃ提案出来ないでしょ?せめて、和風だの洋風だの、麺だの、ご飯だのって手掛かりなワードが欲しいじゃ無い?その1列目の提案で、そっか和風かぁ・・・じゃ肉じゃがとか、きんぴらとか、

具体的に例を上げて、ここが2列目の話。そこで3列目に答えて貰えると、あぁそれならこれ・・・みたいな、まるでモンタージュを作るようなやり取りで見つけ出したりするのね。これが根拠ある見つけ方なのね。

それが感に頼るのなら、自分で棚からその日の気分で好きなタイルを選べば良いだけ。つまり好みのみ。この場合の説明にはテレチャンの審査方法が一番適切なのね。ここで紹介すると、予選の審査員はその道に詳しい人達。そして決勝は

一般人。何とも配慮に配慮を重ねた順番なのね。何故なら予選で選ばれると、落ちた人は詳しい審査員に落とされたのだから、その中で一番劣っていた事になり正当な審査になる。これがもし予選で一般人なら、単なる好みで落とされる。

つまり技術を持った人が落とされる可能性がある事になる。だから予選の審査員は詳しい人で正解。では決勝。ここでもし詳しい審査員だと、一番上手い人選びになるのね。所が決勝で一般人審査員だと好みで決めるのね。

つまり好みで落ちただけで、好みで勝てただけになる。だから誰も傷付かないのね。単なる好みの勝ち負けなんで、上手いか下手かを争っている訳じゃ無いと。しかも素人のど自慢的なもので、傷付け合う番組じゃ無いのね。

これが新人発掘って番組なら、容赦なく切り捨て一番優れているもの選びになる。こんな例えで判る様に、もし好みで選ぶなら、この先もずっと好みのみで選択すれば良いのね。それなら教える事は切る張るだけになる。

でもひとたび選び方の基本的な指導って事なら、まず趣旨として、こんな感じ・・・って言うニュアンスに沿った見つけ方があるって1つの方法。そう言う考え方がある・・・って事なのね。そもそも好きな色を選ぶだけなら口出し無用。

俺に存在価値無しなのね。でもこうなったりする例は、最初に好きな色を選ぶ。そして次、次と2.3色好きな色を選んだとする。じゃまた料理の比喩ね。一緒にディナーに行ったとする。まず好きな店を選んだ事になる。そしてワインも

選んだ。料理も決めようとした中で、ん・・・魚と肉どっちが良いかな・・・とか、コーヒーはホットとアイスどっちが良いかな?とか、何呑む?となっても、ほぼ決まった後なんで、そう大きな変化は無いのね。

これが店選びから悩んでいたとしたのなら、体調は?とか、昨日何食べた?とか、お昼は何?嫌いなものは?アレルギーとかある?・・・みたいになったりする。これを面倒臭いって思うか、至れり尽くせりと思うかは、お相手次第。

つまりオリジナルの想像教室なら、考え方講座になるし、単なるモザイクって話なら、好みの完成になるようにの指導になる。同じ漫才師でも、ネタを書く人もいれば、そのネタ通りに演じるだけの人もいる。

ネタの書き方も教えられるし、ネタは描かずに演じるだけも教えられる。そのどちらを選ぶか?で教え方は全く違うのね。ただこの方も違う分野で教える事もあるらしく、今日の作った作品は楽しんだ作品だったけれど、お話の説明は、ネタの

書き方教室に聞こえたらしく、勉強になります・・・と褒めて頂いたのね。まぁ無事に完成して何より。


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アトリエの片付けと確定申告の準備

2021-03-04 00:29:06 | 休み?

2m近くある作品を作っていると、あれこれとタイルやガラスタイルの材料やボンドもいつもと違う、外用のボンドを2色とか、作業台だったり・・・中々の量が出しっ放しになってたのね。まずはその片付けをして、その後は確定申告の準備。

何しろ丸2か月近く気張って、毎晩12時近くとなると、流石にちょっと疲れちゃった事もあり、今日は久し振りに割と早めの帰宅。


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今日もお教室あり

2021-03-03 08:44:10 | モザイク教室

今日もお教室あり。いつものように駅に送迎の時、行く時は良い天気だったのに、段々暗くなって来たのね。お客さんを拾ってアトリエに着く頃には、向こうは完全に雨だな・・・って雲行き。ひとまず間に合ったのね。

ただ数時間後には土砂降り・・・天気予報は大当たり。風も強いし・・・そんな中、お教室は?と言うと、手慣れて来た事もあって、随分と切る事が上手くなって来ていて、少しまとまって来た場所もあって、何を作っているか?が判る感じ。

そうなって来ると、慣れたのは切るだけじゃ無くて、眼も慣れるモノで・・・以前張った部分に気に入らない所が発生したりするのね。これは良くある話で、1日では終わらない作品の場合、手のひらにも満たない位が1日分のペースなのね。

では次はいつ?となると、月に1回なら1か月後。中には月に3回って人もいたりすると、当然進み具合は変わって来るんだけれど・・・例えば、生き物だとして、顔の毛並みなんて箇所をやったとする。するとホッペの一部位しか終わらない。

そして来月・・・その時に、前回はこの色を選択したんだけれど、もっと濃く感じるとか、逆に薄く感じるって事が起こったりするのね。それは単独の1色の時のスタートと、何色も使って来た頃合いとでは、雰囲気が変わって来るのね。

最初、思い切りの良い人なら、濃い目スタートなんて事になる。逆に極端に濃いのが好きじゃ無いって人は、薄めになる。ここが絵画と違う所で、選ぶだけだから、混ぜるテクニックはいらない分、平等なのね。何を選ぶか?は。

その時に絵画なら、その色に近寄せる為に色々混ぜて、そっくりに色を作るって事になるのね。所がモザイクは混ぜられないから、どれを選択する?になる。その時に好きか嫌いか?なんて自分の好みでスタートすれば、これ嫌、これ嫌と、

消去して残ったもので、これか・・・って言う選択の仕方だったり、ピンポイントでこれ・・・と迷わず好みに行くってパターンがある。このどちらの場合でも、自分の好みで選んだので、モチーフファーストでは無くて、自分ファーストで

スタートしたのね。それならそれも良いのね。だったら、それを考え方として、モチーフはこの色なんだけれど、自分はこの色にした・・・って事になるから、次はだったら、あの色をこの色に変えたんだから、この色はこれかな?

みたいな変換が必要なのね。所が間違いやすいのは、好きな色を随時選びたくなるのね。そうすると、本来そこにその色を選んだのなら、ここもその色になるはずって場所を、1か月後の自分が同じ色を選べるか?になるのね。

それを気分で好きに決めると、一貫性を失うから、どんどんモチーフから離れ、似ていなくなって行くのね。つまり1日目の1色目はそれが基準になるものなのね。更にその上、あっちもこっちもとなって来ると、濃いのが嫌いだと、パンチが

無くボヤッとするし、逆に濃い味好きでも、全体に濃くなるから、場合に寄っては最後は黒なんて事になるけれど、流石に濃い味好きでも黒に手を出せる?となると、躊躇したりして・・・。後押ししたり、引き留めたりしないとならないのね。

そんな中、比較する色が多くなると、段々それが判りやすくなると、自分でもここが薄いとかここが濃いとか、判りやすくなって来て、剥がしたくなるのね。勿論、それが重要な場所なら剥がしても良いが、その効果が薄ければスルー。

逆に今度はそっくりに真似よう・・・とする場合、似た色がある時は良いが、無い時に困るのね。安易にやると、あった・・・無いからこれで良いや・・・の繰返しになるのね。そうなるとそっくりにならなくなる。

考え方として、そっくりにはならないけれど、風味とかもどきとか、雰囲気を似せるのね。その時のコツが色の温存なのね。いかにこの色を多く使いたいから、この色をここに使うとしたら、ここは・・・何?って感じに。

こう説明すると、そっきの後半の話に似ているんだけれど、大きく違うのは性格なのね。さっきの話は自分の判断で好きか嫌いかで決める人の場合。今の話は好みじゃ無くて、似せたいって趣旨。だから好みを捨てて似せに行っているのに、

その色が無い・・・って悩むのね。この例が楽譜があるか無いか?の考え方に繋がるのね。前者は自由を好むから、好きな色を選んで行くやり方。これは常に考えないとならず、人と違うので、大きく外す事もあるし、上手く行けば満足感満載。

でも似せるに徹するのは、楽譜通りって事になるから、自分の好きにで無い分、良く見て、ちょっとのズレも許さないって言うスタイルの規定演技になる。考えるのでは無くて、遂行するって感じになる。なのに、混ぜられないから作れないし、選びたくてもその色が無い・・・になる。

言い方を変えれば、自由は無いわ、選べないわ、どうしろと・・・になる。実はその不便さがモザイクの難しさであり、そこが腕の見せ所なんだと思うのね。その考え方が、温存する・・・なんだけど。

いかにその特徴である色に近いモノを温存して多く使えるか?そしてその温存した色の影をどれで代用するか?を考える事になるのね。だから常にこれを選んで、これにあった影探し・・・みたいな感覚なんで、常に選択では無くて、最初の

1手のみが選択であって、後はそれに合わせる・・・これがトータルコーディネイト的な考え方で、こんな事が基本になる。ここが出来るようになると、差し色的な個性も出しやすくなるのね。それは基本が安定している分、着崩しがしやすく、その基本がブレると、だらしなくなってしまったりするもので・・・。

ただまだ始まったばかりだから、こんな難しい話は必要無いけれど、とは言え、1.2回で終わるような作品では無いので、ちょっとは必要なのね・・・。まぁそれは頃合いを見て。


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お教室あり

2021-03-02 08:21:37 | モザイク教室

ここの所、体験では無く定期的に通うご新規さんが数人いらして、今日もその中の1人。熱心な方で、早くまたやって見たくて、本当は家でもやってみたいけど、今の作品を失敗したく無いし、それが終わったら自宅でもやって見たい・・・と。

まぁ体験無しのいきなりスタートを切った形なんで、1回で終わる体験とは違って楽しい・・・だけじゃ無いし、慎重になるのも判るのね。ただ本人の言うように、やりたい気持ちがあるのなら、今の作品が終わったら、コースターとか鍋敷き程度

で始めるのも気楽で良いと思うのね。ただ例えば下地ありきの場合は、輪郭が作られているから、どんな形でも、仕上がればそれに見える。でも丸や四角の中に絵を作るとなると、輪郭が守られないと、太っちょや痩せたりしてしまうのね。

しかも眼の位置がずれたりすれば、可愛く無くなっちゃうし・・・そんな指導もした上の方が安全ではある。輪郭が切ってあるのと無いのの差はそんな違いなのね。良く出て来る話としては、初めての人に丸を切って貰う・・・あれ。

どんな人でも丸の形は知っているのね。だから考えなくても良いから、切る事に専念出来る。つまり丸くなるか?だけの問題なのね。所がそれではバックはお好きにクラッシュで・・・となると、自由が不自由になり、どんな形ですか?になるのね。

つまりレシピや楽譜に図面みたいなサンプルが必要・・・って言う話なのね。そこには考えるって行為が必要になり、その素敵な形を見つけて切った人の自由の勝利であって、人それぞれなのね。これが個性って事になるのね。

所が例え初めて切る事になっても、丸い形は説明がいらない。つまりレシピや楽譜、図面と言った話と同じで、説明要らずでスタート出来る。つまり考えずにスタートが切れる事になり、切る事だけに集中出来る事になるのね。

だから初めてであっても器用な人なら、スイスイと上手く切る人もいる。ただそこは考えずに切る技術や器用でこなせたが、ではひとたび考える・・・って行為が発生すると、別人のように悩んでしまったり、手が止まったりするのは、

こんな理由からなのね。古典落語のように伝承って基本通りって形と、新作落語のように、自分で話を考えて演じるって行為は、歌が上手いって言うのと、自分の曲を歌うって言う違いがあるのね。

生み出すって言うのは、常に考え練るって事が問われるのね。だから輪郭のある下地で作る、切る事の練習で結果を出す形と、丸や四角の下地で1から考えるのでは、大きく結果は変わって来るのね。

こう言う事を教えないと、1人で作るって事って言うのは、習いに来ているのだから、結果も欲しくなるし、出来たら嬉しいのは最初だけで、眼が肥えれば良いのが欲しくなる・・・何しろどんな素敵な絵でも切れないとへこむし、上手く切れても、考える事が苦手だったりすれば、思うような結果にならないし・・・。

ただ無理に絵を描かなくても、最初はフリー素材の絵で十分楽しめるし。問題は自分の切れる大きさや形であって、その技術で全体の大きさが決まって来るもので、全体の大きさも絵も決まっているとなると、無理な時も多々あるのね。

それでも大抵は大きくすると出来たりするんだけれど。いずれにせよ、自宅でも・・・って言うのは、慣れる為にも良い事ではあるのね。だから大事なのはやり方なのね。

 


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