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katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

お教室あり

2021-03-02 08:21:37 | モザイク教室

ここの所、体験では無く定期的に通うご新規さんが数人いらして、今日もその中の1人。熱心な方で、早くまたやって見たくて、本当は家でもやってみたいけど、今の作品を失敗したく無いし、それが終わったら自宅でもやって見たい・・・と。

まぁ体験無しのいきなりスタートを切った形なんで、1回で終わる体験とは違って楽しい・・・だけじゃ無いし、慎重になるのも判るのね。ただ本人の言うように、やりたい気持ちがあるのなら、今の作品が終わったら、コースターとか鍋敷き程度

で始めるのも気楽で良いと思うのね。ただ例えば下地ありきの場合は、輪郭が作られているから、どんな形でも、仕上がればそれに見える。でも丸や四角の中に絵を作るとなると、輪郭が守られないと、太っちょや痩せたりしてしまうのね。

しかも眼の位置がずれたりすれば、可愛く無くなっちゃうし・・・そんな指導もした上の方が安全ではある。輪郭が切ってあるのと無いのの差はそんな違いなのね。良く出て来る話としては、初めての人に丸を切って貰う・・・あれ。

どんな人でも丸の形は知っているのね。だから考えなくても良いから、切る事に専念出来る。つまり丸くなるか?だけの問題なのね。所がそれではバックはお好きにクラッシュで・・・となると、自由が不自由になり、どんな形ですか?になるのね。

つまりレシピや楽譜に図面みたいなサンプルが必要・・・って言う話なのね。そこには考えるって行為が必要になり、その素敵な形を見つけて切った人の自由の勝利であって、人それぞれなのね。これが個性って事になるのね。

所が例え初めて切る事になっても、丸い形は説明がいらない。つまりレシピや楽譜、図面と言った話と同じで、説明要らずでスタート出来る。つまり考えずにスタートが切れる事になり、切る事だけに集中出来る事になるのね。

だから初めてであっても器用な人なら、スイスイと上手く切る人もいる。ただそこは考えずに切る技術や器用でこなせたが、ではひとたび考える・・・って行為が発生すると、別人のように悩んでしまったり、手が止まったりするのは、

こんな理由からなのね。古典落語のように伝承って基本通りって形と、新作落語のように、自分で話を考えて演じるって行為は、歌が上手いって言うのと、自分の曲を歌うって言う違いがあるのね。

生み出すって言うのは、常に考え練るって事が問われるのね。だから輪郭のある下地で作る、切る事の練習で結果を出す形と、丸や四角の下地で1から考えるのでは、大きく結果は変わって来るのね。

こう言う事を教えないと、1人で作るって事って言うのは、習いに来ているのだから、結果も欲しくなるし、出来たら嬉しいのは最初だけで、眼が肥えれば良いのが欲しくなる・・・何しろどんな素敵な絵でも切れないとへこむし、上手く切れても、考える事が苦手だったりすれば、思うような結果にならないし・・・。

ただ無理に絵を描かなくても、最初はフリー素材の絵で十分楽しめるし。問題は自分の切れる大きさや形であって、その技術で全体の大きさが決まって来るもので、全体の大きさも絵も決まっているとなると、無理な時も多々あるのね。

それでも大抵は大きくすると出来たりするんだけれど。いずれにせよ、自宅でも・・・って言うのは、慣れる為にも良い事ではあるのね。だから大事なのはやり方なのね。

 


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